カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「横並び・我慢強さ・協調性・ムラ、百姓はこころ病まない」~今年の畑の準備ができて考えたこと①

 今年の畑の準備ができた。
 明日にも苗を買いに行って、植え付けを始めよう。
 農業は私たちの感性と深いつながりがある。
 稲作が私たち日本人を創り上げたのだ。
という話。(写真:SuperT)

【今年の畑の準備完了~畑づくりには順序がある】

 晴耕雨読と言いますが、必ずしもタイミングよくことが進むとは限らず、今年の3月末から4月上旬にかけては天候が悪く、毎日、雨読、雨読、雨読でやきもきしましたが、ここにきて今度は、晴耕、晴耕、晴耕・・・。おかげでヘトヘトですが、いちおう今年も畑の準備が整いました。今日明日あたり、苗を買ってきて植え付けようと思います。

 当たり前の話ですが、作物は種類によってそれぞれ収穫の時期が違います。しかし種を撒いたり苗を植えたりする時期も異なり、時を外すと苗が売っていないということも起きたりするのです。
 かつてジャガイモとネギで時期を逸してつくれなかったことがあったので、この二つには特に気を遣います。ブロッコリ・キャベツ・レタスの苗も少し早めに出て来て早くなくなります。他は――ナスだとかキュウリだとかトマトだとかは、だいたい同じ時期に出てくるので忘れることはありません。

 種から育てるものの中には5月、6月、あるいは7月に入ってからでないと蒔けないものもありますが、苗と違って売り切れるということがないのであまり気を遣わなくても済みます。

 こうした知識は、頭のいい人なら本を読んだだけで覚えられることでしょうが、私の場合は失敗を繰り返しながら身に着けて行くしかありませんでした。よそ様がやっているのを見ては後追いするということも多くて、気候による年ごとの微妙な時期調整などは、それが一番間違いないと言えます。このような隣りに合わせて行う農業のやり方を、「隣り百姓」と言います。

【横並び・我慢強さ・協調性・ムラ】

 日本人は横並びを好み突出することを嫌うといいますが、こと農業に関しては横並びの方が有利であって、誰も種を蒔かない1月に種まきを敢行したり、野菜の品薄になる時期の収穫を狙って11月に種を蒔いたりすることは、工場栽培など特殊な状況でない限り、ありえません。愚か者のすることです。「出る杭は打たれる」というのは単に突出してはいけないということではなく、普通のやり方から逸脱してはいけないという横並びの意味も含んでいるのかもしれません。

 農耕民族はまた、我慢強くなります。どれほど天候が悪くなろうと、政治状況が変わろうとも、田畑を担いで逃げるわけにはいかないからです。家畜の食べるエサを求めて移動を続ける遊牧民や、ユダヤ人のように迫害を受けたらいつでも脱出できるよう商工業を中心に生業としてきた民族にも、それぞれの辛さと対処の仕方があると思いますが、「じっと耐える」形にハマりやすいのはやはり農耕民族でしょう。

 さらに同じ農耕でも、畑作中心の欧米と稲作中心の東アジアとでは文化のかたちが違ってきます。というのは水田づくりには畑づくりよりもはるかに大規模な土木工事が必要だからです。
 とにかく水田は全部が水平でなくてはいけません。ですから傾斜がきつくなるほど田の区分けは細かくなり、形もさまざまなものになって行きます。典型的なのは棚田ですが、石川県の輪島の千枚田などを見ると、昔の農民の異常な執念を感じたりします。
 田に水を引く水路は、場所によっては千分の一(1km流れて1m下がる)といったわずかな勾配しか取れないこともあり、極めて優秀な技術が必要でした。
 もちろん水田ですから、田の水が抜けない技術も大切です。

 そしていったん水田ができあがると、人々はその場を離れられなくなります。原野を畑にするのも大変ですが、水田にするのは途方もなく大変だからです。自分の田を守るために人々はムラをつくり、人間関係を閉鎖します。その伝統が今日まで続いています。

【百姓はこころ病まない】

 農業というのはとてもシンプルな世界です。
 ある年のある作物が、予想外に採れなかった場合、悪いのは自分か天候です。それ以外ではありません。誰かにおもねれば収穫高が増えただろうとか、家族内にだれか邪な人間がいたから不作になったということでもありません。

