カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「誰のためのPTA・自治会か」~人生のハンドルを自分で握る者①

 知らないうちに私の地元の小中学校からもPTAがなくなった。
 保護者を代表する人がいなくなったことに、誰も怖れを感じない。
 その事実が、また私には恐ろしい。
 同じく自治会も消されようとしているが、それも怖い。
といういつもの話。(写真:フォトAC)

 PTAの問題はすでに何回も扱っていますが、重要で、危機感の大きなことなので、改めて記しておきます。

【人生のハンドルは自分で握っていたい】

 これは単なる性分の問題なのかもしれませんが、私は自分の人生のハンドルは最後まで自分で握っていたい人間です。ですから他人の運転する車に乗ることは好みませんし、飛行機より船が好きです。大して泳げないのですから遭難したら空も海も同じですが、最後は自力でじたばたしたいのです。もちろん病気になって手術が必要な時に自分で執刀という訳にも行きませんが、手術を受けるかどうかの判断は自分でしなくては気がすみません。自分で決めたこと、自分で犯したことの責任は、自分で取ります。

――と、ずいぶん仰々しい書き出しですが、何があったのかというと、昨年、近隣の中学校でPTAを廃止してしまったと衝撃を受けたばかりなのに、今年度はなんと現在の私の住所を学区とする小中学校が、同時にPTAを廃止してしまったらしいのです。
 両校ともPTA作業など保護者の協力が必要な場合には校内にボランティア・グループを立ち上げて対応するようなのですが、「役はしなくて済む」「PTA会費は払わなくて済む」「仕事を休んだり休日を返上したりしての作業や活動がなくなって楽」だと大好評だといいます。
 
 私は両校に子どもがいるわけでもありませんし、孫が通う予定もありませんから未来永劫に渡って無関係のはずですが、それでもPTAがなくなると聞くと震えます。ネット動画で高いビルを飛び渡るパルクールを見ているだけでも震えるように、生理的な戦慄が走るのです。
 学校から保護者代表がいなくなってしまうのですよ? 怖くはないですか?

【保護者の代表がいないということ】

 例えば修学旅行先で子どもたちが大地震に遭ったら、事故に遭ったら、食中毒かなにかで集団で入院したら、誰が学校へ情報を引き出しに行ってくれるのですか? 学校をせっついて一秒でも早く対応策を引き出す仕事は、誰がしてくれるのですか? 保護者の方にあるかもしれない斬新なアイデアを拾い上げ、学校に伝える仕事は誰がしてくれるのでしょう? みんなで大挙して職員室に押しかけるのですか? 声の大きな人に任せてしまうのですか? それとも学校が良き情報をもたらしてくれるよう、心の中で祈りながら指を咥えて待っているのでしょうか?

 ――私が人生のハンドルを握っていたいというのはそういうことです。これまではいざというとき、PTA会長を動かせば良かったのです。議員も使えますが、そんな大ナタを最初から振り回しては、東日本大震災のときに福島第一原発に駆けつけた菅直人元首相のように、現場にとって迷惑なだけです。できれば穏便に、素早く、正確に、融和的にことを運びたいものです。そのためには常設の保護者代表が是非とも必要で、PTA会長はそのためにいるのです。

【自分たちの学校の利益が誰かに奪われるかもしれないということ】

 もうひとつ――PTA会長の中には、学校の利益になることを積極的に引き出してくるような人がたくさんいるということ、それも見逃せません。
 卒業式や入学式の来賓控室が格好の陳情の場だという話はつい先日しましたが、そうした特別な日ばかりではなく、日常的に役所・役場に行ってあれこれ相談してきてくれる会長がいます。市町村PTA連合会の会合や何かで顔見知りになっていますから、議員や市町村教委と話が通しやすいのです。その人たちが予備の予算を優先的に取っていきます。しかしPTA会長のいない学校には一銭も回ってこないかもしれません。校長先生あたりが頑張ってくれても、自分たちの血を流さない(自前の予算をつくらない)学校に、好意的な教委もないでしょう。予算は枯渇したらそれで最後、あとからどんどん増えてくるようなものではありませんから、順番が回ってくる頃にはもう金はないのかもしれません。

【文明人は働かかずに利益を得る夢を見る】

 文明というのは自分たちがやっていたことを他人や機械やシステムに代行してもらうことです。したがって文明人にとって「自分たちがしないこと」と「利益を得ること」はセットになります。そのスローガン、
「できるだけ少ないコストでより大きな利益を」
は、まさに消費者マインドそのものです。学校の保護者や地域の住民は、今や自立的な協力者から単なる消費者になり替わろうとしています。いや、すでになってしまいました。

 しかし安心・安全は必ずしも他人まかせで十分なものではありません。無限の予算があるわけでもないし、金がないからと言って先延ばしにしていいようなものでもなく、自力で補わなくてはならない部分がたくさんある部分です。そのためにつくられたのがPTAであり、労働組合であり、そして町内会(自治会)なのです。

