カイト・カフェ

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「子どもの被教育力が低下しているのに、社会の要求は高まっている」~学校教育冬の時代②

 教員の指導力が問題となっていますが、指導力が低下したなどというのはとんでもないことです。特に平成になってから採用された先生たちはべらぼうに優秀です。教委や研究会を通して100年も研修や研究を積んできながら、指導研究が後退したなど、ありえないことです。
 歴史的に見ても夏目漱石の『坊ちゃん』や『我輩は猫である』に出てくる教員はロクなものでなく、私自身の経験からも(私は特に優秀な先生が揃っていると言われる中学に通っていましたが)今の先生たちに比べたら実に平凡、あるいはそれ以下です。教員の指導力は確実に高まっている、それは明らかなことですしそのことを前提としない教育論はまったく無意味です。
 しかしそれにも関わらず、現実に児童・生徒に関わる重大な問題が増加し、また学力は低下している(と言われる)のはなぜか。

 それは一も二もなく、児童・生徒の「教育を受ける能力」が低下したからです。きちんと座っている、つまらなくても人の話を聞く、人格の優劣に関わらず先生と呼ばれる人を信頼する、言われたことはきちんとその通りに行おうとする、少なくとも他人の邪魔をしない・・・・

 一方、それは教員に寄せる社会の要求が、教員の(あるいは人間の)能力を越えるところまで高まってしまったからとも言えます。サルを人間に教育できると考える人はいませんが、人間である以上どんな問題を抱えた子でも、教師は必ず教育できるはずだと信じて疑わない人がたくさんいます。熱意と努力と工夫さえあれば、すべての子どもを東大に入れる程度の力はあるはずだと、信じて疑いません(ドラゴン桜)。現代のすさまじい学校叩きや教員批判はすべてそうした非現実的なものの上に立っています。そしてそうした状況の中で、かつて優秀だった教員が「普通の先生」に、かつて平凡だった教員が「不適格教員」になりつつあります。

 さて、私たちは今や極限近くまで学校を開放しましたし、マスコミを主力とする学校批判に異常なまでに誠実に反応してきました。また、社会の要求に対しては、ほとんど無定見に応えるようにしてきました。先生方は皆こぞってよく努力します。そろそろ限界ですが、しかしこうした方向はあと10年は続くでしょう。
 これまでの10年間、心の病気で休職する教員は3倍の3500人ほどになりました。採用後3年以内に退職する若い教員は1500人ほどです。次の10年でそれぞれが3倍となり、1万人が心の病で休職し5000人が若年退職するようになるでしょう。一般職の自殺も増えますが、管理職の自殺はそれを越えて増加します。それでも社会は現実を理解しないかもしれませんが、いつか根本的な解決に向かう可能性がないわけではありません。

 あと10年。その頃私はこの世界のいませんが、皆様。お心とお身体を大切にし、どうかがんばって凌いでください。きっと何とかなります(たぶん)。