 天候が悪かったか、私が何かした。水やりをサボった、遅霜(おそじも)対策を怠った、病害虫への対応が遅れた等々――。ですから誰かを恨むでもありませんし、あれこれ思案する必要もありません。
 台風一過ですべてが洗い流されても、今年一年を雑穀や草の根を齧って凌げば、来年の豊作は保証されているようなものです。なぜなら田畑が流されたということは上流から運ばれた肥沃な土が、洪水のあとに残されたということなのですから。
 
 かつて私は同僚の父親で、専業農家の方からこんな話を聞いたことがあります。
「百姓はこころ病まない」
 たしかにその通りです。人間関係だとこうはいかないのですが、百姓仕事には総じて悩むこともストレスもありません。シンプルで、がんばるか受け入れるしかない世界だからです。
(この稿、続く)

*「百姓」という言葉を差別用語のように感じる人がいます。
 しかしこの言葉は、「鄧」やら「周」やらと極端に姓の種類の少ない中国で、国民のことを「百姓(百の姓)」と呼んだことに由来します。当時の国民(百の姓)はほぼ全員が農業従事者であったため、百姓=国民=農業従事者となって、百姓は農業従事者と同一視されるに至ったのです。私は国民であることにも農業に携わっていることにも誇りを感じていますので、百姓という言葉も好んで使用しています。

「『悪い子』の反対は『いい子』? そして 『竜馬はどこへ行ったか』」~日本人にも難しい日本語③

 「悪い子」の反対は「よい子」なのか「いい子」なのか、
 「行く」の読みは「いく」と「ゆく」どちらが本来の姿なのだか。
 調べ始めたらとんでもないことが出てきた。
 私はこれまで何を学んできたのだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【「悪い子」の反対は「いい子」なのか】

 次の◯◯に入る言葉はなにか。
「◯◯子、悪い子、普通の子」
 1980年代前半に一世を風靡した「欽どん!」というテレビ番組の人気コーナーの名前です。リアルタイムで見ていた人たちはかなりの年齢になるかと思いますが、知らなくても◯◯に入る言葉は予想がつくでしょう。その上で「良い子」なのか「いい子」なのかは問題になります。

 答えは「良い子」。40年余り前だとすんなり気持ちに入るところですが、もしかしたら現在だと違和感を持つ人もいるかもしれません。「いい子」でないとピンとこないという人も多くなっているはずです。
 私も文章を書いていてしばしば迷うところですが、「よい」は書き言葉的で「いい」は話し言葉的だと感じても、一昨日お話しした「なんで」→「なぜ」ほどの差はなく、どちらも普通に使えそうです。それでいて「良い」はやはり格式ばった感じで、「いい」は気楽な感じがするような気もします。
 調べると「良い」と「いい」はほぼ等価で、そもそも一方が他方に変化したというようなものではなく、成り立ちからして違うようです。

【「よい(良い)」と「いい」】

 「よい」は歴史も古く、『日本書紀』『万葉集』の時代から使われていてその終止形は「よし」。それに対して「いい」は江戸中期から使用例のある言葉で、元になったのは「えい(ゑい)」または「ええ(ゑゑ)」という侠客の話ことばだったようです。その「えい(ゑい)」が「いい」に変化していった――。
 そう言えば時代劇や古い芝居などではお年寄りが、
「ええ子じゃのう」
と子どもを誉める場面があって、てっきり私は「いい」が訛って「ええ(またはえい)」になったと思っていたのですが、順序が逆でした。「ええ(またはえい)」が「いい」になったのです。
 昨日「古い言葉は辺境に残る」と言いましたが、年寄りの口に残るのはある意味で当たり前です。
 
 ですからどちらを使ってもよさそうなものですが、「よい」を使えば少し古めかしく、少し硬くなること、そして「よい」には活用形が揃っていることも、覚えておくと何かと便利です。
「よ(かろう)」「よか(った)」「よい」「よい(とき)」「よけれ(ば)」(形容詞の活用には命令形はない)

 「いい」の方には終止形の「いい」と連体形の「いい」しかありません。しかし言葉は生き物、なかなか原則的に行かない面もあって、「いい」の連用形は方言として「いかった」などとして存在するのです。最近の若者も「いかったね」などと言いません? 面白いものです。