 私は地元の小中学校がPTAをなくしてしまったことのツケは必ず払う日が来ると思っています。なぜならPTAに助けられて学校運営をして来た事実を、ずっと見て来たからです。「PTAがなくなっても、何も困らなかった」という人たちは、PTAを表層でしか見ていない人たちです。

自治会のうた~自治会加入キャンペーン~】

 学校におけるPTAと同じ役割を地域で担っているのが自治会(町内会)です。
 街の美化や防災・安全は一義的には地方自治体の仕事です。しかしだからと言って私たちは際限なく高い税金を払い、高負担=高公共サービスの社会を実現しようとは思っているわけでもありません。税金はほどほどに、しかし不足分の公共サービスは自分たちで何とかしましましょう――それが自治会です。自分たちの組織ですから街灯の蛍光灯1本を取り換えるのも、とにかく早い。市町村に任せておいたらいつになるか分からない仕事を、自治会は自分たちでやろうとしているのです。自力更生が身上なのです。

 私は最近「自治会のうた」という曲があるのを知りました。福岡県飯塚市飯塚市自治会連合会が一緒につくった一部ラップ風の曲です。飯塚市のサイト(*1)にはこんなふうに紹介されています。
飯塚市では、若い世代(Z世代・ミレニアル世代)にも自治会活動に興味を持ってもらいたいとの思いで、オリジナルソング「自治会のうた」のミュージックビデオを飯塚市自治会連合会と一緒に制作しました。
若者から支持を集める7coさんが楽曲を制作、ラップ系のチルソングに仕上げていただきました。
「若い世代に自治会の存在に気づいてほしい」
まずは、この動画を見てみることから始めてみませんか』
 とりあえず、見てみましょう。
(この稿、続く)

「出口なし、八方塞がりのいじめ事件。結局、道はひとつしかなかった」~困った子、困っている子の話③

 文科省の定義に対照すれば明らかないじめ事件。
 しかし解決の道がない。
 どうなればいいのか、本人にも分からない。
 結局、その子が別の道を探すしかなかったのだ。
という話。
(写真:フォトAC)

【定義に照らし合わせるとやはり“いじめ”】

 異動で移った時にはすでにこじれ切っていた「いじめ=不登校」事件ですから、もはや私には手の打ちようがなかったと言えば言い訳も立つのかもしれません。けれどもっと早い段階からかかわっていれば解決の糸口は見えたのかというと、それも微妙です。

 当時の文科省のいじめの定義は次のようなものでした。
『本調査(*1)において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。』
*1・・・「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」

 この定義に合わせると、彼女をハブった(死語だな)のは、ちょっとツッパった感じのかつての仲間ですから「一定の人間関係のある者」には違いありません。無視や仲間外しが「攻撃」ならそのグループから心理的、物理的な攻撃を受けた」ことにもなります。もちろん学校に来られないほどの「精神的苦痛を感じている」のは間違いありませんから、これは明らかないじめ事件ということになります。
 学校も県教委担当者も地元議員も、「いじめられた児童生徒の立場に立って」いじめかどうか判断しようとしていますから、本人が「睨まれた」と言えば睨まれただろうと考えざるを得ませんし、「無視された」と言えば無視されたのだろうなと受け入れざるを得ません。

【しかし“加害者”にも言い分はある】

 ところが加害者たち(もとは8人組、被害者をハブって今は7人組)に言わせると、
「いろいろうるさいから見ないようにしていると『無視した』と言われる。無視したと言われないように目を逸らさないと『睨んだ』と言われる。何をやってもいじめと言われる。じゃあ、いったいどうすりゃいのよ」
ということになります。特に私が赴任してきた4月にはすでに学校の全職員が7人組の動向を見張っているようなありさまで、とうてい攻撃的な行動に出られるような状況ではなかったのです。しかし被害者が「(隠れている特別支援学級の教室の)壁をドンと叩いた」「外でわざとらしく咳払いをした」などと訴えられると、一応、聞かざるを得ません。なにしろ判断は「いじめられた児童生徒の立場に立って行う」ですから。

 もちろんリーダー格の子の、
「私はただあの子が嫌いになっただけ。そうしたら他の子もみんなあの子が嫌いになった」
には無理があり、例えば自分が「あの子、ウザくて面倒くさいね。もう話すのやめるワ」と言えば次に何が起こるかは十分に分かっていたはずですから、これが意図的な仲間外しであることには違いありません。しかしそれではどういう解決の方法があるのかと言えば、それも難しいのです。

【出口なし、八方塞がり】

 これが保育園児や小学校1~2年生くらいだと楽です。保育士や教師は子どもたちを集めてこう言えばいいのです。
「仲間外しはいけないことでしょ? さあ、仲直りをして、また一緒に遊びなさい」
 そしてその場で「ごめんね=いいよ」をやると、だいたいその場は収まります。
 大人だったら金で解決できます。心の傷には慰謝料という対応策があります。
 しかし小学校6年生はそういう訳にはいきません。7人組に謝らせて、元のナンバー2の位置に戻し、昔のように肩で風を切ってブイブイやる、そのお手伝いを学校や県教委や市会議員がやるというのもピンときませんし、6年生はそんな指導を受け入れません。
「一度つき合い始めたら、イヤになってもずっと仲よくし続けなくちゃいけないの!?」
というリーダーの言い分には、ある程度の説得力があります。

