カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私が思い出したあるいじめ事件の話」~困った子、困っている子の話②

 孫2号の不機嫌のベースには、
 昼寝をしなかったことによる寝不足がある。
 と、そのとき思い出したのは、遠い昔のいじめ事件。
 あの時のあの子も、ほんとうは眠かったのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

【原因は睡魔という不条理】

 昨日、娘や孫と外食に出た際、自動車内の座席が思った通りじゃないと孫2号のイーツが怒り出し、何をやってもダメだったというお話をしました。
 少し高級な回転寿司屋に行ったのですが、そこでもご機嫌は斜めで、運ばれてきた直送レーンの返却ボタンを押しそこなったと怒り、注文の際にタブレットの「サビ抜きボタン」を押し忘れて(自分でやった)食べられない寿司が来たといっては拗ね、せっかくの私の外食は「ヤレヤレ」といった感じになってしまいます。
 母親のシーナはそれでも強く叱りもせず、なにやかやとその場をやり過ごそうとします。そういう親ではないと思っていたのでシーナの甘い対応には少し驚きましたが、毎日毎時間この調子では叱り切るのも難しいのかもしれません。怒るたびに大泣きされても困ります。
 
 さて、そうこうするうちにまた何か勝手が違ったようで大泣きを始めたので、シーナはイーツを抱きよせて、
「ホラ、やっぱお昼寝しないとダメじゃん」
 そう言えば正月に来た時はまだお昼寝の習慣があって、私が寝かせつけていたのです。それが今回はありません。
「そう言えば、昼寝しなかったな」
「電車の中で少し寝ちゃったから無理だと思ってさせなかったの。そもそも最近は、ウチでは眠らなくなってる」
 保育園ではみんなと一緒なので内弁慶のイーツは“良い子でお昼寝”をしているらしいのですが、休日の自宅ではほとんどしなくなっているというのです。おかげで夜は早い。
 たっぷり寿司を食べて帰路に就くと、車内では秒殺といった感じでイーツは眠りに落ちました。

 思い出してみると夕方以降とそれ以前とでは、難しいといってもその様子に決定的な違いがありました。日中の方がまだかなり制御しやすかったし、物わかりの良い面もあたのです。
 それが3時過ぎころからどんどん調子が悪くなっていって、やがて手の施しようがなくなる、なだめてもなかなか治まらない、怒りの原因を除去しても怒り本体はなくならない、イーツ自身にも対応策がない、何がいけないのか本人も分からない――。
 
 その原因が車内の座席の位置でも、寿司の直送レーンのボタンを兄に押されたことでも、さび抜きを忘れたことでもなく、単に眠かったということ。しかも「じゃあしばらく眠るか」と言えば睡眠不足の自覚がないのでおそらく眠らず、状況が改善される余地もない(ただし車に乗せて走り出せば眠る)。
 私はそこで、昔、関わったことのある、小学校6年生の女の子のことを思い出したのです。

【あるいじめ事件の話(思い出したもうひとつのこと)】

 20年近くも前のことですが、私が新たに赴任した小学校は重大ないじめ問題を抱えていました。そのため4月当初の授業参観は全クラスが人権教育、目の前に全国学力学習状況調査という未経験の(その年が第一回だった)重要案件があったにもかかわらず、全校一斉の人権講話というのも実施され、学校はさながら「人権教育」=「いじめ対策」の花盛りみたいでした。事情の分からない新任の私たちは目を白黒させるばかり。

 何があったのかというと、前の年の秋、5年生の一クラスで幅を利かせていた8名ほどの女子グループのナンバー2が、トップに疎まれて、仲間からはじき出されたのです。トップの女の子に言わせると、
「私はただあの子が嫌いになっただけ。そうしたら他の子もみんなあの子が嫌いになった、ただそれだけ。嫌いな人と仲よく遊べというのが最初からムリ」
ということですが、ちょっと腰骨の曲がったような女の子の集団では、トップのやり方が無言の圧力となって下々にまで徹底されるのは、よくあることです。しかし人間関係なんて集合離散が常。集団から弾かれたら別の集団に行くか、しばらく孤立したままで時を過ごし状況が変わるのを待つとか、対応の仕方はいくらでもあります。それなのに弾かれた子は最後まで8人に、しかもナンバー2にこだわり続けたようです。
 仲間外れにされた、話しかけても無視される、睨まれた、笑われた、遠くでひそひそ話で私の悪口を言っている、授業中に隣の席でわざとものを落として音を立てる、もう怖くて学校にもいけない――。
 その声は市教委を飛び越えて県教委にまで届き、地元選出の市会議員にも伝えられました。関わる大人が一気に増えて、私が赴任した4月には、県の指導でさまざまな対策が打たれるとともに、市会議員も交えて善後策を練らなくてはならないような大事件になっていたのです。

