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「この国ではどこに行っても世界最高水準の教育が受けられるのに」~特別活動のドーナツ化現象④

 日本の場合、教師が忙しすぎて、特活を減らさざるを得なくなった。
 しかし他に減らすべきものはなかったのか?
 なぜ定評があり価値も人気もある内容が減らされ、
 無意味で役に立つかどうか分からないものばかりが残るのか? 
という話。
(写真:フォトAC)

【コロナ禍で特活を減らしても、何の悪影響もなかった――と思っている】

 海外では尊敬され導入が進みつつある特別活動(以下特活)が日本国内では縮小傾向にあることに、なぜ多くの人々は疑問を持たないのでしょう?
 ひとつには3年間のコロナ禍で、多くの行事が縮小あるいは休止・廃止されたにも関わらず、児童生徒に何の影響もなかったかのように見えるからです。「運動会が表現と短距離走だけになっても誰も困らなかった」「音楽会が学年行事になっても、これといって抗議はなかった」といった具合です。ここ2~3年の間に不登校が急増していることについても、不思議なことに学校行事の縮小との関係で語ろうとする人はひとりもいないようです。私などは運動会や修学旅行など、楽しいことがなくなったから子どもは学校に来なくなったと単純な仮説を立てますが、そんなふうに考える人はいないということです。
 行事が縮小されても、誰も困らなかった、だからこのままでいい、あるいはさらに縮小してもかまわない――多くの人がそう考えるようになっているのです。

【先生たちを楽にする必要】

 しかしさらに大きな要因は、やはり深刻な教員不足。そこから導き出される教員の働き方改革の緊急性でしょう。文科省も「行事の縮小・重点化」を繰り返し指示し、また登校日数を問題にして《日数の多い自治体は必ず減らせ。減らさなかった学校は曝すぞ》とまで脅しをかけていますので、自治体・学校は登校日数を減らさざるを得なくなります。
 確かに学習指導要領を順守すれば授業日数は35週(175日)で済むはずで、それを200日近くもやっているのは算数・数学や国語の授業をやりすぎているのではなく、特活の負うところも非常に多いのです。

【行事を縮小しても焼け石に水

 指導要領によれば「特活」は年間に35時間ということになっていますが、運動会本番で6時間、修学旅行本番で12時間(1泊2日)も取ってしまうと35時間では、とてもではありませんが収まり切りません。そこに膨大な準備・練習時間が加わるのですから。
 それをむりやり減らすとなると、運動会はできるだけ練習時間の少なくて済む簡単なものに、修学旅行は練習や事前学習が少なくて済むお仕着せのパックツアーみたいなものにしたくなります。しかしそこまで内容を後退させると、そもそも運動会や修学旅行は必要かという話になりかねません。
 もしかしたらやがて両方ともなくなってしまうかもしれませんが、とりあえず運動会は半日、修学旅行の1泊2日(中学校では2泊3日)も見直して日帰りということにはなる可能性があります。もっとも運動会を半日にしても節約できる本番の時数は2時間程度(6時間→4時間)。修学旅行もそれ自体は6時間程度の縮減にしかなりません。
 焼け石に水みたいなものです。

【ほかに減らすべきはいくらでもあるだろう】

 児童生徒にとって価値のあるもの楽しみなもの――中学校の部活動や小学校の運動会・音楽会、遠足・修学旅行など、そうしたものを削らなくても、他に削るものはいくらでもあると、私は思うのです。
 
 具体的に言えば子どもたちに直接かかわりのない教員評価・学校評価。あんなものは形骸化してほんとうに久しくなります。
 そもそも教師というのは毎年目標を立ててそれをひとつひとつ達成していくような職業なのでしょうか? 評価者は、被評価者の目標設定が適切なものなのか(過大なのか過小なのか)、実際の達成度はどれほどのものか、それは意味ある活動だったのか、きちんと評価できるのでしょうか? 年3回の面談を、余裕をもって行える学校がいくつあるのでしょう? 
 高校なんて一校平均で50人もの教職員がいます。特別支援学校の校長は寄宿舎の職員を含めると150人もの評価をしています。ひとり3分の面談でも7時間半かかります。地方の中堅都市の教育長は50人余りの校長評価をしますが、その大部分は年に数回会うだけに過ぎません。どんな評価が行われているか、想像がつきそうなものです。
 