 7人組のうちのひとりはこんなふうにも言います。
「私だって昔ハブられたことがあった。でも親にも先生にも言わなかった。言わずに我慢して、そのうち仲直りして、今は昔と同じようにやれるようになってきた。それをあの子ったらすぐに大人に言いつけて、いじめだ、いじめだって・・・いじめでも何でもないのにいじめだって言われるなら、ホントにいじめてやりたくなる」
 それも分からないではありません。

 そもそも当時の文科省の定義自体が厄介で、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、「表面的・形式的に行うことなく」と言っているにも関わらず、「いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」と最初から形式が決まっていますし、“いじめかどうかの判断はいじめられた児童生徒の立場に立って行う”という言い方自体が論理矛盾です。言葉を変えて、「殴られたかどうかの判断は、殴られた子どもの立場に立って行う」と言えばその奇妙さは自ずと際立ってこようというものです。「殴られた子ども」と言っている以上、殴られたかどうかの判断なんて必要ないのです。

【結局、道はひとつしかなかった】

 元の8人組のナンバー2に返り咲くという原状回復もありえず、金で解決することもできず、かといってクラスで別グループに繋がるとか、一人で生きるとか、あるいはかつてハブられた7人組のひとりのようにじっと時機到来を待つといったこともできず、さらに大人たちがお膳立てしてくれた「転校」とい方法での再スタートも蹴散らしてしまい――結局その子は1年間、さみだれ登校を続けたあとで学区外の別の中学校に進学しました。
 ほどなくそこでもいじめられて登校できなくなっているという噂を耳にしましたが、実際はどうか知りません。アフター・メンテナンスに不熱心なのは、教師のひとつの特徴です(送り出した子は数千人もいますから)。
 
 今こうして思い出しながら記録し直すと、あのクラスは女子だけでも18名、男女合わせると37名もの子どもがいたのです。なにもあの8人組にこだわらず、クラスの中に別の居場所を探せばよかったのです。そのための40人学級でしょ? おそらくそれが唯一の解決策で、そのための人間関係スキルも磨いておくべきでした。
 しかしクラスの中の大きなグループのナンバー2に君臨していた彼女には、今さら地位が低い他の子どもたちと一緒になることなど、とてもではないができない相談でした。どう考えてもその道はない。返り咲きもない、転校して上手くやれる自信もない、大人たちもロクな提案をしてくれない、そこで年じゅう焦れている――。
 
 無視される、睨まれた、笑われた、遠くでひそひそ話で私の悪口を言っている、授業中に隣の席でわざとものを落として音を立てる――そうした申し立てがあるたびに、学校も県教委も議員も熱心に聞いて対応しようとしてきました。しかしそれはお昼寝をしなかった私の孫2号のイーツと同じで、ひとつひとつの訴えに対応する必要はなく、本質的な部分に対策を打つべきだったのです。
 イーツの場合は昼寝をさせる工夫です。元ナンバー2のあの子には改めて人間関係の学びをさせること、それが本来やるべきことでした。
(この稿、終了)

《参考》
 いじめ防止対策推進法の施行に伴い、平成25年度からいじめは以下のとおり定義されています。
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
「いじめ」の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。これらについては、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、警察と連携した対応を取ることが必要である。

「私が思い出したあるいじめ事件の話」~困った子、困っている子の話②

 孫2号の不機嫌のベースには、
 昼寝をしなかったことによる寝不足がある。
 と、そのとき思い出したのは、遠い昔のいじめ事件。
 あの時のあの子も、ほんとうは眠かったのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

【原因は睡魔という不条理】

 昨日、娘や孫と外食に出た際、自動車内の座席が思った通りじゃないと孫2号のイーツが怒り出し、何をやってもダメだったというお話をしました。
 少し高級な回転寿司屋に行ったのですが、そこでもご機嫌は斜めで、運ばれてきた直送レーンの返却ボタンを押しそこなったと怒り、注文の際にタブレットの「サビ抜きボタン」を押し忘れて(自分でやった)食べられない寿司が来たといっては拗ね、せっかくの私の外食は「ヤレヤレ」といった感じになってしまいます。
 母親のシーナはそれでも強く叱りもせず、なにやかやとその場をやり過ごそうとします。そういう親ではないと思っていたのでシーナの甘い対応には少し驚きましたが、毎日毎時間この調子では叱り切るのも難しいのかもしれません。怒るたびに大泣きされても困ります。
 
