カイト・カフェ

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「制服をなくしたら制服が返ってきた」~自由制服の話③

 私の理解が間違っていなければ、コギャル・ファッションというのは90年代半ば、茶髪・金髪に長めのつけまつげ、色黒メイクにボディコン、ミニスカートというギャル・ファッションが、高校生のレベルまで降りてきたところから始まりました。
 それまでも髪を染めたり脱色したりといった“不良少女”はいましたが、数はさほどでなく、ブラウスのボタンを外したりスカートをたくし上げたりと、精一杯ワルぶってはいましたが制服そのものを主張することはなかったのです。むしろ制服を恥じていた、高校生でそれしかないから制服を大人の服に近づけようと涙ぐましい努力をしていた、そんな感じがあるのです。

 しかしコギャルは違います。彼女たちは制服そのものを主張して胸元を緩め、スカートを限界まで短くしてあの伝説のルーズ・ソックスを履いたのです。
 その姿はオヤジである私の目から見てもカッコウがよかった、実にバランスが取れていて粋だったのです。私だけがそうした感想を持ったわけではない証拠に、そののち、十分大人になった高校生でもない女性たちが同じ格好をし、「なんちゃってコギャル」とか言ってからかわれた事実からもわかります。

 ただ、そこからまた分からなくなるのですが、しばらくするとコギャルメイクはどんどん黒さを増して一部はついにガングロからヤマンバ・ファッションへと発展し、男の子たちはズボンを下げてパンツを見せびらかす「腰パン」ファッションへと進んでいきます。
 ヤマンバ・メイクの利点は不器量を隠し人を恐れさせる、それ以外の何の意味もないように思いましたが、本人たちは「黒ければ黒いほど偉い!」みたいな世界に生きていたみたいです。「偉い」という概念を持ち込むと、それはそれで何となく分からないでもありません。しかし腰パンの方はまったく分からない。
 私が若かったころは「足は長ければ長いほど(長く見えれば見えるほど)カッコウいい」というのが常識で、ベルボトム(ひざ下がベルのように膨らんだ)のジーンズの中に、高下駄みたいなサンダルを隠して履いていたくらいですから、腰パンなどという極端に足の短く見えるファッションはまったく理解できないのです。
 朝の通勤通学ラッシュの駅構内で会った高校生カップルは、小柄な男の子の腰パンのベルト位置と、大柄なコギャルの女の子のミニスカートの裾が、ほぼ同じで私の美意識は完全に狂いそうになります。私のにはあの男の子の気持ちがわからない。

 そしてそんな時代を高校の先生たちは、相変わらず苦しい服装指導に奔走しながら、日々を過ごしていました。
(「なんで教師は子どもたちを型に嵌めたがるのか」といった声が聞こえてきそうですが、それについてはこれまでも話してきましたし、改めてお話しすることもあると思います)。
 そして2000年代に入って、一部の高校は二度目の敗戦を迎えるのです。

「短ラン・ボンタン戦争」に負けてブレーザー型制服で巻き返したものの、そのブレザー型制服も不良文化に侵されて収拾がつかなくなった、そしてやむなく、「制服」という学校文化そのものを放棄したのです。

 伝統となったブレザー型、あるいはそれ以前からの学生服・セーラー服等は「標準服」として形だけ残し、生徒は自由に服装を選べるようになりました。教師も、もう煩わしい服装指導をしなくていい――メデタシ、メデタシ。

 ところがここから、思いも兼ねない事態が発生します。それは改めて考えると当然なのですが制服廃止の時点では誰も思いつかなかったことです。
 そしてそれは私にとって、短ラン・ボンタンよりも、コギャル・腰パンよりも、はるかに気に入らないものでした。

なんちゃって制服(自由制服)」です。 

 

(この稿、続く)