カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「どんな小さな生き物も人と同じような命がある」~森の精霊たちの話

 昨日、ひとりの男の子がケースに入れた沢蟹を持って登校しました。自慢するので、私は「カニと遊んだら、またもとにもどしてやりなよ。遊んでくれなくなるから」と言ってやりました。

 実はこれは、私自身の言葉ではなく「忘れられた日本人」の中にあった古老の言葉です。まだ日本人が、狸や狐と対等に暮らしていた時代の話です。

 そこにはまた、別のこんな話もありました
 ある日、日がくれかけて、谷をへだてた向うの畑を見ると、キラキラ光るものがある。何だろうと祖父にきくと、「マメダが提灯をとぼしているのだ」といった。マメダというのは豆狸のことである。マメダは愛嬌のあるもので、わるいいたずらはしないし、人間が山でさびしがっていると出て来て友だちになってくれるものだとおしえてくれた。実はこれは粟畑の鳥おどしに鏡のかけらをさげていたのへ、夕日が反射して光っていたのである。その事は後に父からおしえられた。
 さて、マメダがキラキラする提灯をとぼしてくれることが、夕ぐれのひとときの大きななぐさめになった。それから後、山の奥で木をきる斧の音がしても、山の彼方で石をわるタガネの音がしても、みんなマメダのしわざではないかと思うようになったが、そう思うことで山の奥、山の彼方へ心をひかれるようになっていった。
「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるい事をしておらねば、みんなたすけてくれるもんじゃ。日ぐれに一人で山道をもどって来ると、たいてい山の神さまがまもってついて来てくれるものじゃ。ホイッホイッというような声をたててな。」小さい時からきかされた祖父のこの言葉はそのまま信じられて、その後どんな夜更の山道をあるいても苦にならなかったのである。

 午後は午後で2年生の男の子たちが子どものヘビをつかまえたと言って見せに来てくれました。今度も「学校の守り神の子だから、逃がしてやりな」と言うと、本当に逃がしてやったようです。

 森や湖に精霊が宿り、どんな小さな生き物も人と同じような命がある、そんなふうに思える子どもを育てたいな、と思う一瞬でした。