カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「専門用語」~私たちが使っている言葉の中に、世間から理解されないものがあるという話

 宮沢先生机の後ろの棚の上に、熱帯魚や金魚をすくう小さな網が置いてあります。20個。
 あんなものは水槽1個につきひとつあればよいようなもの、ナンデ20個なんだ? としばし佇んで考え込んでしまいました。何か意味があるのでしょう。
 こうした不思議は、学校でしか起きないものです。

 どんな世界にも業界用語や専門用語というものがあります。それを不用意に世間で使うといらぬ誤解を受けるものですが、私たちの世界にだってそれはあります。
 例えば「生徒指導」。私たちは反射的に児童の問題行動に関する話だとわかりますが、世間の人には分かりません。学校は生徒を指導するところですから、改めて「生徒指導」と言われるとピンときません。「板書」というのもダメです。ワープロ・ソフトでも出てきません。「児童」が小学生のこと(しかも法律上の規定)だというのも知られていません。

 中でも絶対に分からないのは「児童の見取り」です。これは教員の中でも違和感を唱える人があり、「『見取る』じゃあアンタ、子どもが死んでるみたいじゃないか」という批判もありますが、これに対しては「私のクラスでは、授業中、全員『死んでる』状態だからこれでいい」
との強い反論もあります。