 さて、そうこうするうちにまた何か勝手が違ったようで大泣きを始めたので、シーナはイーツを抱きよせて、
「ホラ、やっぱお昼寝しないとダメじゃん」
 そう言えば正月に来た時はまだお昼寝の習慣があって、私が寝かせつけていたのです。それが今回はありません。
「そう言えば、昼寝しなかったな」
「電車の中で少し寝ちゃったから無理だと思ってさせなかったの。そもそも最近は、ウチでは眠らなくなってる」
 保育園ではみんなと一緒なので内弁慶のイーツは“良い子でお昼寝”をしているらしいのですが、休日の自宅ではほとんどしなくなっているというのです。おかげで夜は早い。
 たっぷり寿司を食べて帰路に就くと、車内では秒殺といった感じでイーツは眠りに落ちました。

 思い出してみると夕方以降とそれ以前とでは、難しいといってもその様子に決定的な違いがありました。日中の方がまだかなり制御しやすかったし、物わかりの良い面もあたのです。
 それが3時過ぎころからどんどん調子が悪くなっていって、やがて手の施しようがなくなる、なだめてもなかなか治まらない、怒りの原因を除去しても怒り本体はなくならない、イーツ自身にも対応策がない、何がいけないのか本人も分からない――。
 
 その原因が車内の座席の位置でも、寿司の直送レーンのボタンを兄に押されたことでも、さび抜きを忘れたことでもなく、単に眠かったということ。しかも「じゃあしばらく眠るか」と言えば睡眠不足の自覚がないのでおそらく眠らず、状況が改善される余地もない(ただし車に乗せて走り出せば眠る)。
 私はそこで、昔、関わったことのある、小学校6年生の女の子のことを思い出したのです。

【あるいじめ事件の話(思い出したもうひとつのこと)】

 20年近くも前のことですが、私が新たに赴任した小学校は重大ないじめ問題を抱えていました。そのため4月当初の授業参観は全クラスが人権教育、目の前に全国学力学習状況調査という未経験の(その年が第一回だった)重要案件があったにもかかわらず、全校一斉の人権講話というのも実施され、学校はさながら「人権教育」=「いじめ対策」の花盛りみたいでした。事情の分からない新任の私たちは目を白黒させるばかり。

 何があったのかというと、前の年の秋、5年生の一クラスで幅を利かせていた8名ほどの女子グループのナンバー2が、トップに疎まれて、仲間からはじき出されたのです。トップの女の子に言わせると、
「私はただあの子が嫌いになっただけ。そうしたら他の子もみんなあの子が嫌いになった、ただそれだけ。嫌いな人と仲よく遊べというのが最初からムリ」
ということですが、ちょっと腰骨の曲がったような女の子の集団では、トップのやり方が無言の圧力となって下々にまで徹底されるのは、よくあることです。しかし人間関係なんて集合離散が常。集団から弾かれたら別の集団に行くか、しばらく孤立したままで時を過ごし状況が変わるのを待つとか、対応の仕方はいくらでもあります。それなのに弾かれた子は最後まで8人に、しかもナンバー2にこだわり続けたようです。
 仲間外れにされた、話しかけても無視される、睨まれた、笑われた、遠くでひそひそ話で私の悪口を言っている、授業中に隣の席でわざとものを落として音を立てる、もう怖くて学校にもいけない――。
 その声は市教委を飛び越えて県教委にまで届き、地元選出の市会議員にも伝えられました。関わる大人が一気に増えて、私が赴任した4月には、県の指導でさまざまな対策が打たれるとともに、市会議員も交えて善後策を練らなくてはならないような大事件になっていたのです。

【学校は人が大勢いるからいいのに――】

 少し話はずれますが、現在進行中の35人学級制度、それでも人数が多すぎるので将来は30人以下にすべきだといった話があります。
 しかし30人以下学級制度というのは31人になったら自動的に2クラスにする、つまり15人と16人の2学級をつくるというものです。15人と16人はまだ許容できる人数ですが、男女別に考えると必ずしも男女8人と7人、もしくは男女8人ずつになるとは限りません。
 私は僻地の学校で単級(1学年1クラス)14人というクラスを受け持ったことがありますが、そのときの男女比は11対3。女の子が3人しかいないクラスはほんとうにたいへんでした。どんなに気が合わなくてもいつも3人で行動しないといけない、油断すると誰かが2対1の仲間外れみたいな感じになってしまうので非常に苦しいのです。1年間ずっと無理をして仲の良いふりをし続けたのですが、翌年一人転入してきたら、いつでも2対2に分離できるようになって精神的に安定しました。
 人数が少なくて楽になるのは学級担任だけであって、児童生徒の立場からすると少なすぎる方がむしろ苦しいのです。人間関係の逃げ場がないというのが一番ですが、悪さをすればすぐにすぐに見つかるし、授業中の指名もれやすい。体育では跳び箱や走り幅跳びでスタートラインに戻るともう試技の順番が来ているなど、休む暇がない等々。
閑話休題

