カイト・カフェ

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「阪神淡路大震災のこと」~誰が災害時の正しい生き方を教えたのか

 昨日は阪神淡路大震災から15年の節目で、さまざまな追悼行事や記念番組が行われました。事情があって最後まで見ることはできませんでしたが、土曜日には震災の中、神戸新聞社が毎日、新聞を発行し続けたというドラマをやっていました。

 そうした特集が行われている一方で、ニュースはハイチの悲惨な状況を刻一刻と伝えてきます。地震以前に治安が崩壊していた国ですからその点も割り引いてやらなければ気の毒ですが、それにしてもあの略奪と混乱には、目を覆いたくなります。ハイチだけの問題ではありません。ロサンゼルスでもハリケーンニューオーリンズでも同じようなことがありました。しかし15年前の阪神淡路ではそういうことはなかったのです。

 震災後ずいぶん経ってから、略奪はあった、もっと酷いこともあったという話は広がりましたがいずれも伝聞で、日本のメディアも外国メディアも、そして警察発表においても、そうした話はほとんど出ていません。ニセの通行証がつくられたり、震災直後に異常に高い食品が売られたりといった若干の心ない出来事はありましたが、全体として見ると実に整然と事態に対処した様子がうかがえます。

 その朝、警察官や医師・看護師はもちろん一般の公務員も、通常勤務の者も非番の人も、一様に徒歩や自転車で職場を目指し、昼夜兼行で働きました。新聞記者が記事を作り続けたように、水道・電気・ガスといったいわゆるライフラインの担当者も一斉に仕事を始めています。多くのボランティアがその日のうちに、神戸を目指して移動し始めました。

 被災地のほとんどのスーパーやコンビニは、食品に限って無料か極端な安価で配布しましたし、一部の宗教団体や広域暴力団までが一斉に炊き出しを始めました。多くの避難所では数日のうちに自治組織が立ち上がり、代表者を決めたり当番制を敷いたりして円滑な避難生活が送れるように手配しました。

 そうしたことは日本人のすばらしい特性として世界に報じられましたが、まさかそれが日本人のDNAに刷り込まれているということもないでしょう。もともとある文化的素地とともに、誰かが教え、訓練したのです。

 私はそれを日本の教育の成果だと考えています。日本人は幼稚園保育園のころから何年も何年も、係活動やら班活動やら、集団行動を果てしなく訓練され続けているのです。数々の社会見学や修学旅行、運動会や文化祭といったほとんどの行事に、集団生活を高めるという目標が掲げられているのは無意味ではなかったのです。

 私はそれをもっと声高に叫んでいいように思っています。少なくとも外国の研究者たちは、日本の学校の特別活動に高い評価を与えるとともに、羨望のまなざしをもって見ているのですから。