カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「重いテーマを淡々と、あるいは軽々しく」~ドラマの中で浪費される人々の苦悩①  

 テレビ・ドラマは社会の重いテーマをどのように扱うことができるか。
 同じ清原伽耶を主人公とする「透明なゆりかご」と「おかえりモネ」
 脚本家も同じ安達奈緒子なのだが、
 描かれ方はまったく違う。
という話。f:id:kite-cafe:20211214075249j:plain(写真:フォトAC)

【「透明なゆりかご」~重苦しいことを淡々と】

 昨日の話の中で、清原果耶という優れた女優さんについて少し触れました。私が字幕付きで見て感心したのは、NHK朝の連続ドラマ「おかえりモネ」でのことです。

 ただしこの人に注目したのはこれが初めてではなく、2年前のNHKドラマ「透明なゆりかご」で主演をしたときのことです。発達障害のある見習い看護師の役で、不器用で誠実で、いつも薄く不安を抱えているような揺れる心をうまく表現していました。当時まだ17歳でした。

 ドラマの原作は、漫画家の沖田✕華(おきた ばっか)さんの「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」。作者の実体験に基づいた物語で、主人公が小さな産院で働きながら、生まれてくる命の重さや大切さに気づいていくという内容です。

 私は沖田さんの作品はひとつも読んでいないのですが、発達障害を扱ったテレビ番組にたびたび出演していて、自身の主観に世界がどういうふうに映るか、どういった点にこだわりがあり、どのようにして社会と折り合いをつけているのか――そういったことをとても分かりやすく説明できる人で、聞いていてとても勉強になります。いわばマンガ界の草間彌生ムンクみたいな人なのです。

 その沖田✕華さんの原作を清原伽耶さんという将来を約束された女優さんが演じ、さらに脇をマイコ、水川あさみ原田美枝子安藤玉恵平岩紙、モトーラ世理奈角替和枝イッセー尾形といった一癖も二癖もありそうな俳優さんたちで固めるわけですから、面白くないわけがありません。

 脚本は安達奈緒子という人でした。この人が再び清原伽耶を主人公に据え、オリジナルに書いたのが「おかえりモネ」という構図になります。NHKの朝の連ドラですからほかの出演者も豪華キャストになるのは明らかです。当然、大きく期待して、VTRながら夫婦で毎日見始めたのです。ところがそれはとんでもない期待外れ、途中からは腹が立ってまじめに見ることもやめてしまいました(妻が見続けたので、私も最後までお付き合いはしたのですが)。


【「おかえりモネ」~重いテーマを軽々と】

 何がいけなかったかというと、物語の中にちりばめられたエピソードが多すぎるのです。
 宮城県気仙沼市の亀島(架空の島)に生まれ育ったモネは、高校を卒業すると登米市山中の森林組合に就職し、そこで気象予報士になる決心をして受験。3回目で合格すると東京のテレビ局に就職。数年勤めたあとで気仙沼に戻ってコミュニティFMの天気予報担当になります。
 もともと東日本大震災に心の傷をもつモネは、高校を出てから森林問題・海洋資源問題、後継者問題、あるいは地域医療の問題等に深く悩み、東京に出てからは各地で頻発する災害に心を痛め、妻を亡くした友人の父親の問題にも触れ、両親の過去の恋愛話あり、本人の恋愛ありと全く盛りだくさんです。

 確かに5カ月間(120回)に及ぶ長丁場ですから、場所を変え、手替え品替えあれこれやらなくてはならないのも分かりますが、その扱いが悪い。
 例えばのちの婚約者の、「死期の近い患者に寄り添えない医師の悩み」というのはそれだけで1本の長編映画ができそうな重い内容なのに、深く悩んで軽く扱われる。車いすのアスリートを気象の側面から支えるというテーマは、これも十分に重いが2週間足らずで克服。シェアハウスの住人には長期のひきこもりもいるというのに、姿の見えないまま思わせぶりだけ残して消える。
 さらに東日本の大震災の避難の際中、担任するクラスの児童を置き去りにして自宅の様子を見に行こうとしてしまった女性教師だの、津波避難に応じない祖母を見捨てて逃げた孫娘だの、どう言葉をかけたらよいのか分からないほど重苦しい問題も、何の解決もなく数日で終了。何もかもあっけなく通り過ぎて行きます。

「それが人生だ、人の苦しみなど他人にとっては単なる人生の一挿話に過ぎない」と言い切る覚悟があってのことならいいのです。
「おかえりモネ」に続く「カム・カム・エブリバディ」では太平洋戦争の末期に主人公の周辺の人々が、これでもか、これでもかというほど死んでいきますが、「それが戦争の実相だ」という明らかな主張があり、あっけない死はそれ自体に意味があります。ところがモネの場合、すべてが軽やかで何もなかったように過ぎていくのです。
 清原伽耶を始めとする一流の俳優たちの熱演がありながら、これではあまりにもお粗末です。

(この稿、続く)