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「1946年の学校五日制と40年後の働きすぎ」~学校五日制の話①

 今日12月19日は文科省が(当時は文部省)が、公立学校における月一度の土曜休業を決めた日です(1991)。

 あまり知られていませんが、戦後のわずかな時期、GHQの勧めで学校五日制(週休二日制)を実施した県がいくつかありました。秋田・滋賀・長野・山形・福島・千葉・熊本の7県です。
 ただし職員の勤務は週6日のままで、休みとなった土曜日はほとんどすべてを職員の研修にあてました。軍国主義教育の払拭と戦後民主主義教育の徹底のためです(他の県はどうしていたのでしょう)。しかし学習内容は減らさなかったため授業日の日課が苦しくなり、都市部では「子どもが何もしないでブラブラしている」という批判が、農村部では「子どもが二日間も労働に従事させられてボロボロになって学校に戻ってくる」という批判があって2年ほどで終わってしまいました。2年もやれば民主主義のための職員研修も必要なくなったのでしょう。

 再び学校五日制が話題となるのは1970年代に入ってからです。日教組に学校五日制週休二日制研究会が立ち上がり、当時の文部大臣も五日制を実施すると発言して「ようやく学校も世間並み」の方向かと思われたきり、10年も放っておかれる状態になりました。組合の定期大会でも五日制の要求は常に掲げられましたが、組合員にとってもそれは「いつかそうなるといいなあ」程度の夢物語でした。

 流れはとんでもないところから来ました。
 日米貿易摩擦は60年代から囁かれ始めましたが80年代に入ると自動車や半導体・農産物(米・牛肉・オレンジなど)といった品目を中心に“貿易戦争”と呼ばれるような厳しい様相を呈し、ついに1985年、アメリカの対日赤字が500億ドルを超えると“日本バッシング”と呼ばれる常軌を逸した対日批判が始まりました。雰囲気的には昨年の中国における反日デモに近いものがありました。

 そのころになるともう個々の品目ではなく、投資・金融・サービスなども含め、日本の経済の閉鎖性や外国企業に対する不平等が問題視され、日本の労働時間までやり玉に挙げられます。あからさまに言ってしまうと「アメリカ人は日本人みたいな長時間労働に耐えられない。そんなに働くのはフェアじゃない」ということです。アメリカはOECDILOも動かし、世界の趨勢に従わない日本に年間1800時間労働を迫ります。

 もちろん日本政府も何もしなかったわけではありません。1800時間労働実現のために官公庁を週休二日制にし、民間にも繰り返し働きかけます。しかし一向に企業の週休二日制は進まずアメリカのイライラは募るばかりです。働けば働くほど儲かることは目に見えていましたし、そもそも日本人は働くこと自体が好きなのです。

 どうしたら週休二日制を進めアメリカに鉾を納めてもらうか・・・。するとそこに素晴らしい知恵者が現れます。

(この稿続く)