【学校は人が大勢いるからいいのに――】

 少し話はずれますが、現在進行中の35人学級制度、それでも人数が多すぎるので将来は30人以下にすべきだといった話があります。
 しかし30人以下学級制度というのは31人になったら自動的に2クラスにする、つまり15人と16人の2学級をつくるというものです。15人と16人はまだ許容できる人数ですが、男女別に考えると必ずしも男女8人と7人、もしくは男女8人ずつになるとは限りません。
 私は僻地の学校で単級(1学年1クラス)14人というクラスを受け持ったことがありますが、そのときの男女比は11対3。女の子が3人しかいないクラスはほんとうにたいへんでした。どんなに気が合わなくてもいつも3人で行動しないといけない、油断すると誰かが2対1の仲間外れみたいな感じになってしまうので非常に苦しいのです。1年間ずっと無理をして仲の良いふりをし続けたのですが、翌年一人転入してきたら、いつでも2対2に分離できるようになって精神的に安定しました。
 人数が少なくて楽になるのは学級担任だけであって、児童生徒の立場からすると少なすぎる方がむしろ苦しいのです。人間関係の逃げ場がないというのが一番ですが、悪さをすればすぐにすぐに見つかるし、授業中の指名もれやすい。体育では跳び箱や走り幅跳びでスタートラインに戻るともう試技の順番が来ているなど、休む暇がない等々。
閑話休題

【実は眠かったのかもしれない】

 教室に入れないからといって別室が用意できるわけでもありませんし、教委が特別に教員を一人配当してくれるともありません。だからと言っていつまでも家に置いておくわけにもいかないので、養護教諭に頼み込んでしばらく保健室で過ごすことにしました。しかしとにかく相手は7人もいるのでケガをしても具合が悪くても保健室に行くなとは言えず、次は特別支援学級の片隅を借りて学年の職員が代わる代わる様子を見に行くようにしたのですが、それでも隙を見て7人のうちの誰かがドアをどんと叩いたとか、廊下で大きな咳ばらいをしたとか・・・、教師たちは7人組のトップはもちろん残る6人もグイグイ締め上げたり宥めたりしていますから、そんな威嚇するようなことはできないはずなのに、それでも被害の訴えはやまない――。
 手の打ちようがなくなって困っているところに、市会議員の絡んだ転校話が持ち上がり、特例として可能になった転校のその朝、突然、「転校はしない」と言い出して「元のクラスで頑張る(だから中の人間関係を元に戻して)」みたいな話になります。
 ある年配の女性教師はこんなふうに呟きました。
「7人組のリーダーは仲間の鼻づらを掴んで引きずり回し、あの子は大人の鼻面を掴んで引き回す。似たようなものだね」
 私もそう思いました、そのときは。しかし今はこんなふうにも思うのです。
「あの子、結局、孫のイーツと同じように、お昼寝が足りなかったのかもしれないな――」
(この稿、続く)

「惣領の甚六、次男坊には鬼が出る」~困った子、困っている子の話①

 娘が二人の子を連れて五日余りの里帰り。
 しかし次男坊が驚くほど難しくなっていた。
 怒る・泣く・喚く・意地悪をする――、
 そして私は、あることを思い出したのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【シーナ、里帰りする】

 先週の月曜日(1日)から金曜日(5日)まで、長女のシーナが二人の息子を連れて里帰りしてきました。上のハーヴは8歳で小学校の3年生になったばかり、下のイーツが4歳で今年保育園の年中組になりました(もちろん3人とも仮名、日本人です)。
 なぜ土日をはずして月~金という週日にやって来たのかというと、シーナは現在、在宅で仕事をしており、ハーヴの学校が始まるまでの一週間、親に子守をさせて自分は働こうと考えたからのようです。
 親(私)に東京まで来てもらうという選択肢もなかったわけではありませんし、そもそもハーヴは学童保育、イーツは保育園と、預かってもらう道もあったのですが、三人で里帰りしてしまえば“一切食事を食つくらなくてもいい(夫は自分で何とかできる)”という大きなメリットがあります。またそうした下心は抜きにしても、子どもたちを連れて行けば私たちが喜びますから、ちょっとした親孝行にもなるはずです。
 最近シーナの義理の妹の配偶者が、母親を亡くすというできごとがあって、自分の親とほぼ同年代の人の死に、慌てて少し、小まめに親孝行しておこうという気になったのかもしれません。

