恐い人というのは、基本的に2通りしかいません。
ひとつは「何をするか分からない人」。前後の脈絡と関係なく突然怒り出したり、怒り始めると何をするか分からないような人、こういう人はやはり恐ろしい。だからヤクザは恐い。
ふたつ目は「愛する人・尊敬する人」。
記憶の良い人なら初恋の頃を思い出してみるいいかもしれません。愛する人に嫌われるかもしれない、見捨てられるかもしれない、軽蔑されるかもしれないと思うと、自分の言葉の一つひとつや一挙手一投足に、本当に神経を使ったものです。
親や教師が子どもを指導しようとしてしばしば体罰に走るのは、前者の恐怖を利用とするからです。怒鳴り散らしたり、いきなり殴ったりすれば、相手は恐怖感から一度は言うことをききいてくれる、そういったことを経験から知っているからです。
ただし、この方法の欠点は、ほとんどの場合、相手がすぐに暴力になれてしまうということです。したがって恐怖感を持続させたり何回も利用しようとするとき、必ずエスカレートさせなければなりません。そしてその先に事故が発生します。
ではどういう大人が子どもから愛され尊敬されるのかというと……そこには非常に厄介な問題が含まれています。