カイト・カフェ

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「児童買春の果て」~金さえ払えば思い通りになる子どもという快感仮説

 教師による児童買春のニュースが後を絶ちません。しかも50歳代前半という、きわめて分別のありそうな人ばかりが逮捕されている気がします。どうしてなのでしょう。

 なぞは二つです。
 一つは、なぜ、そんな年齢の子どもに性的な関心を持てるのかということ。
 もう一つは、もともとそういう性向があるとしたら、もっと若いうちに問題をおこし、もっと昔に逮捕されたり処分されたりしていてもよさそうなものを、その歳までなぜやってこれたのかということです。

 少女売春市場が成熟したのは最近のことだからだ。
 ケータイやネットを通じてそうした市場へのアクセスがものすごく容易になったのも最近だからだ。
 そもそも児童買春を取り締まる法律がなかったからだ。

 それらはみな有力な答えです。しかしそれだけではまだピンときません。自分の子どもより幼い者を性の対象者とするには、もう一つ越えなければならない壁があるように思うのです。
 それを私は、「学校では思い通りにならない子どもたちを、金さえ払えば何とかできるからだ」と考えました。そう思うと多少理解は進みます。

「思い通りにならない」と言うのは「子どもたちが言うことを聞かない」という意味ではありません。教師にとって最大のストレスは「子どもを鍛えられない」「子どもの子守をさせられている」という思いだからです。
 10年前、20年前なら使えた手法がことごとく禁じられてしまい、子どもたちが悪くなっていくのを抑えきれない、伸びるはずの能力を伸ばしきれない、人格を育てられないということです。

 私にとっては、10代どころか20代の女性だって「指導の対象」ですから性的な関心はありませんが、「学校では思い通りにならない子どもたちを、金さえ払えば何とかできる」というのは、理解できないことではありません。