カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「倶生神(くしょうじん)」~肩の上に乗って、その人の行いを記録し続ける神

 赤井先生が昨日の文を読んで(左右の肩に神様の乗る)あの話を、「私はインドの神様で、クショウジンというのだと教わった」という話をしてくださいました。
 司命・司録がそれだというのはもちろん私の創作ですので、こちらが本物に違いないと思い、早速調べたらやはりありました(こんなときインターネットはそれ自体が神様です)。

 どんな人間でも生れ落ちた時その瞬間から、二人の神様がその人の両肩に乗かっているそうだ。
 神様だから重みを感じない。この神様の名前は「倶生神」(くしょうじん)で、左の肩には、男の神様が、右の肩には女の神様が乗る。 この倶生神が、閻魔大王の命により、その人の善行・悪行の全てを記録している。男の神様は善行を、女の神様は悪行を記録し、三十五日目の閻魔大王の裁判の時、肩から降りて、閻魔大王に最大漏らさず奏上する。


 フムフムなるほどといった話です。そしてその側には、こんな話もありました。
 
 人は死ぬと七日目には三途の川の辺に到着する。ここには、人が冥土に行く為には、渡らなければならない三つの川、すなわち「葬頭川」(そうずがわ)三瀬川(みつせかわ)「渡り川」がある。 川の流れは三つに分かれていて、前世の行為(業)にしたがって、それぞれにふさわしい流れを渡ることになるそうだ。
 三途とは地獄・餓鬼・畜生の三悪道のことだが、この川の辺に衣領樹(えりょうじゅ)という木がある。木の下には「奪衣婆」(だつえば)という老婆がいて、木の上には「懸衣翁」(けんえおう)というお爺さんがのっている。お婆さんが着ている衣類を脱がせ、木の上のお爺さんに渡し、木の枝に掛けると、その重みで枝が垂れる。枝の垂れ方で生前の罪の軽重が分かる仕掛けである。
その「懸衣翁」と「奪衣婆」が、35日目の閻魔大王の裁判に、陪席しているので、嘘の申告は出来ないのである。


 三つの川が三つに分かれているというのがよく分かりません。三途の川が1本なのか3本なのかはたまた9本なのかということも分かりませんが、数字が合わないのは仏教ではよくあることです。三途の川のこちらの岸辺(此岸:しがん)で何が起きているかは改めてお話しましょう。今は彼岸(向こう岸)の話です。

 しかしそれにしても、「女の神様は悪行を記録し」というのもとんでもない話です。古来女性の方がおしゃべりと決まっています。あることないこと悪行をベラベラしゃべられたらたまったものではありません。何故こちらが女なのでしょう?