【実は眠かったのかもしれない】

 教室に入れないからといって別室が用意できるわけでもありませんし、教委が特別に教員を一人配当してくれるともありません。だからと言っていつまでも家に置いておくわけにもいかないので、養護教諭に頼み込んでしばらく保健室で過ごすことにしました。しかしとにかく相手は7人もいるのでケガをしても具合が悪くても保健室に行くなとは言えず、次は特別支援学級の片隅を借りて学年の職員が代わる代わる様子を見に行くようにしたのですが、それでも隙を見て7人のうちの誰かがドアをどんと叩いたとか、廊下で大きな咳ばらいをしたとか・・・、教師たちは7人組のトップはもちろん残る6人もグイグイ締め上げたり宥めたりしていますから、そんな威嚇するようなことはできないはずなのに、それでも被害の訴えはやまない――。
 手の打ちようがなくなって困っているところに、市会議員の絡んだ転校話が持ち上がり、特例として可能になった転校のその朝、突然、「転校はしない」と言い出して「元のクラスで頑張る(だから中の人間関係を元に戻して)」みたいな話になります。
 ある年配の女性教師はこんなふうに呟きました。
「7人組のリーダーは仲間の鼻づらを掴んで引きずり回し、あの子は大人の鼻面を掴んで引き回す。似たようなものだね」
 私もそう思いました、そのときは。しかし今はこんなふうにも思うのです。
「あの子、結局、孫のイーツと同じように、お昼寝が足りなかったのかもしれないな――」
(この稿、続く)

「惣領の甚六、次男坊には鬼が出る」~困った子、困っている子の話①

 娘が二人の子を連れて五日余りの里帰り。
 しかし次男坊が驚くほど難しくなっていた。
 怒る・泣く・喚く・意地悪をする――、
 そして私は、あることを思い出したのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【シーナ、里帰りする】

 先週の月曜日(1日)から金曜日(5日)まで、長女のシーナが二人の息子を連れて里帰りしてきました。上のハーヴは8歳で小学校の3年生になったばかり、下のイーツが4歳で今年保育園の年中組になりました(もちろん3人とも仮名、日本人です)。
 なぜ土日をはずして月~金という週日にやって来たのかというと、シーナは現在、在宅で仕事をしており、ハーヴの学校が始まるまでの一週間、親に子守をさせて自分は働こうと考えたからのようです。
 親(私)に東京まで来てもらうという選択肢もなかったわけではありませんし、そもそもハーヴは学童保育、イーツは保育園と、預かってもらう道もあったのですが、三人で里帰りしてしまえば“一切食事を食つくらなくてもいい(夫は自分で何とかできる)”という大きなメリットがあります。またそうした下心は抜きにしても、子どもたちを連れて行けば私たちが喜びますから、ちょっとした親孝行にもなるはずです。
 最近シーナの義理の妹の配偶者が、母親を亡くすというできごとがあって、自分の親とほぼ同年代の人の死に、慌てて少し、小まめに親孝行しておこうという気になったのかもしれません。

【イーツ、絶賛反抗期】

 正月に会ったばかりでさほど時間は経っていないのに、しかし今回は今までにないことがありました。次男のイーツが「お母さんのひっつき虫」になっていて、何かにつけて「お母さん」でなくてはいけなくなっていたのです。そのくせしょっちゅう癇癪を起して、泣いたりわめいたり、毒づいていたりします。
 基本的には兄のハーヴと仲がいいのに、ハーヴが手にしているものを何も言わずに奪っていって怒らせたり、逆に弟のイーツが遊んでいるものをハーヴが貸してほしいと頼んでもなかなか譲ってくれなかったり、何かと諍いのタネを振りまいてやみません。興が乗るととんでもないおしゃべりになり、けれど全部をきちんと聞いて反応しないと泣いて怒ります。

 ぬいぐるみにこだわりがあって、あれもこれも持って行きたいというのをシーナが説得してそこそこ大きなパンダ一匹にして持って来たのですが、そのパンダが部屋の真ん中であおむけになっていたので隅に片付けると、「ボクのパンダなんだからそんなところに置かないで」と奪っていき、しかもものの1分もしないうちに別の部屋で放置されている。
 次々と遊びを変えて、遊んだ端から道具やらオモチャやらを床やテーブルに放置する。叱ると「だってハーちゃんが・・・」と関係のない兄を巻き込んで言い訳をし、なぜか逆切れして不機嫌になる。
 外食に出た自家用車の後部座席では、真ん中の席に行きたかったのにお母さんが先に座ってしまったと泣いて怒り、母親が場所を代わっても「そんなの嫌だ!」「そんなの嫌だ!」といって泣き続ける。もはや「そんなの」が何なのか、誰にも分らない――。

 私はシーナやその弟が子どもだったころは、十分に時間を使って子育てをし、十二分に楽しんで何の悔いもないつもりでいました。しかしそれでもシーナのところに二人の子どもが生まれ、若い夫婦が育てていく姿を見ると羨ましくてしかたがない気持ちでいっぱいになったものです。ただし今度ばかりは少し違いました。単純に羨ましいなどとは言っていられません。
「こりゃ、なかなか大変だワ」

