カイト・カフェ

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「買ってはいけない」~子どもに買ってあげて不幸になることも多い

 いまから28年前、トランプや花札をつくっていたはずの任天堂が「ファミリーコンピュータ」というとんでもないものを発売しました(1983年)。とりわけすごかったのが「ファミリーコンピュータ」というネーミングそのもので、当時の親たちはそれを「家庭用コンピュータ」と思い込み、「これからの時代はこういうものも“勉強させておいたほうがいい”」と勘違いをして買い与えてしまったのです。まさか朝から晩まで子どもを釘付けにしてやまない恐ろしいゲーム機とは、誰も思っていなかったのです。

 しばらくしてその悪魔性は世間に知れるところになりましたが、子どもとの「勝って―買わない戦争」に疲れた親たちは、「必ず勉強するから」とか「時間を守ってやるから」とかいった空手形と引き換えにこの悪魔の機械を次々と買い与えてしまいました。「必ず勉強する」とか「時間を守ってやる」とかは将来の話です。そんな不確実なものと引き換えに、確実に手元にある金を払って買ってやったのは愚かなことでした。不確実なもののために金を使うことを普通はギャンブルと言います。

 しかしもっと愚かだったのは「勝って―買わない戦争」の終戦が平和の始まりではなかったことです。ファミコンを買い与えた直後から今度は「ソフト買ってくれ戦争」「いい加減にやめろ戦争」「早く寝ろ戦争」「外遊びをしろ戦争」と同時多発戦争に一気に追い込まれることになります。こんなことなら「買って―買わない戦争」をいつまでも続けているほうがよほど楽だった、そう思ったときは後の祭りでした。

 ところで人間の記憶力というのものかくも弱いものでしょうか? それともそもそも反省の気持ちがないのでしょうか。

 小学校高学年になって今度は「ケータイ買って―買わない戦争」が始まったとき、そこでふんばればよいものを「必ず勉強するから」とか「時間を守ってやるから」とかいった空手形と引き換えにこの悪魔の機械を次々と買い与えてしまいました(この文はさっきも書いた)。

「ケータイ買って―買わない戦争」を回避して代わりに、「出会い系サイト制限戦争」「アダルトサイト制限戦争」「個人情報流すな戦争」「学校への持ち込み禁止戦争」「メールいい加減にやめろ戦争」etc.etc.を、しかも高額の通信費の支払いながら続けるという愚かな道を選択してしまったのです。

 そして中学生になると今度はコンピュータです。

 ところで人間の記憶力というのものかくも弱いものでしょうか? それともそもそも反省の気持ちがないのでしょうか(これもさっき書いた)。

 中学生がコンピュータを欲しがるのはワードやエクセルを習いたいためではありません。オンラインゲームという無限のソフトを片端手に入れたいがためなのです。なのに(心の隅でそのことを知っていながら)、みたび「買って―買わない戦争」が支えきれないばかりに「これからの時代、コンピュータくらいできなければいけないかもしれない」と自分に言い訳をして買い与えてしまう。しかも不勉強な子の親に限って買ってしまう。よりによって不登校傾向のある子どもの親が、この、最高の「引きこもりグッズ」を買い与えてしまうのです(その上で「なぜこの子は学校に行きたがらないのでしょう」と訊かれても、私は知らん)。

「インターネットやメールをやらせる以上は親子で約束をつくり……」と言います。もちろんそれは大切なことですが、その前にまず約束を守れる子ども育てておかなければなりません。しかしそんなこと、そうはうまくいかないでしょう。子どもは誘惑の前に、簡単に約束を反故にしてしまうからです(だから子どもなのです)。

 保護者からゲームやケータイの購入について相談があったら言ってあげることはひとつです。
「とにかく『買って―買わない戦争』で踏ん張りなさい。そのほうがよほど平和です。そして買わずに頑張り続ける限り、いつか子どもの方が諦めます。諦めずに万引きするような子は、買ってやったときにソフトを万引きします」