【イーツ、絶賛反抗期】

 正月に会ったばかりでさほど時間は経っていないのに、しかし今回は今までにないことがありました。次男のイーツが「お母さんのひっつき虫」になっていて、何かにつけて「お母さん」でなくてはいけなくなっていたのです。そのくせしょっちゅう癇癪を起して、泣いたりわめいたり、毒づいていたりします。
 基本的には兄のハーヴと仲がいいのに、ハーヴが手にしているものを何も言わずに奪っていって怒らせたり、逆に弟のイーツが遊んでいるものをハーヴが貸してほしいと頼んでもなかなか譲ってくれなかったり、何かと諍いのタネを振りまいてやみません。興が乗るととんでもないおしゃべりになり、けれど全部をきちんと聞いて反応しないと泣いて怒ります。

 ぬいぐるみにこだわりがあって、あれもこれも持って行きたいというのをシーナが説得してそこそこ大きなパンダ一匹にして持って来たのですが、そのパンダが部屋の真ん中であおむけになっていたので隅に片付けると、「ボクのパンダなんだからそんなところに置かないで」と奪っていき、しかもものの1分もしないうちに別の部屋で放置されている。
 次々と遊びを変えて、遊んだ端から道具やらオモチャやらを床やテーブルに放置する。叱ると「だってハーちゃんが・・・」と関係のない兄を巻き込んで言い訳をし、なぜか逆切れして不機嫌になる。
 外食に出た自家用車の後部座席では、真ん中の席に行きたかったのにお母さんが先に座ってしまったと泣いて怒り、母親が場所を代わっても「そんなの嫌だ!」「そんなの嫌だ!」といって泣き続ける。もはや「そんなの」が何なのか、誰にも分らない――。

 私はシーナやその弟が子どもだったころは、十分に時間を使って子育てをし、十二分に楽しんで何の悔いもないつもりでいました。しかしそれでもシーナのところに二人の子どもが生まれ、若い夫婦が育てていく姿を見ると羨ましくてしかたがない気持ちでいっぱいになったものです。ただし今度ばかりは少し違いました。単純に羨ましいなどとは言っていられません。
「こりゃ、なかなか大変だワ」

【惣領の甚六、次男坊には鬼が出る】

 あるいは、私が単純に娘夫婦を羨ましがったり、ふたりの子育てに感心できたのは、たぶんに長男のハーヴの資質によるものだったのかもしれません。のちのちそれが問題の予兆であったと分かるのですが、とにかくハーヴは育てやすかった。新生児仮死で生まれ、寝返りやハイハイはとても遅く、発達検査ではしばしば引っかかって不安や心配は山ほどでしたが、育てずらいということはまったくなかったのです。
 寝つきはよく、夜泣きもほとんどせず、よくミルクを飲んでむずかることもない。すでに生後2~3か月のころ、子育て初心者のシーナが夫に「こんなことありえない、この子は特別。育てやすい。だから2番目も3番目もこうだと思ったら間違いよ、きっと」と言っていたほどでした。

 その予言は的中して二番子のイーツはこの始末。ことわざにも「惣領の甚六(*1)、次男坊には鬼が出る」と言いますが、次子は長子ほどおっとりと育ってはくれないようです。
――と、そうこうしているうちに、私は二つのことを同時に思い出します。
*1「そうりょうのじんろく」・・・長男や長女は、大事に育てられるので、弟や妹に比べると、おっとりしていてお人好しである。

【思い出した二つのこと】

 ひとつは単純な連想で、
「そう言えば私の二人の子、シーナとアキュラも同じだったな」
という話です。
 私は当時としては遅い35歳の結婚で、36歳でシーナの父に、40歳でアキュラの父親になりましたが、もともと子ども好きだったので二人が生れると嬉しくて、最初からずいぶんと可愛がって大切に育てました。特にシーナはこれといった病気もせず、健康に育てることができたので、”やはり齢を取ってからの子育てはそれなりの経験も経て、自信をもって向かえるからいいものだな”と、密かに自賛していたのです。ところがその自信はアキュラの誕生とともに崩れ落ちます。

 まず、生後一カ月足らずのころ、入浴中に湯の中で取り落として水中に沈めるというできごとがありました。気持ちよさそうに浮かんでいたのでこちらもゆったりとしていたら、いきなり暴れて私の腕の中からすっぽり滑り落ちたのです。もちろん拾い上げました。
 生後8か月で歩行器に乗ったまま廊下を猛ダッシュ――そのまま玄関の三和土に落ちて額を5針縫う大けが。11カ月のつかまり立ちのころには、親の目が離れたすきに、できもしない「テーブルクロス引き」をやり、上に乗っていた淹れたてのコーヒーを肩からかぶって大やけど。2歳で押入れの上の段から飛び降りて足を骨折。
 姉は靴下が嫌いで、保育園の未満児クラスに入れたら真冬でも脱いでしまい、一年じゅう靴下なし。それで健康に暮らしたので同じことをしたら、弟の方はアッという間に風邪を引いて入院です。
 要するに上の子のシーナは、親である私たちが年かさで、優秀だったからうまく育てられたのではなく、単に”生まれながら強く賢い子だったからそうなった”というだけのことだったようなのです。
 考えてみれば私と弟の数十年前の姿も、よく似た感じだったと思います。
 