 あるいは全国学力学習状況調査。学習状況調査の方はとてもありがたい資料ですのでぜひとも欲しいところですが、それとて悉皆でなくてもいいし毎年でなくてもかまいません。さらに都道府県別・学校別に知らされる成績・順位は、百害あって一利なしです。
 先日(12月12日)も、Yahooニュースが同日発の宮城テレビのニュース【「全国学力テスト」 宮城の算数・数学が「全国ワースト2位」】県教委が学力向上につなげたいと「模範授業」公開(順位は、仙台市を除く宮城県のもの)を転載していましたが、その内容に疑問を持って記事にする人はほとんどいません。
 宮城県教育委員会では、宮城県政令市の仙台市除く)で算数・数学が全国46位となるなどした「全国学力テスト」の結果を受けて「緊急プロジェクトチーム」を設けていて、算数や数学、英語の模範的な授業の様子を教職員に公開するなどして学力の向上につなげたい考えだ。
 
 私の手元には仙台市を除く宮城県のものという細かな順位がないので宮城県全体の数字で見ますが、本年度(令和5年度)、宮城県の小学校算数の順位は45位でした。正答数は16問中9・5問、正答率61%となります。中学校数学は43位。こちらの正答数は15問中7・1問、正答率は47%でした。ところが小学校の1位(東京)は正答数10・7、正答率は67%だったのです。
 宮城県は平均であと1・2問多く正答すれば全国一位になれたのです。全国平均10・0まではわずか0・5問です。同じことを中学校で確認すると、1位の石川県(正答数8・4問)とは1・3問差。全国平均の正答数7・7問と比べると、0・6問違うだけです。これが日本の実力です。

【この国ではどこに行っても世界最高水準の教育が受けられる】

 最近YahooがORICON NEWSから転載した記事に、
「学校というものは基本、始まる時間も、授業の時間割数も、全国の小中学校3万校すべて同じなんです。(中略)全国一律、同じことをしている。この時代にここまで多様性がないことは相当に異常だと感じます」(2023.12.07 ORICON NEWS『教師が抱える“孤独”「授業について語り合う場面がなかった」、150年続く旧態依然とした教育現場の異常』)という部分がありました。私としては38万平方キロメートルという広大な土地を持つ日本の津々浦々――、北は北海道から南は九州沖縄まで、山の中の小さな村や離島の小さな学校でも、大都会でも、どこに行っても同じ高いレベルの教育を受けられることが素晴らしい文化だと思うのですが、いかがでしょう。
 住む町ごとに学校がミッション系だったり仏教系だったり、学力レベルが極端に高かったり低かったり、荒れていたり平和だったりするのでかなわないと思うのですが、とりあえず現在の日本ではどこに行っても、同じ時期には同じような教育が、同じレベルで行われているのです。だから成績もだいたい似たり寄ったり、15~16問中わずか1・2~1・3問しか差がつきません。
 その程度の差にオロオロすることの、なんとバカげたことか。そんなところに時間やエネルギーをかけるくらいなら、運動会で応援団を復活させ、大いに団結の意気を盛り上げた方がよほど人間性のためによろしい――。
 
 その他、理念としては大いに評価できるものの効果に疑問が残ったり、費用対効果が悪すぎるものとして、キャリアパスポートをつなげていくキャリア教育、総合的な学習の時間全部。環境教育や福祉教育は社会科の一部に戻すことはできないのか? さらに言えば、小学校英語だのプログラミング教育だのは、ほんとうに効果があるのか、必要なのか――?
 (この稿、明日、最終)