シルバーウィークが終わり再始動です。
しかしそれにしても、「ゆっくり休んで精神エネルギーが溜まるのを待つ」という考え方は本当に正しいのでしょうか? 連休中はしっかりと休んだのに、今朝は「さあやるぞ!」とエネルギーの溜まった感じはまったくしません・・・。
それはさておき連休中、私は先日の運動会慰労会での、自分自身の話に少しこだわっていました。何か本筋を外したような気がしたのです。
去年一昨年の「教師と子どもがともに楽しむ運動会」から「先生が黒子に徹する今年の運動会」への転換といったお話をしたかと思いますが、話している間中、それを何だか寂しいような気がしていたのです。教師と児童が一緒に何かを作り上げていく、それこそ素晴らしいことだと、そんな思いがありました。けれどその最中にも違和感があり、家に帰っても何だか気になって仕方がありません。その結果、思いついたのは以下のようなことです。
去年一昨年と、先生たちが子どもたちに混じってグランドを駆け回ったのは、一緒に盛り上げよう、一緒に楽しもうといったものではなく、もしかしたら不安だったからなのかもしれない。
演目に華やかさが一味欠け手いるかもしれないという不安、子どもに任せきるのは危険ないしはミスが起こるのではないかといった不安、それらが先生たちを表舞台に立たせたのではないか、ということです。
裏を返せば、今年は子どもたちに任せて十分大丈夫だ、内容的にもパーフェクトだ、そういった運動会だったのではないだろうかということです。
実際、本年度唯一、先生たちが積極的に関わった組体操だって、50時間〜100時間といった練習時間を持てば、きっと先生たちは引いたはずです。
さて、慰労会の発言の中で特に印象的だった言葉に、陶山先生の「子どもたちは簡単にああした演技や競技ができるようになったわけではない。そこまで高めるために、たいへんな時間とエネルギーを使って、教師たちが作り上げていた、そのことを親たちは知るべきだ」というものがありました。
陶山先生のおっしゃるところは、「だから教師を尊敬しろ」といったものではないでしょう。
「教師の方はそれだけの思いと努力で子どもを育てようとしている、だから親たちも、それだけの真剣さとエネルギーをもって子に向かえ」
そういうことだと思います。
少なくとも私はそのように聞きました。