カイト・カフェ

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「制服を巡る教師と生徒の仁義なき戦い」~自由制服の話②

 私自身が高校生のころ、巷に広がりつつあった不良服は「長ラン」といってコートのように長い学生服で、裏地に龍やら虎やらの刺繍をあしらったものが最高級ということになっていました。それがカッコウイイと教えられて育ったので、教員になったころ、子どもたちが短ラン・ボンタンを着たがるのはどうにも理解できませんでした。
 あんなハクション大魔王の黒バージョン(この例も、もはやわかりずらいでしょうね)みたいな格好のどこがいいのか、分からなかったのです。
 ただし、上着がピチピチになるとズボンがダブダブ、上着がダブダブだとズボンがピチピチという関係はよく分かります。上下どちらかがゆったりしていないとタバコを入れたりドスをを呑んだりすることができないのです。いずれにしろ危険なファッションです。

 教員時代、私は高校ではなかったので本格的なチンピラ生徒と格闘することはなかったのですが、プチ不良みたいな中学生とはずいぶんしつこく闘争をしてきたものでした。
 特に男の子は、どこにそうした流通経路があるのか、繰り返しボンタン風の太いズボンをはいてきたり、よく見ないとわからない程度に上着の裾を持ち上げてきたりと、毎日いろいろやってくるのでほんとうに大変でした。もちろん違反学生服といってもプチ不良で金もありませんからすべて自作。縫い方も雑で、独身生活の長かった私の方がずっと上手いくらいです。

「なあ、こういうことはもう二度とするな。ってこととは別に、もう少ししっかりと家庭科の勉強しとこうな」

 私のように中学校の教員だとその程度で済みますが、高校の先生たちは大変でした。
 昨日も言ったように違反学生服というのは「“こちら側”と縁を切って“あちら側”に属した」表現ですから教師は絶対に止めたいのです。私もよく「(不良として)デビューさせるな」という言い方をしましたが、“あちら側”についたことを世界に(と言っても大して広くない彼らの世界)に表明した子どもは、しばらく歯止めが利かないのです。ある程度行きつくところまで行かないと納得しません。そして行った先から容易に戻ってこないのです。
 ですからとにかくデビューさせない。

 高校では夜討ち朝駆け、分刻み、秒刻みで指導し、そんな抗争が数十年も続いて、結果、基本的には学校が敗北します。いくらやってもモグラ叩きで納まらないのです。
 そこで多くの高校がやったのは学生服にセーラー服といった古典的な制服を廃し、ブレザーを基本とする各校独自の制服に転換することです。これはうまくいきました。

 学生服という基本形があるから着崩し方にパターンができてしまうのです。長ランの時代には長ラン、短ランの時代には短ランを着ていれば、どんな遠くからでも、その子がその学校の“立派な不良”ということが分かります。長ランは長ければ長いほど、短ランは短ければ短いほど格が上だと表示されます。それがチンピラ君の自尊心をくすぐるわけです。
 ところが着ているのがその学校独自のブレザーとなると、どんな着方をしても外部の者からは分かりません。だからと言ってまさか全校がブレザーの中で一人だけ短ラン・ボンタンというわけもいかない(「他人と同じじゃかなわない、けれどひとりだけ違うのもかなわない」の原則)。かくしてこれで学校側の完全勝利――。
 かのように見えたのですが、中国のことわざに曰く、
「上に政策あれば、下に対策あり」
 そこから不良高校生たちはとんでもない文化を生み出していくのです。 

(この稿、続く)