カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「今逃げることは一時避難だ。オマエを見放したわけではない」~家庭内暴力の指導②

 子の家庭内暴力の結果親が殺されても、自分の責任だからと思えば諦めもつくでしょう。しかしそのとき子どもは「殺人者」になり刑務所に行かねばならないわけですから、こちらは諦めるわけには行きません。ですから子どもが暴れて危険な状況になったらまず逃げなくてはなりません。

 しかしそのとき子どもに「見放された」「諦められた」、あるいは「自分を他人のように恐れている」といったとらえ方をされないよう注意する必要があります。自分を「親からも見放された人間」と規定した子は、人生の階段をまっしぐらに転げ落ちていくしかないからです。そしてそうなるとあとがとても厄介です。

 暴力を受け入れてはいけない、しかし暴力を振るった子を見放してもいけない―この矛盾をどう解決するのか。

 これについては多くの現場担当者たちの意見が一致しています。それは子どもに対して「今逃げることは一時避難だ」ということをはっきりさせることです。「あなたは怖くないけれど暴力は怖いし、何かの間違いがあってあなたが刑務所に行くようなことになってもいけないから取りあえずは逃げます。けれどあなたが落ち着いたら必ず戻ってくるから、そのときは連絡しなさい」そう告げるのです。

 実際問題として子どもが暴れまくっている最中にそんなことを言っても聞く耳を持ちませんから、こうしたことはすべて子どもが安定しているうちに行います。できれば文書にして壁にでも貼っておけばいいのです。そして事態が発生したら、「母さん逃げるから、落ち着いたら連絡してね」そう言ってさっさと退避します。

 また避難するときの台詞も家に戻るときの言葉もできるだけ平板なものを用い、事務的に行う必要があります。
 私たちは指導にあたってどうしても情に訴えたくなります。しかし家庭内暴力で暴れている子(学校でパニックを起こして暴れている子も同じですが)は、暴れたくて暴れているわけではないのです。それは一種の錯乱ですから「病気の発作」くらいで済ませてやらないと本人が気の毒です。

 この「指導は可能な限り事務的に」というのは他にも必要な場面がけっこうありますが、これについては改めて書こうと思います。