カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「アカデミズムとストイシズムと・・・」~子どもが勉強を続けるために必要なもの

 「学ぶ」は中国語で「学習」といい「勉強」とは言わない、という話を聞いたことがあります。中国語の「勉強」は「強制」を意味する言葉だからです(だから昔の八百屋さんは、無理に値を下げることを「勉強します」と言ったりする)。

 その中国語の「学ぶ」と「強制」が日本で混同されたのは、やはり言葉が日本に伝わってきた2000年ほど以前も、学ぶことが常に強制を伴っていたからなのでしょう。

 学習は気楽にできることではない、ということは肝に銘じておくべきことです。
「楽しく、分かる授業」は私たちが心がけるべきことですが、それが達成できれば子どもが自然にがんがん学習するというものではありません。ましてや学びの受け手やその保護者が「ボクが(ウチの子が)勉強しないのは教え方が悪いせいだ」と言うのは僭越ですし、少なくとも損です。

 苦しい学習を続けていくためにはそれなりの仕掛けが必要です。それはその子の周辺にアカデミズム(学問至上主義・学究的な雰囲気)やストイシズム(禁欲主義)があるかということです。享楽的な、あるいは刹那的な雰囲気の中で勉強など続けられるものではないからです。

 もちろん家庭の考え方として、「勉強なんかしなくてもいい」「生きて生活する上でお前には別にやるべきことがある」というのであれば別ですが(昔の農家や職人の家、今でもオリンピック選手を育てようといった家はそうです)、勉強をさせたいと思ったら、欲望は厳しくコントロールされなければなりません。

 新しい年度の始まりに、改めてそういうことを思いました。