カイト・カフェ

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「教育用語の基礎知識」③~学校の教育目標の設定の愚

(毎年出版されている「現代用語の基礎知識」をもじっただけなのですが、「おう、おう、分かってもいないのに偉そうに」と難癖をつけたくなるようなタイトルです。いやいや、とてもそんなつもりはございません。ただちょっと言ってみたかっただけです)

 近年海外留学する学生が少なくなったと一部の文化人を嘆かせていますが、英語ができなくてもノーベル賞の取れる(益川敏英教授)国です、何が哀しくて海外留学などせにゃならんの、留学なんて研究者が必要に迫られていくものだ――学生たちがそんな風に考えても不思議はありません。実際、外国に行かなければ学べないことがどれほどあるのかは疑問ですし、それがある人は行けばいいだけのことです。みんなで嘆くほどのことはありません。
 もっとも「遊学」なら、それにはそれなりの意味がありますから、これも行きたい人は行けばいい。けれどあえて行かせることもないと思っています。

 ただしまじめに「留学」を考えるなら、行くべきはアメリカ合衆国です。
 ほかの国でもいいのですが、イギリスに行く、フランスに行く、あるいは中国の行く、シンガポールの行くとなると「なぜ、その国なのか」という説明が必要になります。ファッションの勉強に、美術の研究のために、と言えば「なるほどそれならフランスだ」ということになりますし、陶磁器の発祥について研究したいから中国だと言えばそれも納得できます。しかし特別な理由がないならアメリカでしょう。なぜなら、総合的に言って今のアメリカが世界中でもっとも科学的に進んでいるからです。
 すべての文化は高いところから低いところへ流れます。かつて芸術家はフランスへ、医者や科学者はドイツへ、文学者はイギリスへ留学しましたが、それはそれぞれの分野でトップがそうした国々だったからです。しかし現在は、特別のことがなければアメリカなのです。

 天平遣唐使以来つねにそうでしたが、留学生たちは現地で最新の学問を手に入れて帰国し、それを広めようとします。そうしなければ行った意味がないし、彼らの持っている最大の価値がそれだからです。受け手である私たちも、積極的に受け入れようとします。なにしろ最も進んだ国の最新の文化です、彼の国でやっていることは間違いがありません。
――と、ほんとうにそうでしょうか?

 松居和という人は「子育てのゆくえ」(エイデル研究所 1993)の中でこんなふうに言っています。
『家庭の問題に関して「欧米では」ときたら、まず反射的に「それは真似してはいけないこと」と考えるような癖がついている』
 激しく同意!です。
 留学するならアメリカですし、アメリカ帰りの研究者たちが最新の科学を広めるのはけっこうですが、家庭問題や教育問題で余計なアドバイスをして、この国を混乱させないでほしい。非常に豊かな日本の教育を、アメリカン・プラグマティズムでズタズタにしないでほしい、そう思うのです。

 アメリカ型経営学の果実「マネジメント理論」で学校を測ると、本来数値化できないものまで数値化し始め、
「授業中、席を立つ1年生が8%からポイント減の6%へ、鉛筆が正しく持てる子が24%から44%へ急増」
などといった愚かな計測を始めかねません。
 道徳性についても今後、
「《目標》朝のあいさつを10人以上にできる児童を70%以上に、家庭で10分以上のお手伝いのできる児童を半数以上に高める」
といったことになりかねません。それは恐ろしいことです。こと教育については、絶対に欧米を真似してはいけないのです。
・・・とここまで長々と書き、本日の分をすべて使って欧米の悪口を言ったのは、「私は欧米至上論者ではありませんよ」と無罪証明をしておいた上で、それにも関わらず「子どもと向き合う」「子どもに寄り添う」を考える上で、欧米の理論を援用しようと考えているからです。

 デーモンの調査とコーチング理論です。

(この稿、続く)