【「いく(行く)」と「ゆく」】

 今回思いついて調べ直したことの三つ目は「いく(行く)」と「ゆく」です。
 私はやはり「行く」は、「いく」でないと気持ちが悪い。もしかしたら子どものころ、日本語を覚えて増やしていく過程に、頼りにしたのが人との会話より書物だったためかもしれません。私の日本語は、書き言葉に忠実な面が強いようなのです。

 昨日も申し上げたように、「言う」は書き言葉では「いう」なので私も基本的に「イウ」と発音するのが日常です。「ユウ」に近くなることはあっても「ユー」には絶対なりません。なぜなら子供向けのどんな本を見ても「ゆー」と書いてあるものは絶無だからです。
 同様に「行く」は平仮名書きだと「いく」であって「ゆく」と書くことは普通はありませんから、私の発音も「いく」になります。動詞としての活用形も、
「いか(ない)」「いき(ます)」「いく」「いく(とき)」「いけ(ば)」「行け」と揃っています。
 だから「いく」が書き言葉的で、固く、古い感じがして、「ゆく」が口語的で文章になじまない――となんとなく思っていたのです。「ゆく」は過去形にもできませんし――。

 もっともそんな私でも、ピンと来ないのが「行方不明」です。気持ちとしては「いくえふめい」と発音したいのですが、これがすこぶる言いにくい。しかも発音できたとしても、榊原郁恵ちゃんがどこかに行ってしまった(郁恵不明)みたいな感じになって意味も取りにくくなります。極めつきはワープロで、少なくともwordでは「いくえふめい」で変換することができないのです(幾重不明・・・何重にも不明?)。

【驚くべき事実】

 この問題はこれまでも気になりながら、無精で放置してきたものです。それが今回調べたらとんでもないことになっていたのです。

「いく」も「ゆく」もともに万葉集に出てくるほどの歴史ある言葉で、どちらが正しいとかどちらが正式とかいうことのないと、そこまでは簡単に受け入れられます。ところがNHK放送文化研究所の解説によると、
一般的に、「ゆく」は文章的ないし詩的な文脈で使われ、「いく」は口語的・日常的な文脈で使われます。
だといいます。「いく」が文章的で「ゆく」が口語的だと、漫然と思っていた私の感じ方と正反対だったのです。
 しかもこの話はNHK放送文化研究所のサイトの「最近気になる放送用語」「街道をゆく」のページにあったものなのです。
 言われてみれば同じ司馬遼太郎の有名な小説も「竜馬がゆく」、大晦日紅白歌合戦の後番組は「ゆく年、くる年」、軍歌は「海ゆかば」、唱歌は「更~けゆく」、松尾芭蕉は「行く春や鳥啼き魚の目は涙 (ゆくはるや とりなき うおのめはなみだ)」と、「ゆく」の方が文語的・書き言葉的である証拠はいくらでも出てきます。
 私は今日まで何をやってきたのでしょう?
(この稿、終了)

「自信崩壊:『いう(言う)』と『ゆう』」~日本人にも難しい日本語②

 Facebookの元教え子の日本語表記が気になる。
 「ゆう」は「いう」、「そうゆう」は「そういう」に、
 それぞれ書き換えるべきではないか――
 そう思って調べたら、とんでもない事実が判明した。
 という話。
(写真:フォトAC)

【四半世紀前の教え子にいうべきか】

 10数年前Twitterを始めとするSNSの興隆に乗り遅れまいと、片っぱしアカウントを取ったのですが、現在、日常的に稼働しているのはLINEくらいのもの。X(旧Twitter)やFacebookYoutubeはほぼ毎日開きますが、投稿することは稀。Youtubeとインスタに至っては登録時に動画や画像を上げただけで、以後、自分から発信することはなくなっています。撮影ということにはまったく興味も自信もないのです。
 
 本名で運営しているのはFacebookのみ。投稿の公開は「友人まで」としてありますから、ごく内輪で近況報告をやっている感じです。齢が齢なので実際の「友だち」や先輩にFacebookをやっている人は少なく、必然的に「友達」元教え子の比率が高くなっています。10数年前は独身で、夜の時間を持て余していた子も多かったのです。
 
 そんな教え子の中のひとり、多忙な中でも精力的に更新を続けている子がいます。
 気持ちは分かります。表現欲に駆られてどんなに忙しい時も更新し続けるというのは、現役のころの私も同じでした。ただしその子の写真は私など足元にも及ばないほどうまく、文章もうまい。忙中閑ありで仕事以外の生活の基礎に芸術があり、音楽を愛し、美術を楽しみ、美しい自然や事物に心惹かれ、そうしたものに触れてはエッセイのように更新してくるのです。子どものころもいい子でしたが、おとなになってもいい子に恵まれたと、内心とても喜んでいました。唯一のことを除いて――。
 