 思い出した2番目は、それよりもずっと深刻な話です。かつて私の勤めていた小学校の6年生にとても難しい困った女の子がいたのですが、それが今のイーツにそっくりだと、とつぜん気づいたのです。
(この稿、続く)

「こうしてみると改めて凄まじい四月の月暦」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと(最終)

 入学式・始業式が終わっても楽にはならない。
 子どもがくるとなおさら切羽詰まる。
 しかし忙しさの大部分は不可欠な内容でつくられている。
 削れない、人を増やすしかない。
 という話。(写真:フォトAC)

【子どもが来るとなおさら切羽詰まる】

 怒涛の4日間が終わって学校は一応の落ち着きを取り戻し、日常の生活が始まる――という訳ではありません。いままで教職員全体の動きに合わせていなければならなかった上に、さらに児童生徒の動きが被さって教師個人の動きを制約するからです。

 それでも小学校の場合は新一年生のみが学校探検だの給食配膳練習だのと非日常的な日々を送り、他学年は次第に日常的な生活に戻っていくことができますが、中学校はそういう訳にはいきません。新一年生の学級担任が自分のクラスの学級指導(学習オリエンテーションや学級内係編成、委員会編成・校内巡り・給食指導など)に縛られている間、その先生が教科担任として2~3年生のクラスに来てくれることはないからです。必然的に2~3年生の学級担任も自分のクラスに縛られます。
 学校によっては2~3年生に「進級お祝いテスト」などという少しも嬉しくない試験を実施するところがありますが、半分以上は時間つぶしが目的のようなものです。試験監督なら自分の教科でなくても、学級担任で対応できますから。

【こうしてみると改めてすさまじい四月の行事】

 温泉ガエルとか熱湯カエルとかいった寓話があります。
「ビーカーの中で次第に温められ茹でられたカエルは機を逸して死ぬが、最初から熱湯を入れたビーカーに投げ込まれたカエルは瞬時に飛び出して助かる」
というものです。
 いま改めて学校の4月暦を眺め、学校のすごさ・すさまじさ・異常さに気づけるのは、私のように時間を経て現場感覚を失った者と、初任者だけなのかもしれません。
 
 文章を今日の一行目まで戻して――、
 怒涛の4日間が終わって、しかし学校の殺人的な多忙はまだまだ続いていきます。ネット上で拾ったある中学校の4月暦を見ると次のようになっています。
  5日 対面式、生徒会オリエンテーション、PTA引継ぎ会
 8日 1年部活説明会、学習オリエンテーション、交通安全教室
 9日 部活見学開始、PTA三役会、専門委員会
10日 避難訓練
11日 身体測定、第一回生徒会
12日 内科検診、防犯教室
15日 全国学力学習状況調査
16日 地区生徒会
17日~23日 家庭訪問①~家庭訪問⑤
24日 歯科検診、生徒総会
25日 参観日、学級PTA、PTA総会
26日 部活発足会
30日 後援会三役会 
 とりあえず4月中だけでこれほどですが、保健行事だけでもやり残しが「検尿」「血液検査」「心電図」「耳鼻科検診」「眼科検診」。歯磨きをしっかりしましょうといった「歯科指導」も、きちんとした食事・栄養摂取の習慣づけを目指す「食育」も早めにやっておかなければなりません。
 課外では部活動も一年生を迎えて、いよいよ本格化します。

 生徒に関わらないので月暦には入ってきませんが、教員評価は4月から始まりますし、初任者には初任者研修が、そして1学年担任には指導要録の作成といった仕事もあります。
 改めて見る私も驚きますが、新任の先生方、あるいは4年目くらいまでの先生方が絶望的なまでに大変なのはよくわかる話です。

【家庭はどこまで子どもの健康に気を遣ってくれるのだろうか】

 月暦や年間暦を見るだけで、学校が至れり尽くせりの場であることが分かります。ときどき、
「学校は勉強を教えるところ。教科以外のことは家庭に返すべきだ」
と言ったりする人がいますが、身体測定や内科検診、歯科検診などを家庭に返して、どれだけの家が対応してくれるでしょう?
 ここは注意深い表現で言いますが、私の家は夫婦で教員でしたからこれらについてはきちんとやったはずです。人間ドックの料金を参考にすれば歯科検診を入れても毎年4万円ほどの出費で済むでしょう。病気になってからでは4万円では済まない可能性もありますから年休をとってでも連れて行きます。その上で当然、自分たちの子が親になった場合も同じことを強制し、孫たちの健康を守ります。
 しかしやらない家、できない家も少なくないはず。放っておくと小学校6年生でも永久歯のほとんどないという子どもが出てきますし、重大な疾患が見過ごされたりもします。
 これは格差の問題です。学校教育はそもそも格差解消が最大の使命のひとつだったはずです。