【惣領の甚六、次男坊には鬼が出る】

 あるいは、私が単純に娘夫婦を羨ましがったり、ふたりの子育てに感心できたのは、たぶんに長男のハーヴの資質によるものだったのかもしれません。のちのちそれが問題の予兆であったと分かるのですが、とにかくハーヴは育てやすかった。新生児仮死で生まれ、寝返りやハイハイはとても遅く、発達検査ではしばしば引っかかって不安や心配は山ほどでしたが、育てずらいということはまったくなかったのです。
 寝つきはよく、夜泣きもほとんどせず、よくミルクを飲んでむずかることもない。すでに生後2~3か月のころ、子育て初心者のシーナが夫に「こんなことありえない、この子は特別。育てやすい。だから2番目も3番目もこうだと思ったら間違いよ、きっと」と言っていたほどでした。

 その予言は的中して二番子のイーツはこの始末。ことわざにも「惣領の甚六(*1)、次男坊には鬼が出る」と言いますが、次子は長子ほどおっとりと育ってはくれないようです。
――と、そうこうしているうちに、私は二つのことを同時に思い出します。
*1「そうりょうのじんろく」・・・長男や長女は、大事に育てられるので、弟や妹に比べると、おっとりしていてお人好しである。

【思い出した二つのこと】

 ひとつは単純な連想で、
「そう言えば私の二人の子、シーナとアキュラも同じだったな」
という話です。
 私は当時としては遅い35歳の結婚で、36歳でシーナの父に、40歳でアキュラの父親になりましたが、もともと子ども好きだったので二人が生れると嬉しくて、最初からずいぶんと可愛がって大切に育てました。特にシーナはこれといった病気もせず、健康に育てることができたので、”やはり齢を取ってからの子育てはそれなりの経験も経て、自信をもって向かえるからいいものだな”と、密かに自賛していたのです。ところがその自信はアキュラの誕生とともに崩れ落ちます。

 まず、生後一カ月足らずのころ、入浴中に湯の中で取り落として水中に沈めるというできごとがありました。気持ちよさそうに浮かんでいたのでこちらもゆったりとしていたら、いきなり暴れて私の腕の中からすっぽり滑り落ちたのです。もちろん拾い上げました。
 生後8か月で歩行器に乗ったまま廊下を猛ダッシュ――そのまま玄関の三和土に落ちて額を5針縫う大けが。11カ月のつかまり立ちのころには、親の目が離れたすきに、できもしない「テーブルクロス引き」をやり、上に乗っていた淹れたてのコーヒーを肩からかぶって大やけど。2歳で押入れの上の段から飛び降りて足を骨折。
 姉は靴下が嫌いで、保育園の未満児クラスに入れたら真冬でも脱いでしまい、一年じゅう靴下なし。それで健康に暮らしたので同じことをしたら、弟の方はアッという間に風邪を引いて入院です。
 要するに上の子のシーナは、親である私たちが年かさで、優秀だったからうまく育てられたのではなく、単に”生まれながら強く賢い子だったからそうなった”というだけのことだったようなのです。
 考えてみれば私と弟の数十年前の姿も、よく似た感じだったと思います。
 
 思い出した2番目は、それよりもずっと深刻な話です。かつて私の勤めていた小学校の6年生にとても難しい困った女の子がいたのですが、それが今のイーツにそっくりだと、とつぜん気づいたのです。
(この稿、続く)

「こうしてみると改めて凄まじい四月の月暦」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと(最終)

 入学式・始業式が終わっても楽にはならない。
 子どもがくるとなおさら切羽詰まる。
 しかし忙しさの大部分は不可欠な内容でつくられている。
 削れない、人を増やすしかない。
 という話。(写真:フォトAC)

【子どもが来るとなおさら切羽詰まる】

 怒涛の4日間が終わって学校は一応の落ち着きを取り戻し、日常の生活が始まる――という訳ではありません。いままで教職員全体の動きに合わせていなければならなかった上に、さらに児童生徒の動きが被さって教師個人の動きを制約するからです。

 それでも小学校の場合は新一年生のみが学校探検だの給食配膳練習だのと非日常的な日々を送り、他学年は次第に日常的な生活に戻っていくことができますが、中学校はそういう訳にはいきません。新一年生の学級担任が自分のクラスの学級指導(学習オリエンテーションや学級内係編成、委員会編成・校内巡り・給食指導など)に縛られている間、その先生が教科担任として2~3年生のクラスに来てくれることはないからです。必然的に2~3年生の学級担任も自分のクラスに縛られます。
 学校によっては2~3年生に「進級お祝いテスト」などという少しも嬉しくない試験を実施するところがありますが、半分以上は時間つぶしが目的のようなものです。試験監督なら自分の教科でなくても、学級担任で対応できますから。

【こうしてみると改めてすさまじい四月の行事】

 温泉ガエルとか熱湯カエルとかいった寓話があります。
「ビーカーの中で次第に温められ茹でられたカエルは機を逸して死ぬが、最初から熱湯を入れたビーカーに投げ込まれたカエルは瞬時に飛び出して助かる」
というものです。
 いま改めて学校の4月暦を眺め、学校のすごさ・すさまじさ・異常さに気づけるのは、私のように時間を経て現場感覚を失った者と、初任者だけなのかもしれません。
 