 それはこの子が「いう」(動詞)と書くべきところで「ゆう」を使うという点です。動詞の「いう(言う)」も連体詞の「そういう」も、いずれの場合も「ゆう」「そうゆう」と書く、それが私の言語感覚にいちいち引っかかります。

【「いう」と「ゆう」】

 「いう(言う)」も「そういう」も、決して「ゆう」「そうゆう」と同じではありません。「ゆう」は極めて口語的で、おそらく歴史も新しい――。なぜそう思うのかというと、「いう」には活用形があって、
「いわ(ない)・いえ(ば)、いう、いう(とき)、いえ(ば)、いえ」
と揃うのに、「ゆう」を無理に活用させれば、
「ゆわ(ない)、ゆえ(ば)、ゆう、ゆう(とき)、ゆえ(ば)、ゆえ」
と、まるで髪結いさんと話しているみたいな感じになってしまいます。命令形なんて「言え」という意味で「ゆえ」使ったら、髪が結われてしまったということになりかねません。

 それにそもそも「いう」を「ゆう」と発音すること自体が間違っていて、極力「いう(iu)」に近づけて発音するべきだ、と私は思っていたのです。
 そこで説得力を持たせるため、NHK放送研究所のサイトに行って『「言う」の発音は[イウ]か[ユー]か』というページをみたら、こんなふうに書いてありました。
『終止形と連体形の場合、ひらがな表記は「いう」ですが、発音は[ユー]です』
 え? 発音は〔ユー〕?
 しかも続けて、
「活用した場合の発音は[イワナイ、イイマス、ユー、ユートキ、イエバ、イエ]となります」
 オイ!

【自分でやってみた】

 そこで改めて発音してみると、例えば「また、そういうことを言う!」の「そういう」も「言う!」も私は「イウ」と発音しています。少し訛った感じで「ユウ」に近づいた印象はありますが「ユウ」ではありませんしましてや「ユー」だなんてことはあるはずがないのです。

 次に同じ文章をメモにして妻に読ませると、彼女は、
「また、そうユーことをイウ!」
と、面倒くさい差をつけて発音してみせます。私が「イウ」を指摘すると、
「あら、そう?」
とか言ってもう一度文を読むのですが、意識して読んだせいか今度は両方とも「ユー」になってしまいます。
 よくわかりませんが、微妙なことだけは確かなようです。

【自信崩壊】

 NHKによれば、
『ひらがな表記は「いう」です』

とありますから、とりあえずは私が正しく元教え子が間違っているということにしてもらいましょう。しかし彼女が意図的に「ゆう」を使っている可能性があり、もしかしたら個性として打ち出しているのかもしれません。どう読んでもその部分だけが異質なので、可能性としてはないわけではありません。私も他のひとなら「・・・」とするところを、あまりにも思わせぶりが強い感じがして嫌で、わざと一般的でない「――」を使おうとします。それが私のこだわりですから、似たような意味で彼女が「ゆう」を使っているとしたら、私が引き下がらざるを得ません。したがってこの部分は「判定ナシ」ということになります。

 発音は[ユー]ですは、実際に「イウ」と発音している人間からすると決して承服できるものではありません。しかし天下のNHKが言っている以上、少なくとも日本人の大多数は「ユー」と発音しているのでしょう。だとしたら私の負けということになるのでしょうか?
 
 そう思ったらあちこち自信がなくなってきて、そちこちが不安になってきたりします。
 例えば「いい子」と「よい子」、どう使い分けるのでしょう。「いく(行く)」と「ゆく」。何が違ってどう使い分けたらいいのでしょう。
 もう三途の川が見えそうな今になって、そんなことがとても気になってきたおんです。
(この稿、続く)

「英米人にとっても難しい英語、日本語は楽だが落とし穴がある」~日本人にも難しい日本語①

  日本人に比べ、欧米人には識字障害が極端に多い。
  それは英語が難しすぎるからだ。
  それに比べたらはるかに楽だが、
  日本語にだって難しさはある。
 という話。(写真:フォトAC)

