カイト・カフェ

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「誰かがバイキンマンを救わなくてはいけない」~短い評論を書きました

 ある場所で「誰かがバイキンマンを救わなくてはいけない」という文章を書きました。使い捨てみたいな場所で目立ちませんので、こちらの方にも載せておきます。

誰かがバイキンマンを救わなくてはいけない

 警察官の常駐する村なのに一人でかってに自主警備組織をつくり、生産活動には一切従事しないでパトロールばかりしている。そしていざとなると「ア~~~ンパンチ~!」とか言って相手を殴りつけておしまいにする暴力主義者、それがアンパンマンである。

 一方、毎回涙ぐましい努力とアイデアと資金投入を行いながら、結局殴られて「バイ、バイキ~~ン」とか言いながら去っていく孤高の人、それがバイキンマンといえる。
 彼が欲しているのは金でも名誉でも地位でもない(彼が相当な金持ちであることは、毎回繰り出される機械の数々を見れば分かる。あれほどの発明王であれば相当な特許料が入っているはずだし、名誉も地位も、それにふさわしい程度にあるに違いない)。バイキンマンの願いはそんなものではない.彼の望みはただひとつ、「友だちがほしい」というだけのことなのだ。毎回見ていた人には、彼の切なさがよく分かる。

 ただしかし、如何せんやり方は悪い。
 人の友だちになりたかったら意地悪をしたりいたずらをしたり暴力を振るったりしてはいけないのだ。何の予告もないまま突然割って入って大騒ぎをしたり、親しくなる前にいきなりあだ名で読んだりしてはいけない。人に近づくにも一定の距離があり、「知りあい」には「知り合いの距離」、「友だち」には「友だちの距離」というものがあって一気に詰めることはできない。「親友」といえど言っていいことと悪いことがある・・・。
 友だちをつくり維持するのは結構気を使うことであり、時間も手間も相当にかかる。とても1週間の発明で済むような話ではない。バイキンマンにはそこのところがまったく分かっていない。

 それを誰かが教えてやらなければならないのだが、残念なことに登場するキャラたちはその点であまりにも貧弱である。小学校のミミ子先生は自分の生徒にしか興味がないし、警察官は間が抜けている。アンパンマンは前述の通りただの暴力主義者だし、人格者・食パンマンは何も手を打たない。ジャムおじさんはいざというときにしか動かない水戸黄門である。

 ただ一人強烈な個性を輝かせる身近なキャラ「ドキンちゃん」は、徹底的に身勝手でわがままな自立心のかけらもない女でり、バイキンマンが自分を見限ったり捨てたりする可能性を微塵も感じず、思った通りを口にして何でもやらせようとする。
 事実、何をされてもバイキンマンドキンちゃんを見捨てない。

 それが愛情でも友情でもないことは百も承知だが、とりあえずドキンちゃんがいなくなれば自分は一人ぼっちだし、何より「オレ様」がいなくなるとドキンちゃんは孤独なだけでなく、生きてさえいけない。そのことが彼を引き止めている。

 誰かがバイキンマンを救わなくてはいけない、ドキンちゃんもチョーわがままでどうしようもない子だが、バイキンマンとともに面倒を見てやらなければならない。

 先日、ある保護者と話をしながら、強烈に感じていたのはそういうことだった。