 またこれを経済面から考えると、身体測定や検診を親に任せた場合、将来の医療費はとんでもなく膨れ上がるということです。医療保険を、使う人が増えて病気のために払えない人が増えます。子ども時代の不摂生のために有能な人材が次々と倒れ、税金を払う人が減って使う人が増えます。
 子どもを家庭に返すためには、社会的勇気が必要です。

【生涯に渡って命を守る教育】

 避難訓練や交通安全教室は、児童生徒がその学校に在学している間だけの危機管理ではありません。「身を守るということはどういうことなのか」「どういう行動が結局は安全に繋がるのか」を知って生涯に渡って実践できるよう、心と体と反射神経を育てておくためのものです。
 一昨日、台湾東方で発生した地震による津波のため、沖縄県各地の島々では多くの人々が高台に避難しました。時節柄かなりの観光客も一緒に避難せざるを得ませんでしたが、見知らぬ土地でもパニックに陥ることなく、無事避難できたようです。もちろん東日本大震災の際の体験がありますが、実際に動けるのは幼いころから繰り返してきた避難訓練のおかげだと私は思っています。
 今年1月2日の日航機・海保機衝突事故で 日航機の400人近い乗員乗客が、わずか三か所の出口からたった18分で脱出できた―― そんな奇跡を可能にしたのも、間違いなく学校教育です(*1)。

【守るべき教育は守る】

 もう一度4月暦に戻ると、全国学力学習状況調査だの教員評価だのは削ることができても、歴史があり定評のある避難訓練などは、どんなに忙しくても削ってはいけないことが分かってきます。しかしもしそれも支えられなくなってきているとしたら、私はやはり人を増やすしかないと思うのです。せっかく定年延長も始まって人を増やせる条件が生れているのです。学校体制を整える最後の機会です。
(この稿、終了)

「入学式・始業式の来賓控室と担任発表あれこれ」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと④

 入学式は比較的に扱いの軽い行事。
 しかし子どもの清新な気持ちは大切にしたい。
 地域の人々が学校に期待していることを知るのもこの日、
 不躾な子どもが担任発表に一喜一憂するのもこの日。
 という話。(写真:フォトAC)

【入学式も大切にしたい】

 卒業式には強い思い入れとこだわりがありますが、入学式にはこれといった思いがないので、とにかく気持ちよく、無事終わってくれればいいと思うだけです。諸外国には入学に際してこれといった儀式のない国はいくらでもありますし、歴史的にも扱いは軽いものでした。

 江戸時代の寺子屋はもちろん、藩士の子にとっては義務教育だったはずの藩校ですら、就学は子どもが学習に耐えられそうだと思ったら始める随時入学で、入学式という概念もなかったのです。藩校では「素読」(本読み)の試験が入試代わりにありましたが、それも落とすための試験ではなく、藩校の学習に耐えうるかどうかを見極めるためのものだったようです。ある意味で、極めて合理的な制度だったと言えます。

 現在は3月までに6歳になっている子どもは個々の能力に関わらず一斉に一年生になります。しかしそこには別の合理もあって、「ほかのみんなと一緒に進級する」というのはやはり大切なことなのです。置いて行かれるのは辛いですし、他に先んじるのも必ずしも良いことではありません。
 また、小学校でこの時期の新1年生に抱負を聞くと、
「国語を頑張りたいです」とか、
「算数が楽しみでです」とか、平気で言います。
 国語や算数が何なのか分からないまま、すごく面白い何かが待っていると単純に思っていられる人生でもっとも幸せん時期ですから、やはり大切にしてあげたいものです。

【来賓控室で何が起きているのか】

 入学式ついてもうひとつ、一般にはあまり知られていない部分について記します。それは来賓控室です。
 来賓控室というのは一般の教職員のあまり出入りする場所ではありませんが、管理職でも挨拶に顔を出す程度で、中で何が行われているのかまったく分からない場です。自分自身が“来賓”となって初めて知ることができます。
 私の場合は退職後しばらく務めた児童館の館長として何回か、地域の小中学校の卒業式・入学式に出席しました。そこで一番驚いたのは、地方議員を始め区長、民生児童委員、その他さまざまな人々が、本気で、大真面目に、地域の子どもが入学したり卒業したりするのを喜んでいる、ということでした。仕事柄あるいは役職上、仕方なく出席しているのかと思ったら、まったくそうではないのです。子どもは、思った以上に地域の宝らしいのです。
 
