カイト・カフェ

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「子育ての練習としての動物飼育」~ウサギとカメの教育科学②

 私は特に熱心な動物愛護家という訳ではない。むしろ反対だ。
 しかしよく考えると、大人になるまで一貫して、私は動物を飼ってきた。
 飼わなくなってからの約30年間は、子どもを育てていたのだ。
 そう思うと、飼育体験はやはり決定的に大切なのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

【どこまで私はペットを可愛がったのだろう?】

 昨日は「ペットロス8カ月」とか書きましたが、10年飼ったウサギが死んだので少々ロス気味だっただけで、もともとはそれほど動物好きなわけでもなく、喪失感が大きかったわけでもありません。

 生きている間もウサギの顔を見れば心癒されるというわけでもなく、視野の隅でヒョコヒョコ移動していく薄茶色の固まりがあれば、「ああトイレかな?」と思う程度でした。可愛そうですからエサは欠かさず、他にやる人もいないのでラビット・ランを作って毎朝走らせたりしました。しかしそれとて責任感からやったことで、決して《可愛くて、可愛くて》といった感じでやっていたことではなかったのです。しかしその“可哀そう”といった感じ方や”責任感”は、それだって大切ですよね? 
 私はそうした感覚を、どこで身に着けたのでしょうか?

【思い起こせば、一貫して生き物を育ててきた】

 記憶にないほど幼いころ、私の家ではアンゴラ・ウサギを飼っていて、小学校5・6年生のクラスでは学校の十数羽のアンゴラ・ウサギの飼育担当学級でした。アンゴラは毛が採って売れるウサギなので、昔は飼っている家がそこそこあったのです。また同じころ、弟の強い希望で犬を飼うようになり、犬のいる生活は高校を卒業するまで続きました。
 ただ、それ以降40年あまり、都会に住む娘が飼いきれなくなったウサギをわが家に預けるようになるまで、ただの一度もペットを買おうとは思いませんでしたから、幼少期の体験は私の中でまったく意味を持たなかったように見えます。もちろん娘からウサギを預けられたとき、抵抗なくすんなりと受け入れたのは、過去にウサギを飼ったことがあるという幽かな自信、大して手間のかかる生きものではないという知識があったからですが、その程度のことです。
 
 しかしそれにしても、親も先生もあんなに熱心に支えてくれた動物飼育の体験が、まったく意味をなさなかったというのはどういうことか、40年もの間、私は生き物との距離をどのように考えていたのか――。
 そこで気が付いたのは、その40年間の大半を、私が学校の児童生徒と二人の実子を育てることに熱中していてペットどころではなかったこと、大学を卒業してしばらく熱帯魚を飼っていて、それから結婚して二人の子の親となり、都合30年間ほどを子育てに熱中して、娘の飼えなくなったウサギが我が家に来たのは二人の子が家を出て、私自身が教職を去ってからのことだったということです。
 ですからウサギも犬も熱帯魚も人間も一緒くたに考えると、私はほぼ切れ目なく、一貫して生きものの近くにいて生きものを育ててきたことになります。
 
 そう考えると飼育体験は私の子育ての準備活動だったのかもしれず、ちいさな内から生命とふれあい、腕の中でうごめくものを優しく抱きしめて押さえ、その体温を感じ、いつくしむ体験は、人間にとって決定的に大切なことのかも知れないという気もしてくるのです。

【子育ての練習としての動物飼育】

 江戸時代まで遡れば、日本の子どもたちは動物飼育など、改めてする必要はありませんでした。
 農村には牛馬が日常的に存在し、ニワトリを飼う家も少なくありませんでした。都市部にも牛馬は入り込んでいましたが、何と言っても士農工商どこでも子だくさんが望まれた時代、庶民のところでは6歳を過ぎたころから、子どもが子どもの面倒を見る習慣が自然と根付いていました。多くの女子は年頃になって嫁いだ時にはすでに数人の子育て経験を経ていて、それから初産を迎えたのです。もちろんそうでない子もいましたが三世代・四世代家族の家は、煩い姑・大姑がピッタリ張り付いて、指導してくれたはずです。そんな時代に、動物の飼育活動を通じて生命を慈しみ、責任をもって育てる練習をする必要などまるでなかったのです。
 その必要性が本格的に考えられるようになったのは、昭和もずっと下った1980年~90年代ごろのことです。
(この稿、続く)