カイト・カフェ

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「現代の家柄」~家族にきちんとした人が、最低ひとりいることの大切さ

 本校のある先生のお子さんが、学校の授業中に少し大きなケガをされたそうです。本人の不注意らしいのですが、それに対して祖母に当たる人が帰宅したばかりの先生に、すぐに学校に電話しろと迫ります。とにかく早く電話して、お詫びしろと。もちろん先生はすぐに詫びの電話をいれたそうですが、こういう人が家族に一人でもいてくれると、何かと助かります。

 子や孫の事故に際して真っ先にすべきことは関係者へのお詫びだという倫理は、そう多くの人が持っているものではありません。私だって詫びることは思いつきますが、それが一番先にすべきことだとは思いませんし、事故を知って最初に思いつくことがそれだという自信はとてもありません。また急がねばならないとも思わないでしょう。それが道徳観の差です。

 しかし考えてみれば同じ事故に対して、まず思いつくことは「抗議」という人だっています。「抗議」も「お詫び」もともに思いつかない人もいます。「お詫び」を思いつく人とその他の人々との差は一瞬ですが、その先にあるものはまったく違ってきます。

 今回の事故に際して祖母が何を言ったか親が何をしたか、お子さんの記憶の片隅にきっと残るはずです。今回たまたま聞き逃したり見逃していても、そんなご家庭ですから小さな点で日々積み重ねられていくはずです。それがその家の家風であり(人柄と同じ意味での)家柄です。大人になって同じ事象に出くわしたら、必ず同じことをするでしょう。

 どんな家に生まれ、どんな家で育ったかによって人生の大半が決まってしまう。今の子どもは本当に可愛そうです。
(私の子ども時代なんてそうではありませんでした。学校や社会がみんな同じような人間に揃えてくれましたから)