 さらにもうひとつ“ああなるほどな”と思ったのは、卒入学式の来賓控室というのが、地域の名士の顔つなぎの場、互いの状況の確認と情報交換の場だということです。中でも市町村議員たちは自分がこの地域の利害の代表者だということを改めて示すともに、地域の要望を拾い上げていく場所でもあるのです。
 中学校の3年生などは、あと3年もすれば立派な有権者。今から顔を覚えておいてもらうことも必要でし、地域の学校のために自分が何かをしたという爪痕も残していかなくてはなりません。そのための取材の場のひとつが、卒入学式や運動会の来賓控室もしくは来賓席なのです。
 しかしこのことは、もしかしたら校長先生ですらよく理解できていないことなのかもしれません。分かっているのはPTA会長や地域の役員たちで、ここぞとばかりに学校の窮状や問題点を議員の耳に吹き込み、何とかしてもらおうとします。
 校長を含めて、ほとんどの教員は地元の人間ではありません。地元のことを本気で考えているのやはり地元選出の議員やPTA会長、地区の役員たちです。私は児童館長でしたが地元の児童館に勤めていたわけではなく、その点で疎外感いっぱいでした。その疎外感こそが、逆に他の来賓たちの地元愛の強さを物語っていました。

【担任発表のあれこれ】

 入学式での担任発表が話題になることはほとんどありません。
 というのは小学校でも中学校でも保護者の半数以上は初めての子どもの入学で、学校の様子が分かっていないからです。また新1年生の担任教師の半数以上も、その年に赴任してきた新しい先生で、生徒・保護者に知られていないという場合が少なくないから、互いによく分からないのです。

 ただし中学校でつい先月、卒業生を送り出したばかりの教師の中に特徴的な人がいたりすると、会場がざわめく場合もないわけではありません。特に恐ろしいことで有名な先生の名前が担任として読み上げられると、恐怖と安堵のため息が同時に体育館を揺らすこともあります。しかし稀です。
 小学校でもとんでもないサプライズ人事があったりすると新入生ではなく、その保護者がざわつく場合がありました。私がまさにそれで、名前が呼ばれた瞬間に体育館の後方で驚愕の叫び声が上がり、幽かな笑いとざわめきが広がりました。知らない人は何と思ったのでしょう? わけのわからないまま、恐怖で震えあがった人もいたかもしれません。

 入学式は特別でしたが、始業式となるとそんなことはしょっちゅうで、異動の際の始業式では新任職員紹介の列に並ぶと、
「今度の担任はアレ以外だったら誰でもいいな」
と心の中で思われる “アレ”はたいていの場合、私だったようです。とにかく顔が怖いのだそうです。そしていよいよ「担任発表」となって私の名前が呼ばれると、担任するクラスの付近から異様にほの暗い光が、一瞬放たれるような感じがありました。
 一度などは体育館のうしろの方で、女の子がとんでもなく大きなため息をつくのが聞こえたこともあります。もう30年以上も前のできごとですが、私はその子の名前を今も忘れず言うことができます。
 恨みではありません。私をほんとうにやる気にさせてくれた、大切な子どもだったからです。
(この稿、続く)

「三日目にして学校の構造が何となくわかって来る」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと③

 三日目も係会と職員会、そして入学式・始業式の準備。
 これでわずか4日目の入学式・始業式は可能になる。
 しかしロクに頭に入らない学校全体の話を、
 なぜこの忙しい時期に聞かなくてはならないのか。
という話。(写真:フォトAC)

【3日目に起こること】

 三日目も午前中は係会が二つと職員会議。
 今日の係会で話し合ったことを今日の職員会議で扱うのではなく、来週か再来週の職員会議で取り上げることになります。係主任はそれまでに計画案を作り直してきます。
 
 午後は入学式と始業式の準備。一昨日、副校長先生と係の先生が示してくれた案に従って、体育館や教室、来賓控室などを整えます。もっとも(後から知るのですが)大部分のことは3月末に1~2年生を登校させて済ませていますから、生花の手配や紅白幕の張り直し、立て看板の準備やら放送機器の確認など、直前の細かな作業が残っているだけです。
 
 経験者の先生方はいいのですが、初任の先生はここでまたひとつ出遅れを感じます。初日の職員会で聞かされた入学式や始業式の次第や準備について、何ひとつ覚えていないのです。体育館に職員会議の冊子を持ち込んでおられる先生は少なくありませんが、首っききで読みながら行動しているのは初任の先生ひとり。とにかくなにも分かっていません。
 そしてそれらが全部終わると、一息ホッとして、それから震えあがります。
「明日から生徒がくるのに、何の用意もない・・・」