 文章を今日の一行目まで戻して――、
 怒涛の4日間が終わって、しかし学校の殺人的な多忙はまだまだ続いていきます。ネット上で拾ったある中学校の4月暦を見ると次のようになっています。
  5日 対面式、生徒会オリエンテーション、PTA引継ぎ会
 8日 1年部活説明会、学習オリエンテーション、交通安全教室
 9日 部活見学開始、PTA三役会、専門委員会
10日 避難訓練
11日 身体測定、第一回生徒会
12日 内科検診、防犯教室
15日 全国学力学習状況調査
16日 地区生徒会
17日~23日 家庭訪問①~家庭訪問⑤
24日 歯科検診、生徒総会
25日 参観日、学級PTA、PTA総会
26日 部活発足会
30日 後援会三役会 
 とりあえず4月中だけでこれほどですが、保健行事だけでもやり残しが「検尿」「血液検査」「心電図」「耳鼻科検診」「眼科検診」。歯磨きをしっかりしましょうといった「歯科指導」も、きちんとした食事・栄養摂取の習慣づけを目指す「食育」も早めにやっておかなければなりません。
 課外では部活動も一年生を迎えて、いよいよ本格化します。

 生徒に関わらないので月暦には入ってきませんが、教員評価は4月から始まりますし、初任者には初任者研修が、そして1学年担任には指導要録の作成といった仕事もあります。
 改めて見る私も驚きますが、新任の先生方、あるいは4年目くらいまでの先生方が絶望的なまでに大変なのはよくわかる話です。

【家庭はどこまで子どもの健康に気を遣ってくれるのだろうか】

 月暦や年間暦を見るだけで、学校が至れり尽くせりの場であることが分かります。ときどき、
「学校は勉強を教えるところ。教科以外のことは家庭に返すべきだ」
と言ったりする人がいますが、身体測定や内科検診、歯科検診などを家庭に返して、どれだけの家が対応してくれるでしょう?
 ここは注意深い表現で言いますが、私の家は夫婦で教員でしたからこれらについてはきちんとやったはずです。人間ドックの料金を参考にすれば歯科検診を入れても毎年4万円ほどの出費で済むでしょう。病気になってからでは4万円では済まない可能性もありますから年休をとってでも連れて行きます。その上で当然、自分たちの子が親になった場合も同じことを強制し、孫たちの健康を守ります。
 しかしやらない家、できない家も少なくないはず。放っておくと小学校6年生でも永久歯のほとんどないという子どもが出てきますし、重大な疾患が見過ごされたりもします。
 これは格差の問題です。学校教育はそもそも格差解消が最大の使命のひとつだったはずです。

 またこれを経済面から考えると、身体測定や検診を親に任せた場合、将来の医療費はとんでもなく膨れ上がるということです。医療保険を、使う人が増えて病気のために払えない人が増えます。子ども時代の不摂生のために有能な人材が次々と倒れ、税金を払う人が減って使う人が増えます。
 子どもを家庭に返すためには、社会的勇気が必要です。

【生涯に渡って命を守る教育】

 避難訓練や交通安全教室は、児童生徒がその学校に在学している間だけの危機管理ではありません。「身を守るということはどういうことなのか」「どういう行動が結局は安全に繋がるのか」を知って生涯に渡って実践できるよう、心と体と反射神経を育てておくためのものです。
 一昨日、台湾東方で発生した地震による津波のため、沖縄県各地の島々では多くの人々が高台に避難しました。時節柄かなりの観光客も一緒に避難せざるを得ませんでしたが、見知らぬ土地でもパニックに陥ることなく、無事避難できたようです。もちろん東日本大震災の際の体験がありますが、実際に動けるのは幼いころから繰り返してきた避難訓練のおかげだと私は思っています。
 今年1月2日の日航機・海保機衝突事故で 日航機の400人近い乗員乗客が、わずか三か所の出口からたった18分で脱出できた―― そんな奇跡を可能にしたのも、間違いなく学校教育です(*1)。

【守るべき教育は守る】

 もう一度4月暦に戻ると、全国学力学習状況調査だの教員評価だのは削ることができても、歴史があり定評のある避難訓練などは、どんなに忙しくても削ってはいけないことが分かってきます。しかしもしそれも支えられなくなってきているとしたら、私はやはり人を増やすしかないと思うのです。せっかく定年延長も始まって人を増やせる条件が生れているのです。学校体制を整える最後の機会です。
(この稿、終了)

「入学式・始業式の来賓控室と担任発表あれこれ」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと④

 入学式は比較的に扱いの軽い行事。
 しかし子どもの清新な気持ちは大切にしたい。
 地域の人々が学校に期待していることを知るのもこの日、
 不躾な子どもが担任発表に一喜一憂するのもこの日。
 という話。(写真:フォトAC)

【入学式も大切にしたい】

 卒業式には強い思い入れとこだわりがありますが、入学式にはこれといった思いがないので、とにかく気持ちよく、無事終わってくれればいいと思うだけです。諸外国には入学に際してこれといった儀式のない国はいくらでもありますし、歴史的にも扱いは軽いものでした。