【識字障害の話】

 識字障害(ディスレクシア)というのは知的障害がないのに文字が音に結びつかず、文字が読めなかったり書けなかったりする発達障害のひとつです。英語圏では大人の10%~20%にディスクレシアの傾向があると言われ、俳優のトム・クルーズやローランド・ブルーム、同じ「パイレーツ・オブ・カリビアン」のキーラ・ナイトレイ、映画監督のスティーブン・スピルバーグ。古くはレオナルド・ダ・ヴィンチエジソンアインシュタイン等は、みんな識字障害を告白したり疑われたりしています。政治家のブッシュ(ジュニア)元大統領も、愛読書は「はらぺこあおむし」だと言っていたくらいですから相当に怪しいと言えます(特にIAEAとかいった略語が苦手でした)。
 日本人の識字障害の発現率は、きちんとした統計がないのですが、推定で4・6%程度だと言われ、欧米人よりかなり低くなっています。これについて「欧米では識字障害に関する研究が進んでいるため、より多くが掘り起こされている」という見方もありますが、私は、基本的に英語の表記が難しすぎるからだと思っています。

【英語は英米の人にとっても難しい】

 日本人だって欧米人だって頭の良し悪しは同じです。科学も芸術も、あちらが優秀でこちらはダメだなどということはなく、同じように考え、同じように何かを生み出せませます。
 ところがそうした思考を司る日本語と英語の、文字だけに注目すると、日本語は平仮名の清音だけでも46文字。促音、拗音、濁点、半濁点などの表現もいれると106もの文字表現があって、カタカナを含めると2倍。さらに漢字は小学校で習うものだけでも1026文字、それを含めた常用漢字は2136文字もあるのです。
 日本人がそれだけ大量の文字を用いてようやく行っている思考や概念操作を、欧米人はアルファベット、わずか26文字でやり遂げようというのですから難しいに決まっています。
『「beautiful」は「ビューティフル」であって、「ベアウティフル」ではない』
という日本の子どもの、英語習得の最初で最大の関門は、欧米の子どもだって同じなのです。結局おとなになってもうまくいかない人は、いくらでもいます。

 それに対して日本の子どもは、基本的に小学校の1年生を終えると自分の考えたことをすべて文字に起こせます。平仮名だらけだと読みにくいかもしれませんが、書けることは書けるのです。英米人には絶対に真似できない――ほんとうに幸せですね。

【日本語の表記の例外「は」「へ」「を」】

 ところがそんな便利さに余裕を見せていると、意外なところに落とし穴があったりします。
 最初の例は助詞の「は」「へ」「を」です。

 「私は」の最初の「わ」と最後の「は」は同じ「ワ」という音です。「駅へ」の最初の「え」と最後の「へ」も同じ「エ」です。同様に「お菓子を」の「お」と「を」も同じ「オ」です――と説明すると、必ず異論が出ます。
 愛媛県出身者の多くが、そして静岡県でも長野県でも、愛知県や滋賀県茨城県の一部でも、『「を」は「wo」だろ』と言い出す人が出てくるのです。実際にそのように発音しているからです。もう20年以上前のことですが、それが犯罪捜査の決め手になったこともあります。
(同じように「私は」の最初の「わ」と最後の「は」を使い分ける人たちがいて、それは高知県西部に実在する、という話を聞いたことがあるのですが、いまだに確認できていません)
 
 なぜ日本の中に「を」を「wo」と発音する人がいて、しかもけっこうな数で日本のあちこちにバラバラに存在するのかというと、いずれの御時(おんとき)にか、日本人の大多数が「を」を「wo」と発音する時代があって(*1)、その後、変化の激しい都会を中心に「を」を「o」と発音するように変化したのに、田舎は乗り遅れて残ったと考えるのが合理的でしょう。
 発音ばかりでなく品詞にも同じ現象が起こり、身元を特定されたくないので具体的には言いませんが、我が田舎県にも、日本中で私のところと京都でしか通用しない物品の名称があったりします。同じ現象は地球規模でもあって、現在でもブラジルの日本人社会には戦前の古い日本語がかなり残っているといいます。古い言葉は辺境に残るのです。
*1・・・詳しくは「ハ行転呼」を調べるといいかもしれません。