【子どもたちは初日から動いている】

 ただし、三日目にして学校の構造というか、初日、二日目にやって来たことの意味がおぼろに分かってきます。
 ひとつは“子どもたちは初日から動いている”ということです。
 一昨日の昼頃、副校長先生が天を仰いで嘆いていたのは、
「これが今年最初の、オレの仕事かい? 8万円のうち5万円も使ってしまった!」
というものです。
 何があったのかというと1日の午前中に学校に遊びに来ていた生徒が、不注意で体育館の大ガラスを割ってしまい、年間のガラス修繕費8万円のうちの5万円を初日に執行する羽目になったというのです。あと364日も残っているのに――。

 しかしガラス代なんて金の問題ですからある程度どうでもいい話です。初日にさらに1枚割って都合10万円が必要になったとしても、教育委員会から叱責は受けるかもしれませんがガラスを入れないという選択肢はありません。教委の予算のいずれからか融通してくれるに決まっています。
 ところがこれが部活の際中で、器具の不具合のために生徒が大けがをしたとか亡くなったとかいった話になるとタダではすみません。あるいは生徒が今夜、繁華街で問題を起こすとか、明日始業式の日に学校に来た生徒が突然苦しみだすとか、始業式前の4月1日あろうと、入学前の生徒であろうと、学校は動かざるを得ません。
 そこで学校運営に関することや校則、危機管理や緊急連絡体制などは、4月1日から一通り学んでおく必要があるのです。

【職人組合(ギルド)としての学校】

 第二に、学校という組織が、分業と協業を基本とする社会の大方の組織と異なり、協業はあっても分業のない――いわば職人組合(ギルド)みたいなものであるため、初日からすべてについて理解しあわなくてはならないという事情もあります。

 一般的に言って、例えば自動車製造の組織では、ドアの製造にかかわる技術者はエンジンの出力や燃費の改善に関してプロである必要はありません。より安全で使いやすいドアを設計するのが仕事で、エンジンに無知でもかまわないのです。逆もまた同じで、それぞれが自分の部署を責任もって果たすことが前提で、そのうえ他の部門にも詳しければなおのこと良いだけの話です。
 ところが学校は児童生徒を部品別に育てるわけではありません。社会科の教師が社会科方面を、体育科教師が体育面をきちんと教えれば、9教科合わせて人格が完成、という訳にはいかないのです。
 
 中学校より小学校の方が説明しやすいのですが、3年1組の担任と3年2組の担任には同じことを同じように行うことが期待されていて、まったく違った教育がなされることは予定にありません。また6年生の担任に期待されていることも、レベルこそ違え、内容として同一です。
 
 教育基本法の第一条「教育の目的」に示された、
「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」
という目的を始め、第二条に示されるような具体的な目標、それを達成するために、学級があり、学級担任がいるのです。
 職員会に出席しているすべてのこうした教育職人が、自分の仕事をきちんとできるように互いに支え合い、協力し合っている、それが学校です。分業はないが協業はある、というのはそういう意味です。
 “学校では、すべての教師が同じ仕事をしている”
 そう考えて初めて、初日から学校の”From A to Z(あ-うん)”を学ばなければならない意味が分かってきます。

【だけど頑張る必要もなかった】

 三番目に言えることは、
「しかし、だからといって初日から全部に精通しようとする必要はなかった」
ということです。そもそも「校則」と「給食のきまり」と「清掃の仕方」をいちどきに覚えろと言われたってできるものではありません。
 大切なことは、それらが職員会議の冊子に書かれてあると承知していること、できれば何ページあたりにあったと漠然と思い出せるようにしておくこと。その項目の責任者が誰なのか、困った時に誰に聞けばいいのか、知っておくこと。その中でも一番声を掛けやすいのは誰なのか、秤にかけておくこと――それらが初日にやっておくべきことでした。
 今からでも遅くありません。
 誰を頼り、誰に相談して行けばいいのか――一番話しやすい人を探して親しくなっておく、それがこの時期にすべき最初の課題です。
 自分が有能で仕事ができることも大切ですが、誰がより良くできるかを知っていて、その人に頼めることはもっと大切です。
(この稿、続く)

[追記]
 今日中にやっておくべき仕事の中に、
「自分のクラスの生徒の名前を確認し、間違えずに言えるようにしておく。暗記が得意な人は、その上で名前も覚えておく(苦手な人はしない)」
を入れておくと役に立つかもしれません。私はサッパリ覚えられませんでしたが・・・。

「4月2日、係会、係会、係会、係会・・・」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと②

 年度当初の二日目。
 とにかく新体制のメンバーで1年分の見通しを立てなくてはならない。
 だから会議、会議、会議・・・。
 そして
自分のことは後回しになる。
 という話。(写真:フォトAC)

