カイト・カフェ

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「いい加減になさい! トリキの錬金術師たちよ!」~君たちが理解できないこと①  

 トリキの錬金術が話題となった。
 もちろん大半の人たちは冷笑する。
 古代~中世の錬金術師と同じように、
 現代の錬金術師にも決定的に理解できていないことがあるからだ。

という話。

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(アドルフ・ヒレミ=ヒルシュル 「アケローン河の御霊」)


【トリキの錬金術師(鳥貴族マラソン)】

 すでに対応がとられて新鮮味を失った話題ですが、先週末、「トリキの錬金術」が評判になって、政府が慌てて声明を出したりました。

 起こったのは要するに、何を注文しても昼食に500円、夕食には1000円分のポイントをつけるというGoToイートの裏をかいて、298円(税込み327円)均一を売りにする焼き鳥チェーン「鳥貴族」で、一皿だけ注文し差額のポイント(昼食173円分、夕食673円分)を荒稼ぎしている人たちがいたということです。鳥貴族マラソンとも言うようです。

 政府は「そんなことは最初から分かっていた、店側が対応すると思っていた」などいけしゃあしゃあと発言していますが、ひとことで済むのですからやはり言っておくべきだったでしょう。
 また、この件に関して「悪いのは悪用する人か、制度か」といった観点から議論する人もいますが、「悪用」と言った時点で「人」の方が悪いに決まっているのであって、制度に欠陥があるならそのつど直して行けばいいのだと私は思います。
 完璧な制度をつくろうとしたらいつまでたっても始まりません。GoToイートなんて人の命や社会秩序に関わる問題ではないのです。まずやって、後から考えるということがあってもいいように思います。

 ただし私がおっとりと構えていられるのはここまでです。制度・政策の問題としてではなく、個人の生き方として考えると、怒り心頭に発するといったところ。
オマエ、恥ずかしくないのか? 情けなくないのか? 舌を噛んで死にたくならないのか?
という話だと思うのです。
 
 

錬金術師、かく語りき】

 トリキの錬金術については、本人たちがSNSに大量に書き込んだことで世間の耳目を集めたようです。「トリキの錬金術、オレもやって来たぜ!」みたいなノリで、レシートまで写真にして何人もが投稿していたのです。
 ツイッターにはこんな書き方をしている人もいました。

鳥貴族マラソン面白い
大爆笑
確かにモラルは無いかもだけどルール違反ではないから問題は無いだろうし気付いた人がどれだけ最初に凸できるかみたいなゲーム感覚なんだろうけどもw
ご飯食べてポイント貯めれるのはやばいw
いつも思うけどこーゆーのを考えてすぐ行動する人凄いなって思う

  
 そう言えば金曜日のNHKニュースで、この件についてインタビューを受けた若者が似たようなことを言っていました。
「ルールとしては間違ったことをしているわけではないので、モラルとしては良くないかもしれないけれど、悪いことではないと思う」
 マスクをして半分顔は隠れていましたが、私はこの子の親でなくて本当によかったと思いました。
 
 

【やってはいけないことは山ほどある】

 この子たちがまず間違っているのはモラルがルールより下の概念だと当然のように考えている点です。世の中にはルールとしては問題ないがモラルに反するからやってはいけないことは、山ほどあるのです。

 例えばレストランで出された“おしぼり”で、足を拭いちゃあマズイでしょ。
 いくら個人の自由だからといっても、それがブームになっているならまだしも、すっぴんにパジャマでスリッパをはいたまま出勤したり登校したら、それもやっぱり問題じゃありませんか?
 通勤電車の中で鼻くそをほじくって、ひとにつけてはいけないので舐めてきれいにし、そのツバだらけの指をハンカチで拭う――それがいけないなんて、法律にも書いてないし駅の掲示にも出ていない。衛生的に考えても最後はハンカチで拭いているから問題はないし、誰かにつけてはいけないと気を遣っているところなどは本当に見上げたものだと――そんなこと、絶対にないでしょ? ダメでしょ?
 鳥貴族で1品だけ頼んでポイントを稼ぐというのはそれくらい恥ずかしいことだと、なぜ思えないのか? 
 
 

錬金術師が理解できないこと】

 よおくイメージを浮かべてみましょう。
 その人は「鳥貴族」入る前、ネット予約する段階から錬金術を使うことを考えてイソイソ(あるいはドキドキ)しています。店の前で少しぐらいは躊躇するかもしれません。
 しかし勇気を振り絞って店内にはいり、さらに勇気を振り絞って(しかし表面は平生を装って)1品だけ注文します。食べます。どんなにおいしくても追加の注文もしなければビールも飲みません。
 それからゆっくりとレジに向かい、冷たい表情の店員から目を背けながら(あるいは逆に店員を見くだしながら)千円札を出して673円のつり銭とレシートをもらいます。キャッシュレス決済をしないのはあとでSNSに上げやすいからです。
 そして外に出るや否やそそくさと、「鳥貴族」の前でレシートと看板を重ねて写真を撮り、「トリキの錬金術、やって来たぜィ!」とか勝ち誇ったように投稿するのです。
 その一連の行為の、どこに美しさがあります? 賢さがあります? 勇気は必要だったかもしれませんが万引き犯と同質のものでしょ? 

 ここに問題の核心があるのです。
 レストランの“おしぼり”で足を拭いてはいけないのも、パジャマにすっぴんで出勤してはいけないのも、通勤電車内で鼻くそをほじくってはいけないのも、トリキの錬金術を使ってはいけないのも、すべて「ルールに則っているかどうか」とか「他人に迷惑をかけているかどうか」といった基準からは計れません。ここで使われる基準は「美しいかどうか」です。

 世の中のマナーや学校で教えられる道徳の大半は、正義の問題ではなく「美しいかどうか」なのです。
――だから難しい。

 トリキの錬金術を賞賛するツイッターのバカ者――もとい!――若者や、インタビューに平然と「ルールとしては問題ない」と答える青年に、決定的に欠けている観点はそこです。
 モーツァルトの音楽やピカソの絵の美しさ・良さが分からない人がいるように、人間の行いの美しさ・良さの理解できない人がいるのです。

(この稿、続く)