 江戸時代の寺子屋はもちろん、藩士の子にとっては義務教育だったはずの藩校ですら、就学は子どもが学習に耐えられそうだと思ったら始める随時入学で、入学式という概念もなかったのです。藩校では「素読」(本読み)の試験が入試代わりにありましたが、それも落とすための試験ではなく、藩校の学習に耐えうるかどうかを見極めるためのものだったようです。ある意味で、極めて合理的な制度だったと言えます。

 現在は3月までに6歳になっている子どもは個々の能力に関わらず一斉に一年生になります。しかしそこには別の合理もあって、「ほかのみんなと一緒に進級する」というのはやはり大切なことなのです。置いて行かれるのは辛いですし、他に先んじるのも必ずしも良いことではありません。
 また、小学校でこの時期の新1年生に抱負を聞くと、
「国語を頑張りたいです」とか、
「算数が楽しみでです」とか、平気で言います。
 国語や算数が何なのか分からないまま、すごく面白い何かが待っていると単純に思っていられる人生でもっとも幸せん時期ですから、やはり大切にしてあげたいものです。

【来賓控室で何が起きているのか】

 入学式ついてもうひとつ、一般にはあまり知られていない部分について記します。それは来賓控室です。
 来賓控室というのは一般の教職員のあまり出入りする場所ではありませんが、管理職でも挨拶に顔を出す程度で、中で何が行われているのかまったく分からない場です。自分自身が“来賓”となって初めて知ることができます。
 私の場合は退職後しばらく務めた児童館の館長として何回か、地域の小中学校の卒業式・入学式に出席しました。そこで一番驚いたのは、地方議員を始め区長、民生児童委員、その他さまざまな人々が、本気で、大真面目に、地域の子どもが入学したり卒業したりするのを喜んでいる、ということでした。仕事柄あるいは役職上、仕方なく出席しているのかと思ったら、まったくそうではないのです。子どもは、思った以上に地域の宝らしいのです。
 
 さらにもうひとつ“ああなるほどな”と思ったのは、卒入学式の来賓控室というのが、地域の名士の顔つなぎの場、互いの状況の確認と情報交換の場だということです。中でも市町村議員たちは自分がこの地域の利害の代表者だということを改めて示すともに、地域の要望を拾い上げていく場所でもあるのです。
 中学校の3年生などは、あと3年もすれば立派な有権者。今から顔を覚えておいてもらうことも必要でし、地域の学校のために自分が何かをしたという爪痕も残していかなくてはなりません。そのための取材の場のひとつが、卒入学式や運動会の来賓控室もしくは来賓席なのです。
 しかしこのことは、もしかしたら校長先生ですらよく理解できていないことなのかもしれません。分かっているのはPTA会長や地域の役員たちで、ここぞとばかりに学校の窮状や問題点を議員の耳に吹き込み、何とかしてもらおうとします。
 校長を含めて、ほとんどの教員は地元の人間ではありません。地元のことを本気で考えているのやはり地元選出の議員やPTA会長、地区の役員たちです。私は児童館長でしたが地元の児童館に勤めていたわけではなく、その点で疎外感いっぱいでした。その疎外感こそが、逆に他の来賓たちの地元愛の強さを物語っていました。

【担任発表のあれこれ】

 入学式での担任発表が話題になることはほとんどありません。
 というのは小学校でも中学校でも保護者の半数以上は初めての子どもの入学で、学校の様子が分かっていないからです。また新1年生の担任教師の半数以上も、その年に赴任してきた新しい先生で、生徒・保護者に知られていないという場合が少なくないから、互いによく分からないのです。

 ただし中学校でつい先月、卒業生を送り出したばかりの教師の中に特徴的な人がいたりすると、会場がざわめく場合もないわけではありません。特に恐ろしいことで有名な先生の名前が担任として読み上げられると、恐怖と安堵のため息が同時に体育館を揺らすこともあります。しかし稀です。
 小学校でもとんでもないサプライズ人事があったりすると新入生ではなく、その保護者がざわつく場合がありました。私がまさにそれで、名前が呼ばれた瞬間に体育館の後方で驚愕の叫び声が上がり、幽かな笑いとざわめきが広がりました。知らない人は何と思ったのでしょう? わけのわからないまま、恐怖で震えあがった人もいたかもしれません。

 入学式は特別でしたが、始業式となるとそんなことはしょっちゅうで、異動の際の始業式では新任職員紹介の列に並ぶと、
「今度の担任はアレ以外だったら誰でもいいな」
と心の中で思われる “アレ”はたいていの場合、私だったようです。とにかく顔が怖いのだそうです。そしていよいよ「担任発表」となって私の名前が呼ばれると、担任するクラスの付近から異様にほの暗い光が、一瞬放たれるような感じがありました。
 一度などは体育館のうしろの方で、女の子がとんでもなく大きなため息をつくのが聞こえたこともあります。もう30年以上も前のできごとですが、私はその子の名前を今も忘れず言うことができます。
 恨みではありません。私をほんとうにやる気にさせてくれた、大切な子どもだったからです。
(この稿、続く)