【二日目午前、係会1、係会2、係会3、係会4・・・、午後も会議、会議】

 怒涛のごとき4月の初日が終わり、2日目は多少ゆったりした時間が流れます。
 午前中の3時間余りを4コマから5コマに分けて、さまざまな係の会を同時に行います。例えば「9:00~9:30 係会Ⅰ 学校行事、人権・特別支援・国際理解・図書館」とあったりすると、それぞれの主任の先生が決めた場所に行って、一年間の計画などについて話し合います。学校行事の係でありながら特別支援教育の係でもあるといった係の重複する先生もいますから、その場合は主任どうしのやり取りでどちらに出るかを決めます。
 この係会で決まった内容が今日の午後、あるいは明日の午後以降の職員会議で、発表され審議されることになります。

 午後は職員会議を2時間、それから始業式以降の具体的で細かな動きについて詰める学年会が2時間、時間が余れば学級の事務・準備ということになります。でも計算が合わないでしょ? 職員会議と学年会が2時間ずつなら、午後1時から始めても退勤時刻になってしまいます。

 昨日は時間内に収まったのに今日は収まらない。それは以前、新年度の初日に転任・新任職員の歓迎会という名の飲み会を置いたからです。自家用車を自宅に置いてくる先生のことも考え、退勤時刻は絶対に守らなければならない。それが初日のお約束でした。だから時間内にすべてが収まるようになったのです。
 年度初日の歓迎会という文化は、コロナ禍もあっていったん滅びましたが、今年あたりはどうだったのでしょう?

【学校規模が小さいとかえってたいへん】

 ちなみに、長年いくつかの学校を渡り歩いてきて分かったのですが、係・委員会と呼ばれるものの数は学校規模の大小にかかわらず、だいたい60前後と相場が決まっているみたいです。考えてみればそれも当たり前で、小さな学校は国語係がいらないとか、生徒指導担当が必要ないといったことはなく、学校という組織をきちんと動かしていくための係・委員会はだいたい似たり寄ったりなのです。すると何が起こるかというと--。

 私は初任の学校が全校生徒1300人、教職員数58名という大校でしたので単純に計算すれば一人一役。しかしたいていの係は担当が一人という訳にはいきませんのであちこちで人数を増やすと、結局ひとりで五つほどの係・委員会に所属することになります。教職がマルチタスクと言われるのはそのためです。係ごとに”上司”がいます。ただし自分が主任の係はひとつだけ済みます。
 私は「資料室係」と言って倉庫みたいな部屋の管理をする係。一年に一度、夏休み中に簡単な掃除をするだけで終わりました。

 何年か後、今度は全校児童100名弱、全学年各1クラスといった小さな小学校に赴任しましたが、管理職と事務職を除く職員は6名。それで60あまりの係・委員会の主任を振り分けますから、ひとり10主任くらいになってしまい、一クラスの児童が10数名で学級事務は楽なのに、係の方は年じゅう主任仕事をしているみたいでまったく気が抜けませんでした。係・委員会には対外的で責任の重い仕事も少なくありませんから、小さな学校もそれなりに大変なのです。

【出発準備の職員間格差3種】

 二日目の日程が終わったところで、
「さて、学級の準備もしなくちゃ」
と手を付け始めると、この時点ですでに先生方の間に大きな格差が広がっていることに気づかされます。どこで差がついたのか――。
 昨日のことを思い出してみると、転任・新任の先生方が校内巡りをしたり地域の主な場所(JAだの病院だの)にあいさつ回りをしたりしていた時間、残留組の先生たちにはこれといった仕事がなく、暇だったことがわかります。合わせると2~3時間にもなろうという大きな時間、残留の先生たちは学級の事務仕事をしていたのです。名簿をチェックしたり教室を飾り付けたり、ロッカーや下足箱に名前のシールを貼ったりーー。
 
 転任してきた経験ある先生方はそのあたりを十分承知していますから、水を開けられていることに多少イライラしながらも、心の中では○○時までにあれをやって○○時からこっちにも手を付け、あれとこれは後日に回してと、何となく計算しているのです。
 ところが新任の先生はとりあえず何が起こっているかも理解できていません。現在何が進んでいて、自分はどこが遅れていて、いま何が必要なのか、そういったことも一切わかりません。
 いちいちが「人のふり見て~」なので、ひとつひとつが確実に遅れるのです。遅れてやり始め、慣れていないからやはり遅い。

【なかなか助けてあげられない】

 この辺りが今は違ってきているのかもしれませんが、昔の学校には新任の教師を目の隅でずっと追っているベテランの先生というのが、学年内にひとりは必ずいたのです。そしてちょくちょく声をかけて次にやることを教えてくれたり一緒にやってくれたりしました。ところが今はなかなかそういう訳にはいきません。
 人情が希薄になったという訳ではありません。どんなベテランであってもとりあえず自分のことで手いっぱい、若い先生のことは気になっても昔の教師ほど近くにいてやれる条件がないのです。そのツケは必ず回ってきますから、お互いにとって気の毒な時代になっているということです。
(この稿、続く)