「印象派の人々」�@

 私は図工や美術の専門家ではありませんが図工・美術教育についていろいろ調べ、考えたことがあります。以前にも申し上げましたが、小中学生のころ、絵にかなりの自信を持っていたのに全く評価されなかった恨みがあるからです。なぜ評価されないのか、その訳を知りたかったのです。

 その結果わかったことは、日本の絵画教育の基礎には、ずっと印象派の潮流が流れているということです。学習指導要領をどうひっくり返しても出てきませんが、指導要領の理念を具現化しようとするとき、手法としては印象派しかなかったのです。それが西洋画の主流だと信じたからです。日本が初めて西欧に触れたとき、もっとも勢いがあったのが印象派で、日本の西洋画は印象派を出発点としているのです。

 私の専門の歴史では、文化史を考えるとき「その人はどのようにして食っていたのか」というのは大事な視点になります。例えば、モーツァルトはどのように飯を食っていたのか、コンサート収入か、楽譜の著作権料か、はたまたどこかの貴族のお抱え楽士だったのかといったことです。それによってモーツアルトの生き方や音楽の方向は変化します。

 印象派以前の画家の収入源のほとんどは肖像画と装飾画です。基本的に王侯貴族の依頼によって絵を仕上げます。屋内に飾られることが予定されますが、まだ電燈のなかった時代です。コントラストが強くないとどうしても映えません。ルーベンスやベラスケスといった人たちの絵がどうしても暗くなるのはそのためです。背景を暗くして部屋に馴染ませ、人物の明るさを浮き立たせようとしたのです。ところが19世紀後半、時代は美術界に大きな変化をもたらしていきます。

 ひとつは写真の発明です。まだ白黒でしたが、正確で安価であれば絵画は写真に敵いません。また納期も圧倒的に写真の方が上ですから、これによって多くの肖像画家たちは仕事にあぶれるようになります。

 もうひとつは貴族の没落、資本家たちの興隆です。イギリスではジェントリと呼ばれるかつての地主層が、産業革命を経て莫大な資産を持つ不労所得者となり、暇を持て余していました。私たちの知る代表的ジェントリはシャーロック・ホームズですが、こうした人々が新しい文化の担い手になってきたのです。

 第三に、チューブ絵の具の発明があげられます。画家たちはこれによってキャンバスとイーゼルを屋外に持ち出すようになります。ただし実際の風景を観ながら描く絵は、これまでとまったく違ってきます。屋外の風景は刻々と変化していきますから急いで描く必要があります。おまけに周辺は光に持ちていますから画面の隅々まで明るい絵を生み出す技法が必要になります。そしてそこにとんでもないものがやってきます。日本の浮世絵です。

 浮世絵は最初、箱詰めで輸入された陶磁器の詰め物としてヨーロッパに入ります。それが広げられ販売されたのです。そこには閉塞状態にあった画家たちの求めるものがすべてのものがそろっていました。画面の隅々まで広がる明るさ、大胆な省略と奇抜な構図。こうして画家たちは浮世絵の研究に没頭し始めたのです。

                                   (この稿、続く)