話し言葉と書き言葉】

 英語に比べたらはるかに少ない日本語表記の難しい側面には、他にも「話し言葉」と「書き言葉」の違いなどもあります。
 現在はかなりあいまいですが、それでも「やっと」だとか「やっぱり」とかいった話し言葉を文章にするときは「ようやく」や「やはり」に書き換えた方が無難です。かぎかっこ付きで話し言葉だと示した上で「やっと」「やっぱり」と書くのはかまいませんが、何の前提もなく地の文に使うと違和感を持つ人は出てきます。
 他にも「なんで」→「なぜ」、「どっち」→「どちら」、「でも/だけど」→「しかし/だが」など、ある程度の勉強をして使えるようにしておかないと、話し言葉と書き言葉が混在して、文章がぎくしゃくする場合も少なくありません。

 さらに、それとは違いますが「~なんです」と「~なのです」、「ぼくんち」と「ぼくの家(うち)」のような撥音便に関わる表記の修正ということもあります。
 英語ほどではないにしても、日本語の表記のルールも意外と面倒くさいものです。

【タイム・アップ】

 さて、以上は私が数十年かけてようやく身につけて来た文章の基本ルールの一部です。ここ20年近くは毎年200日以上、最近では原稿用紙で1日10枚程度の文章を書きながら磨いてきたものですが、それほどやって来たにも関わらず、まったく気づかなかったことがあり、今日はそれについて書こうと思ったのです。
 しかし本論に至る前に、あれこれ思い出したり調べたりしているだけで、時間が来てしまいました。いつもの悪い癖です。
 続きは、明日お話ししましょう。
(この稿、続く)

「私たちが奴隷になっていくことへの憤り」~人生のハンドルを自分で握る者②

 文明社会で人は依存的に、つまり幼児のようになって行く。
 大人になるべき時にも、その機会を取り逃す。
 長じては自ら進んで人生のハンドルを放棄してしまう。
 私たちはただ、誰かの恩情にすがる奴隷となりつつあるのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【文明人は幼い。幼児ならもうしばらくは幼くてもいいが・・・】

 文明人とは自分たちがやっていたことを、他人や機械やシステムに代行してもらう人たちのことです。したがって文明人はどうしても依存的になりがちです。一般に依存的な人間を、私たちは「幼稚だ」と表現します。

 もちろん幼稚であってもいい人間もいます。さしずめ我が孫2号のイーツなどは、もうしばらく幼稚でいてもかまいません。4歳ですから。
 しかしこの子にもそう遠からず頑張ってもらわなくてはならないでしょう。そうしないと「より価値の高いもののために価値の低いものを諦める」――つまり高垣忠一郎が「『ケレドモ』でふみこたえ、『ケレドモ』をテコに起き上がる」(*1)と書いた「誇り高き4歳児」になる前に5歳の誕生日を迎えしてしまうからです。
*1・・・高垣忠一郎「登校拒否・不登校を巡って」(青木書店 1991)から引用
 
 この引用部分の前に、高垣はこんなことを書いています。
 三歳児は他のだれにやってもらうのでもない。まさに「自分でする」ことになによりもこだわる。それが周囲の大人の「いけません」と衝突するとき、「強情」「片意地」「反抗癖」など、いわゆる「反抗現象」が生じる。(中略)
(したがって彼らは)がむしゃらに自我を主張し、反抗するのではなく、自らの要求や意志と外的な要請との矛盾を調整することを学ばなければならない。
 彼らはそれを「早く乗りたいけれども順番だから待つ」「淋しいけれども、お兄ちゃんだからお留守番をする」という「~ダケレドモ~スル」という自制心(自律心)の獲得によって実現してゆく。ほぼ4歳前後のことである。

【12歳にして4歳の発達課題も克服できていない】

 この文章を読んだ後で、先日紹介した《クラス内で君臨していた8人組から仲間外れになった元ナンバー2の女の子(小学6年生、12歳)》のことを考えると、実に陰惨な気分になってきます。その子は12歳にもなって4歳児の発達課題を克服できていないのです。しかも周囲のおとなは誰も、親も教師もその他の人々も、彼女の課題を指摘し、乗り越えさせようとしません。成長を促す人はひとりもいないのです。
 
 いじめ問題では常に「いじめる側が100%悪い」「いじめられた側が変化を求められることはあってはならない」とされ続けたからです。変わるべきは周囲の人々、特に仲間外れにした子たちで、本来は原状回復(元のナンバー2に暖かく迎え入れること)をすべきだがそれができないので、事態はまったく動かないことになってしまったのです。
 私も含め、結局誰からも本質的な支援は受けられなかったのですから、その意味では本当に可哀そうな子でした。
 ただそれでも12歳です。まだ間に合う可能性はありました。問題は大人です。

