世の中の学問はすべて芸術と科学に分かれる、という話を聞いたことがあります。
「科学」の真髄は「誰がやっても結果は同じ」です。酸素と水素を1:2で混合して火をつけるたびに人によって水ができたり塩酸ができたり、その都度違うようでは困ります。
「芸術」の真髄は「誰も真似できない」ですから、科学とは正反対のところにあります。ピカソはピカソひとりであって、同じ作品が次々と出てくるようなら、それは芸術家ではなく職人です。
そして困ったことに、教育学はその双方に足を突っ込んでいるのです。
一方で法則化の人々のように、「誰がやっても一定以上の成果のあげられる授業」を求めている人もいれば、他方で「誰にも真似できないすばらしい授業」を目指している人もいます。どちらにもそれなりの訳と成果があります。
さて、かけ算九九や漢字練習が基本的に技能を高める学習であるのに対し、合唱や描画には技能だけでは済まない何かがあるということは、私たちの間に、いつのまにか知れ渡るようになったことです(福祉や医療の現場にも音楽セラピーや絵画セラピーといったものがありますが、数学セラピーだの英語セラピーなどは聞いたことがありません)。
学校行事として校内音楽会や写生大会があるのに、算数大会や社会科大会が定着しないのにはそうしたわけがあります。
音楽をすることや絵を描くことには、児童・生徒の心にかかわる重大な作用が隠されている・・・それは科学的に証明しきれることではありませんが、確かなこととして先輩が定着させ、私たちが引き継いできたものです。
そうしたことのすべては、世間の知るところではありません。
世間は判ってくれないのです。
*先週金曜日の表題「ミューズとともにあれ(May the Muse be with you)」は、映画「スター・ウォーズ」の中の有名な台詞「フォースとともにあれ(May the Force be with you)」をもじったものです。今日の「世間は判ってくれない」はフランス映画「大人は判ってくれない」(1959)をもじったものです。誰も誉めてくれないので、あえて書きました。