親が決めなければならないことがある


 それがあまりにも正義らしい相貌なので、ついつい現実的な意味を見失ってしまう、そんな言葉があります。  例えば「同じ人間として、子どもの目線に立ち、子どもの意思を尊重することが大切」などがそうです。  この言葉には一片の間違いもないように見えますが、40年以上生きてきた人間と、たかだか10数年(しかもそのうち最初の数年は雲の中)しか生きてこなかった人間が果たして「同じ人間」でいいのかといった、あたりまえのことがどこかに置き去りにされています。何十年も生きてきた人間の意志と、数年しか生きてこなかった人間の意志が等価であるとしたら、私たちの経験には何の意味もないことになってしまいます。  不登校の現場ではしばしば保護者から「本人が決めたことですから」とか、「学校に行けと言っても行くものではありませんから」とかいった言葉が聞かされます。これもしごく当然のように聞こえますが、翻って考えてみると、学校に行くかどうかは本人の意思に任せていいことではないはずです。  高校に進学するかどうか、進学するとしてどこの高校に進むかとか、就職するか一生親に面倒を見てもらうかとかいったことも皆同じです。子どもの意思に任せていいのは、今度の連休にディズニーランドへ行くかUSJに行くかとかいった、どちらに転んでも大差のない内容だけです。  本人の意思に任せるということは、すべての責任を本人一人に取らせるということです。そんな残酷なことをしていいはずはありません。大切なことは十分に話し合い(というよりは時間をかけて説得し)、親が責任をもって道を示さなくてはいけない、  そんなふうに私は話します。