【大人たちの「あれもこれも」】

 「自治会の仕事の大部分は、政府・地方公共団体がすべきこと」という考え方に、私はいったん与してもいいように思います。その上で、政府や地方公共団体自治会から仕事を取り上げられるだけ十分な税金を、あなたは払うかどうかと言われたとき、素直に頷く気持ちにはなれません。とんでもなく高率の増税が予想されるからです。
 
 例えば地域にある公共施設(ゴミの集積所や児童公園、駅周辺の道路等)の清掃や整備、草むしりや樹木の整枝など、それらを地域住民が満足する水準で行おうとしたらどれほどの人数を雇わなければならないか。そのための費用がどれほどかかるのか、考えただけでも空恐ろしいものがあります。夜間、市内を巡回して防犯灯の付け替えだけをする専門公務員というのも生まれてくるかもしれません。
 消火栓や消火ホースの付け替えなどは、今は自治会が一部資金を出して早めにやってもらっていましたが、全額公費となれば役所がやってくれる順番も遅くなります。早くしたければその分の増税を受け入れればいいだけのことですが・・・。


 ヨーロッパの先進国は20%を越える消費税で(正確に言えばドイツは19%、他は20~25%)日本の1.65倍(ドイツ)から2.27倍(フランス)もの公務員を雇って公共サービスを維持しているのです。自治会が一部肩代わりしてくれる日本は、もともと安上がりに過ぎたのかもしれません。
 しかし今から2倍の消費税、1.5倍以上の公務員なんて、だれも受け入れたりはしないでしょう。おそらく自治会を潰した場合も大型の増税など不可能で、自治会が担っていた分のサービスがなくなるだけです。
 人々は「自治会など面倒くさくて時代遅れだ」といったその口で、「公共サービスが低下した」「税金ばかりが増えていく」と怒り続けるしかなくなります。
 
 学校も然り。
 PTAの補助で特別教室にエアコンを設置して問題となった学校もありましたが、もちろんそれは筋違いで公費で行うべきものだという考えはもっともですが、その主張が通ってPTAが一切金を出さなかったりPTAそのものを解散してしまったら、教委は代わりに特別教室にエアコンを入れてくれたでしょうか? 入れるにしても数年先の順番待ちか、他の必要機材と交換で入れてくれるにすぎません。
「私の払ったPTA会費が本来公費で行うべきエアコン設置に使われている」と怒ったその口で、「いつまでたってもエアコンが入らない」「エアコンは入ったが、サッカーゴールは壊れたまま」と言わなくてはいけないのは目に見えています。

【私たちが奴隷になっていくことへの憤り】

 ここまで書いてきて、私は自分自身の怒りのありどころがどこなのか、ようやくわかってきます。
 教職員労組組合がほとんどなきも同然になってしまったことも、PTAが次々と解散していきそうなことも、自治会からどんどん人がいなくなっていることも、イライラはしますが決定的なことではありません。
 問題は、
「昭和は組織優先で個を蔑ろにした時代。それに対して令和は個人を優先する時代」(最近のネット・ニュースに見た表現)
と言いながら、組織を解体して個人を切り離し、巨大な力に個で対峙する世界がつくられつつあることです。権力に対して個で立ち向かったらひとたまりもありません。奴隷にされるだけです。

 春闘を見てみればいいのです。組合組織のしっかりした大企業では賃金交渉も満額回答、あるいは希望を上回る回答が次々と出されているのに、組合のない企業は交渉もありませんからひたすら経営者の善意にすがるだけです。教員だって組合は実質的にありませんから、政府の恩情にすがって教員の働き方改革に良き政策が下ろされること祈っているだけです。戦う教師がいても、行政の最末端(校長)と局地戦を戦っているだけで、稀に勝つことはあっても数年経って校長が変われば、あっという間に元に戻ってしまいます。
 それもこれも、私たちが人生のハンドルを自分自身で握ることに執着しなかったためのことです。目の前の安逸を優先して汗を流すことを拒否したために、社会的人間としてのバワーを失ってしまったのです。
 私はそれが腹立たしいのです。
(この稿、終了)