4年前の2012年4月、NHKは「土曜ドラマスペシャル」で「あっこと僕らが生きた夏」(*リンク切れ)を二週連続で放送しました。これは同名のノンフィクションをドラマ化したもので、甲子園を目指す球児と女子マネージャーを描いた物語です。主演は川島海荷さんが務めました。
モデルとなった大分楊志館高校は2007年の夏、ノーシードから19戦無敗で甲子園ベスト8まで進出した伝説の高校です。しかしその夏を、野球部の2年生女子マネージャー大崎耀子(あきこ)さんは甲子園で迎えることができませんでした。上咽頭癌のために入院した福岡市内の病院で、放射線治療を受けていたからです。
球場に行けない耀子さんのために、地区大会では観客席から教師が携帯電話で実況中継し、耀子さんは病院の廊下で、携帯を片手に泣きながら一緒に校歌を歌ったこともあったといいます。そのときどきのウイニングボールは、毎回、全員のサインを入れて病室に届けられました。甲子園に進んでからは、もちろんテレビを通しての応援です。
11月になって一度退院しますが早くも年明けには転移が見つかり、苦しい高校生活を強いられます。体調が悪くて授業に出られないこともしばしばでしたが、グランドに出ると楽になるといってたびたび野球部の練習に顔を出したりしました。
あっこを甲子園に連れていく――野球部はその一心で練習に励み、耀子さんもそれを励みに闘病を続けます。そして地区大会の日、感染予防のためのマスクをつけた姿で耀子さんはマネージャーとしてダッグアウトに入るのです。
これが安易なフィクションだったらチームは破竹の快進撃となるところですが、現実は極めて残酷なものです。
2008年の夏、前年の県大会覇者、甲子園ベスト8の大分楊志館高校はあっけなく地区大会初戦で敗退してしまうのです。「あっこ、ゴメン」と言って主将が耀子さんの肩に手を置く写真には、ほんとうに切ないものがあります。耀子さんの手足は、針のように細く、白いのです。
その年の10月、大崎耀子さんは17歳の若さで亡くなります。
(生きる力くれた仲間 楊志館マネジャー・大崎耀子さん)(*リンク切れ)
今年2016年、それとよく似たできごとがお隣りの福岡県でありました。
福岡古賀竟成館(きょうせいかん)高校の3年生マネージャー舟木あみさんが、福岡大会を目前に、小児癌のために亡くなったのです。(5月30日)
(女子マネ急逝、「甲子園へ」思い胸に 福岡・古賀竟成館)(*リンク切れ)
「甲子園に連れて行くから。一緒に頑張ろう」。約束する谷口君にうなずいた。「夏の大会でスコアを書いてほしい。勝ち進んで時間をつくるから絶対治して」と頼む緒方君の手を握りかえした。
しかしあみさんも野球部員も約束を守れませんでした。あみさんは死によって、野球部員は初戦敗退(コールドゲーム)という、8年前の大分楊志館高校と同じ運命によって、約束をはたせなかったのです。
しかし今回はここからが違っていました。敗れた古賀竟成館は舟木さんと野球部員の写った集合写真を、勝者である光陵高校に託したのです。これを持って甲子園に行ってくれという意味です。
光陵高校は真颯館に、真颯館は九州国際大付属にと負けるたびに写真は勝者に託され、福岡大会を勝ち抜いた九州国際大付属によってそれは甲子園に運ばれます。ついに舟木さんは仲間とともに甲子園の土を踏んだのです。
(急逝女子マネの写真、甲子園に 勝者から勝者へリレー)(*リンク切れ)
ほんとうは古賀竟成館が連れて行ければよかったのですが、志なかばでこの世を去った野球好きの少女を、福岡の球児たちがみんなで甲子園に連れて行くというのも、それはそれで素晴らしいできごとでした。
人は簡単に死んだりするものではありません。
しかしときに、人はあまりにもあっけなくこの世を去っていきます。
私たちはこどもに、それを教えておく必要があります。