バトー・ラヴォワール(洗濯船)は20世紀の初めパリのモンマルトルにあった安アパートで、ピカソをはじめモディリアニ、ルノワールら貧乏な画家達たちがここに住み、アポリネール、ジャン・コクトー、マティスらも出入りした有名な場所です。日本で言えばさしずめ手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫や藤子不二雄が住んで園山俊二やつのだじろうが出入りしたトキワ荘のようなものです。
1905年、その洗濯船に一人の女性が現れます。才能と野心に溢れた22歳のマリー・ローランサンです。マリーはピカソたちと触れ合いながら、たちまち27歳のアポリネールと恋に落ちます。しかし多感で複雑な芸術家同士の恋は実らず、アポリネールは一片の詩を残して第一次世界大戦に従軍し、そこでの戦傷ののちに亡くなります。
彼の残した詩は「ミラボー橋」という題名で、だれでも一度は聞いたことのある詩です。
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ われらの恋が流れる
わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ わたしは残る
(以下、略)
私はこの話が好きで、いつも心にその情景を浮かべていました。肩パットの入ったスーツの似合いそうなブロンドの美女といかにも神経質そうな27歳の青年。ところが・・・。
あるとき私は二人の写真に出会うのですがマリー・ローランサンは赤毛で(たぶん)そばかすだらけのイモ姉ちゃんで、アポリネールときたらまるっきり(顔に傷のない)フランケンシュタインなのです。
本当にがっかりしました(それでものちに、マリーの方はとても好きになりましたが)。
それと同じことは、「檸檬」の梶井基次郎にも言えます。あの繊細な、水晶のような文章を書く男が、下駄と熊を足して2で割ったような顔の人だとは誰も信じないでしょう。
文学の世界にはフランソワーズ・サガンやボードレール、アルチュール・ランボーのように書く文章とそれにふさわしい容貌をもった作家がいくらでもいます。
日本で言えば芥川龍之介や川端康成がそれに当たるでしょう。五木寛之なんかかなりかっこう良かった。
明治初頭、話し言葉と文を一緒にさせようということで二葉亭四迷たちが大変な苦労をしました。これを「言文一致」運動と言います。しかしそれとは別に、私は作家の顔と作品を合わせた方がいいのではないかと本気で思うことがあります。ここまで美しい文を書くなら顔も変えろや、ということです。
文学界に「顔文一致」運動を起こしましょう。
先週木曜日(2月17日)は、梶井基次郎の誕生日でした。