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「エジプトは日本の教育を真似て世界一の国になるらしい」~特別活動のドーナツ化現象①  

 エジプトやマレーシア・インドネシアといった国々で、
 日本の「特活」を元とした新しい教育が広がろうとしている。
 彼らはなぜTOKKATSUを必要としたのか。
 それは日本人にとってどういう意味があったのか。
という話。(写真:フォトAC)

【世界が注目!日本の教育「TOKKATSU」】

 先週12月6日(水)のNHKクローズアップ現代では、『世界が注目!日本の教育「TOKKATSU」 特別活動の意義は』というタイトルで、日本の学校の「特別活動」という教育が海外で評価され、日本で見直されている実情が報告されました。

 その始まりは桑子アナウンサーのナレーションで、こんなふうでした(《》でくくられた部分は、取材された人物の言葉)。
『日本の教育が今、意外なところで注目されています。それはエジプト。日直、掃除、そして学級会。こうした日本式の教育が「TOKKATSU」と呼ばれ、全国17000校に拡大。いったいなぜ?』
《日本式教育の真の意味を教えれば、エジプトはどの国よりも、上になれます》(エジプトの小学校長)
『一方の日本。今年、運動会を短縮した学校が都内で7割に上るなど、教科以外の教育が削減されています』
《子どもに任せてやらせるよりも、自分が仕切った方がどんなにか早いというのがあるじゃないですか》(日本の教師:それを敢えて子どもにやらせるのが学級会、という意味)
《本当に子どもたちにとって必要なものは何なのか》(日本の教師:行事の削減に関して)
働き方改革ありきで、そのあとに子どもがくっついていったら、本末転倒かな》(日本の教師)
「子どもが輝ける教育とは何なのか、その可能性に迫ります」

【エジプトはTOKKATUで世界一になる】

 この回のクローズアップ現代を視聴して、最初に考えらせられたのは日本式教育を実践するエジプトの小学校長の言葉でした。
「日本式教育の真の意味を教えれば、エジプトはどの国よりも、上になれます」

 日本に学んだのだから「日本の次に上になれます」くらいに控えておけばいいのにと思ったのですが、どの国よりも上、なのです。私は最初、本家の日本ではTOKKATSUが縮小傾向。衰退の一途をたどっているのだから、エジプトが頑張ればやがて世界一、という話かと思ったのですが、どうやらそこまでは失礼ではなかったようです。
 それはエジプト版TOKKATSUの開発者による、次のような説明で分かります。
「聖コーランに書いてあるのは、もうすべてTOKKATSU。読んでいること、守りたいこと、大事にしたいこと全部。でも細かく何をすればいいかは人に任せている。だから『協力』についてエジプト人に聞いたら、3ページ4ページの作文書けると思います。でも、どういうふうに協力する、これはたぶん止まる。日本式教育は作文に書くだけではなく、方法。一番日本が得意なところだと思います」
 つまりエジプトにはコーランがあり、その上にTOKKATSUを乗せるので世界一なのです。

 コーランには詳しくないのですが、イスラムの教えには徹底的な平等志向があり、
「金持ちは貧乏人に施しを与えなければ天国に行けない。だから貧しい人が施しを受けてあげるのは、それ自体が金持ちを天国に近づける施しなのだ」
といった話を聞いたことがあります。つまり平等・公平・協力はイスラム教の最も重要な理念なのですが、だからといってすべての人が日常で同振舞っていいのか、必ずしも分かっていない。それを教えるのがTOKKATUだという訳です。
 私にはその感じ方がとてもよく分かります。

【分かっちゃいるけどやめられない――そんな人間のために】

 子どもの養育、子どもの教育といったものを考えた時、私たちはしばしば主知主義者になります。頭で理解したことが態度に現れないと、しばしば怒るのです。「わかっているならなぜできないのか」と。
 その最大のものがエジプトでは、
アラブの春で強権が倒れ、民主主義の時代が来た。イスラム教徒はもともとコーランによって平等・公平・協力を旨としている。それなのになぜ民主主義をうまく扱えないのか、協力できないのか」
というものなのです。

 しかし日本にはこうした主知主義とは異なった人間観があります。「分かっちゃいるけどやめられない、それが人間なのだ」という考え方、煩悩を認める立場です。
 だから分かること・分からせることも大事だが、それだけでは足りない、論理的裏付けなど不十分であっても、まずやってみる、形から入る、それが大事だと考えるのです。
 
 「協力」について学びたかったら、理念も大事だが、一緒に掃除をしてみよう、挨拶をしあってみよう、お互いの意見をとりあえず聞き合おう。一緒に運動会をやってみよう係活動をしてみよう、修学旅行にも一緒に行こう、そうすれば協力の大切さも具体的にどうすればいいのかも、わかるはずだよ、ということです。

【外国の人々、海外に出た人たちは分かっている】

 先週のNHKクローズアップ現代にゲストとして招かれた杉田洋(ひろし)国学院大学教授は、日本における特活の第一人者で、エジプトではその導入に関わったことから「特活の父」と呼ばれる人ですが、エジプトで爆発的にTOKKATSUが広がっていることについて次のように説明しています。
「何よりその根底に、日本への尊敬の念があります。戦後の復興も3・11の復興も、人的資源、つまり国民の参画によって成し遂げた国(国民)という感覚がありますし、そこにあるのがまさに責任感の強さ、寛容性、謙虚さ協調性みたいなことです。いま少々混乱しているエジプトでは、これが必要だった、この人づくりが必要だった、ということ(が大きな理由)ですね」
 
 また、同じくゲストとして招かれたドキュメンタリー監督の山崎エマさんはこんな体験を語るのです。
「私自身、普通に海外で生活・仕事をしているだけなのに『責任感強いね』『役割を果たしているね』と褒められることが多くて、なんでなんだろうと考えた時、やはり自分自身が受けた日本の小学校の教育がすべての根底にあると気付きました。
 窓を開ける係があり、せっけんを取り替える委員会があり、私自身、掃除大臣という役割をすごいまっとうにこなしていたなという思い出があるのですが、そう考えると、当たり前に行われている日本の教育が海外から見るとすごい画期的な部分もあって、そういったところを日本の教員の皆さん、自信を持ってもらいたいですし、保護者の皆さんなどには、そういった力が想像以上に生きる力に今後なっていくということも知ってほしいと思っています」
 
 こうした話を聞くと私は非常に誇らしいと同時に、激しく苛立つ気持ちも湧き上がってきます。なぜなら外国から評価され、海外に出た日本人が思わず振り返って気づくこうした能力が、日本国内では「日本人に古くから埋め込まれたDNAによるもの」と軽く切り捨てられることが多いからです。
 もちろん言っている本人も科学的な根拠があっていう訳ではなく、苦労して手に入れた記憶がないのにできることに、うまく説明がつかないからそうなるのでしょう。しかし苦労した記憶がないのは、幼稚園・保育園の幼いころから、義務教育9年を経てその先でも、時間をかけ、丁寧に仕上げられたためなのです。
 それがたいへんに価値あるものだと人々が意識しないから手に入れやすかったという側面もあるのでしょう。しかし逆に、今はだからこそ簡単に手ばなそうとする様子が見られます。
 英語教育やプログラミング教育が、特活に優先する課題だと、信じる人が増えたからかもしれません。
 (この稿、続く)