「私、失敗しないので(何もしないから)」~働いていればミスくらいするさ

 生きて働いていればどうしても失敗やミスは起こる。
 しかし若い人が社会に与えられる悪影響など微々たるものだ。
 それで命まで寄こせとは言う人もいないだろう。
 私たち老人は失敗をしないが、それは社会的に何もしていないからだ。

という話。 

f:id:kite-cafe:20211208175937j:plain
(写真:フォトAC)

 

【働かざる者、モノを壊すこともなし】

 昔、先輩の先生から聞いた話です。
 ある日、先輩の奥様が水差しの花を替えようとして落として壊してしまったそうです。同居するお姑さんの大切にしていたものですので、本当に切ない思いをして報告に行くとひとこと、
「働かない者は、モノを壊すこともないで――」
 この話は先輩のお気に入りで、幾度か別の場で聴かされたものです。私も好きです。

 つい先日、娘のシーナから電話がありました。けっこう久しぶりのことで、聞けば仕事中に大きなミスをしたらしく、夫が帰ってくるのも待ちきれず私に話したみたいです。誰かに聞いてもらわなくては気が休まらなかったのでしょう。そこでまず私は後輩から教えられ、自分が大切にしている言葉を伝えます。
「でも、命まで寄こせとは言われんでしょ」
 それから先輩の話を思いだして、
「頑張ってあれこれやるからミスも出る、何もしなければ何も起こらない。仕事はすればするほど失敗の可能性も増えるものだよ。ミスはなくせない」
 シーナは電話口で、
「ああ、そう考えるんだ――」
と感心していました。
(亀の甲より年の功)


【私、失敗しないので(何もしないから)】

 考えてみたら退職この方、私は気に病むような失敗は一度もしたことがありません。もちろん皿を割ったり妙なところで頭をぶつけたりといったことはいくらでもあるのですが、誰にも迷惑をかけない、誰も傷つけない、そんな他愛ないものばかりです。叱られるにしても妻に嫌味を言われるくらいは何の痛痒にもなりません。

 失敗やミスが問題になるのはその人が社会性を持っているからです。何らかの人間関係があって、その人の動きが他者に影響を与えるとき、失敗やミスは自分一人の問題ではなくなります。
 今の私は“職場”という深い人間関係の場を持っていないばかりか、2年に及ぼうとするコロナ禍のため、多くの人間関係を失ったり休止させたりしています。そうなると問題になるような失敗やミスを犯すこと自体がないのです。
 もちろん交通事故を起こすとか犯罪に巻き込まれて対応を迫られるといった可能性もないわけではありません。しかしめったにないことです。

 以前、「昔のことを考えると、迷惑をかけたこと、ひとにいやな思いをさせたことばかりが甦ってくるから嫌だ」といったお話をしましたが、それは多忙の中でたくさん繰り返し、ひとつひとつにこだわっていられないほど犯した失敗やミスの記憶が、ヒマになっていちいち押し寄せているからなのかもしれません。老人の生活というのはそういうものです。
 人に迷惑をかけることもいやな思いをさせることもありませんが、寄与することも誉められることもないのです。


【気にしない、気にしない】

 ツイッターなどで若い先生たちの話を聞いていると、失敗やミスを嘆く声が多く聞かされます。その人たちに私は伝えたい。
「頑張らなければ失敗もミスも起こらない」
「うまくいかなくたって誰も命まで寄こせとは言わんでしょ?」

 同じ失敗を3回以上繰り返すことは稀です(3回以上起こったら少し考えましょう)。社会に対して若い人間が寄与できることもわずかですが、及ぼす悪影響もごくわずかです。
 気にしない、気にしない。