カイト・カフェ

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「スポック博士の育児書」②

 子どもへの対応があまりにも冷淡、母乳よりミルクを優先させる誤ったやり方を推奨したなど、ネット上ではさんざんなスポック博士ですが、私の知っているスポック博士とは正反対と言っていいような印象です。私の記憶によれば彼は子ども中心・子ども本位で、子どもの要求を無制限に肯定し、子どもを徹底的にダメにした人です。

 ネット上のあれほどの誹謗中傷にも関わらず(そして記憶力の弱さに対する強い自覚があるにもかかわらず)、しかしこの件についてはむしろ自信があります。
 なぜなら、
 第一に、元の著作は読んだことはないものの、その抜粋のいくつかに目を通したはっきりとした記憶がある。
 第二に、ベトナム戦争の時代、当時のアグニュー副大統領をはじめとする保守派が“「スポック博士の育児書」によって育てられ子(スポック・ベビー)は我がままで身勝手で、愛国心のかけらもない。彼らは親よりも子どもの方が賢いと教えられている”とさまざまに非難し、そのために博士がひどい窮地に立たされた事実を知っていること、
 第三に、テレビのドキュメンタリー番組で、スポック博士の息子が「私は父から『育児書』にあるような育てられ方をしてこなかった。父のやり方は旧来の厳しく過酷なものだった」という言葉をよく覚えていたからです。

「スポック博士の育児書」は子ども中心・子ども本位の甘すぎる養育を提唱した――そういった確信をもってさらに検索を続けると、やはり必要な文章はあちこちから拾うことができます。

 びくびくしないで赤ちゃんをおもう存分可愛がり、いつくしみなさい。ビタミンやカロリーが必要なように、どんな赤ちゃんだって、やさしく、愛情をこめてほほえみかけたり、話しかけたり、いっしょに遊んでやることが必要なのです。

 度をこさない限り、つまり赤ちゃんのドレイになりさえしなければ、赤ちゃんのしてほしがることは、しておやりなさい。


 ホラごらんなさい、と言いたくなる文章です。まさに子ども中心・子ども本位の思想です。
 しかし同時に、次のような文章まで一緒に釣り上げられくると、私の思っているような「甘すぎる養育」とも違ってきます。

 分別さえ失なわなければ、可愛がったからといって、赤ちゃんがわがままになるものではありません。それに赤ちゃんは、突如として、わがままになるものでもありません。お母さんの態度があいまいで、当然叱ってもいいときに、叱るのをためらったり、こどものいいなりになったりして、自分から赤ちゃんを暴君になるようにしむけるようなことをしているうちに、いつの間にか赤ちゃんはわがままな子になっていくのです。

 きびしく育てようときめたなら、そうおやりなさい。こどもが明るく、あたたかく、育てられているのなら、お行儀よくしなさいとか、いわれたことはすぐにやりなさいとか、整理整頓をよくしなさいと少しくらいきびしくしても、こどものためをおもってやっているかぎり、こどもがいじけたりすることはありません。
 しかし、こどものすることには何でもかでも反対し、おしつけがましく、こどもの個性や年令も考えないで、ただもう厳格にするというのであれば、いくじのない子、個性のない子、いじわるな子をつくることになってしまいます。

 ここで繰り返されているのはごく常識的な、誰にでも思いつくような内容です。
 何がどうなったのでしょう? 
 スポック博士は子どもに冷淡で残酷な人なのでしょうか、愛と優しさに包まれた暖かな養育を勧めた人なのでしょうか? それとも単なる常識人なのでしょうか。

(この稿、続く)