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「心の傷は言ったもん勝ち」~ハラスメントの不条理と痴漢冤罪の話

 今日から大相撲が初のモンゴル巡業だとかで、朝青龍が張り切っています。ところで、あの朝青龍解離性障害はどうなったのでしょう?

 私はこれについて、最近「心の傷は言ったもん勝ち」(中島聡著 新潮新書)という本を読みました。「心に傷を受けた」と宣言したら、あとは何でも可能。詳しい検証もないまま懲罰を回避したり、一方的に相手を加害者と断罪できる、そうした現在の日本のあり方を問題とした本です。

 学級内の権力争いに負けても「いじめられた、心の傷を受けた」と言えば一発逆転で相手を窮地に追い込むことができる。セクハラも「あの時は我慢して笑っていただけ、本当は死ぬほどいやだった」と言えば、後出しジャンケンみたいなやりかたでも通ってしまう(そのときに言えよ!)。「確かにウチの子も悪いけど、あんな叱り方では心の傷になって残ってしまうでしょ」そういう言い方で、悪事自体が相殺されてしまう・・・。

 確かに、困難な心の病気を抱えている人はたくさんいますし、その中には「がんばれ!」と言ってはいけない人も大勢います。しかしだからといって「がんばれ!」と言わなければならない人だって一方にたくさんいるのです。同様に、「イジメは加害者が100%悪い、被害者には何の落ち度もない」といった言い方にはやはり問題があるので、100対0の人間関係など、そうあるものではありません(そのことはイジメのもうひとつの定理「イジメでは一晩の内に、イジメる側とイジメられる側が入れ替わってしまう」を考えれば、状況がそう単純でないことはすぐに分かります)。

 「心の傷は言ったもん勝ち」
 内容自体はさほど新鮮ではありませんが、被害者もまた考えなければならないということが、書籍になって世に出回る時代になった、そういう意味ではとても新鮮でした。  

 ところで、電車の中でやってもいないのに「この人、痴漢です」と名指しされたとき、どうするのが正しい態度でしょう?  ネットによると、「自分の身分を明らかにして連絡先を書き渡し、その場から立ち去る」だそうです。駅員のところへ行ってはいけません。駅員はマニュアル通り警察に連絡し、そのまま現行犯として逮捕されてしまうからです。そうなると何年も裁判に縛られ、しかも「やらなかった」ことをこちらが証明しなくてはならなくなります。その難しさは、映画『それでもボクはやってない』に見られるとおりです。

 しかしその場から立ち去ってしまえば、今度は警察が十分な証拠をそろえて逮捕状を取らなくてはなりません。
「やったことの証明」は「やらなかったことの証明」と同じように難しいから、なかなか逮捕にはいたりません。正直な身分と連絡先を残すのは、「逃げた=やった」という推定を回避するためで、決して嘘をついてはいけません。

 こう書きながら、私は本当にむなしい気持ちになります。