カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「成長の潮」~前進したり後退したり、しかし全体として満ちているかどうか

 以前、「子どもの成長は不揃いの階段を登るようなものだ」とお話したことがありますが、ちょっと訂正しておきます。
 学力や運動能力、というものは確かにその通りなのですが、人格的なもの(生き方だとか身の処し方だとかいったもの)はある日突然、階段を一段上るように成長するものではありません。また、子どもの「能力」が(早い遅いはあるものの)基本的に上りつづけるのに対し、人格的なものはプラス方向にもマイナス方向にもぶれます。それはたぶん潮の満ち干きのように、目に見えないほどゆっくりとした、しかし確実な動きなのです。

 昨日、ある保護者から相談があり、私はその子が良い方向に動いていると感じていたのに、保護者が逆に考えていた、という事実に驚かされました。
 話を聞いてみると、確かに心配するような事実がないわけではありません。しかしそれらは実に瑣末なのです。瑣末なことを馬鹿にしてはいけませんが、それにしても神経質に過ぎます。で、フト気がついたのですが、実はこのお母さん、潮ではなく波に目を奪われているのですね。今の波が向こうの方に行ってしまったことに怯えているのです。

 不登校や非行のような問題を抱えると保護者は子の一挙手一投足に、それこそ一喜一憂します。しかしそんな細かなことにいちいち舞いあがったり落ち込んでいたりしたら、とてもではありませんが身が持ちません。大切なことは全体として良い方向に向かっているのか、悪い方向に引いているかということです。そうした大きな潮のことを考えれば、波の動きなどどうということはないのです。

 私たちはそうした目に見えないほどゆっくりとした動きを捉え、満ち潮ならば良し、引き潮なら着実に手を打っていかねばなりません。それがプロというものです。