「再び道徳の教科化について」�@

 2月の教育再生実行会議の答申以降、道徳の教科化がどうなっているか見失っていました。うっかりしていました。アベノミクスなど首相も忙しいのでしばらくはほったらかしかなと思っていたら、文科省はちゃっかり「道徳教育の充実に関する懇談会」なるものを開いていて、(たまたま)今日9月26日で7回目となっています。

 これまでの6回分の資料は文科省のサイトからダウンロードできるのですが、中に『資料3 「道徳教育の充実に関する懇談会」これまでの主な意見』というのがあって、さっそく読んでみました。感想は、

――ガリレオ福山雅治風に言えば「ハハハ、さっぱりわからない」です。

 そもそも現状認識がしっかりしていない。

 世界のどこの国にもモラルの教育はあるが、我が国では、歴史の中で経験してきた古い時代のいろいろな問題に妨げられて道徳教育を忌避しがちだった。

ここから始まる議論に実りのあるはずはありません。

 日本以上にモラル教育をしている国がいくつあるか、人の心を矯正するという意味なら北朝鮮を筆頭にいくつかありますが、普通の意味でモラル教育を組織的に行って成功している国は、日本をおいて他にないのです。

 なにしろ、「財布をなくしてもお金の返ってくる国」です。無人販売というとんでもない方法が通用する国です。ジーパンのお尻のポケットから半分財布を出した状態で街を歩ける国、子どもがひとりで地下鉄に乗れる国、公衆トイレが匂わない国、道路にごみが散乱していない国。これだけ道徳的な国をつくっておいて、まだ「道徳教育を忌避しがちだった」ということであれば、政府や知識人たちはどんな教育によってどんな国家をつくろうとしているのでしょうか。空恐ろしくなります。

 確かに、もとを質せば2月の教育再生実行会議の答申は「いじめをなくすために」という前提で出されたものですから「いじめ」がなくならない限り学校の道徳教育はうまく行っていない――あるいは道徳教育をしっかりやれば「いじめ」がなくなると信じているのかもしれません。しかしどうでしょうか?

 道徳の目標は基本的に絶対善です。盗みのない社会、ごみの散乱しない社会、誘拐や殺人を恐れずに暮らせる社会は、追求すべき理想です。しかし「いじめ」のない社会は必ずしも絶対善ではありません。

 なぜなら「いじめ」の内容のトップが「悪口・からかい」、二番目が「仲間はずれ・無視」だからです。「悪口・からかい」の一切ない社会、嫌な奴でも一度仲間になったら永遠に付き合っていかなければならない社会、それは必ずしも健全な社会ではありません。

 いじめ問題は、そこから研究しなおさないと出口は見えてこないのです。

 さて、私が「さっぱり分からない」ことにはまだまだ理由があります。それについて改めて考えます。