カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「虐待のこと」~まったく理解できない事実を、どう分かったらいいのだろう。

 昨日のニュースに兵庫県尼崎市の小学4年生が9時間に渡って両親から殴られ、意識不明の重態だという記事がありました。

 その前には横浜市港北区の1歳2ヶ月の女児が木箱に詰められて窒息死しています。木箱に入れられたのです。

 さらに少し以前には同じ横浜で小5の男児に2週間のけがをさせた父親が逮捕されていますが、逮捕のきっかけは男児がコンビニでおにぎりとパンの万引きをし、トイレで食べているところを店員に発見されたことによるものでした。5日間も食事をさせてもらっていなかったのです。それだけではなく約1カ月前から全身を木刀で殴られたり手の甲に灸をすえられ、今年度は学校に数日しか通っていなかったそうです。

 昨年4月に、大阪市西淀川区でベランダに出されたまま両親に殺された9歳の女の子について、母親は内縁の夫の仕業としてこんなことを証言しています。
「A(被害者女児)の頭をまな板でたたき、まな板が割れたことがあった」
「殴られてあざだらけの顔で寝ているところを『殺された人みたい』と言って写真を撮っていた」

 その子の最後の姿は、当の父親によってこう表現されています。
「横たわったまま右手を動かし『ひまわりを探している』と言っていた」
「(死亡直前の)午後3時前に『まだここで寝んの』と聞くと『ここで寝る。おやすみなさい』と言った。その後、身動き一つしなくなった」

 虐待に関する日本の状況が、ここまで深刻になってきていることを思い知らされたのは、2004年1月に発覚した岸和田事件と呼ばれる虐待事件からです。このときの被害者は中学3年生の男子でしたが、発見された段階で身長155センチ体重24キロと餓死寸前にまで追い込まれており、意識不明の状態でした(両親は死んだものと思い込んで病院に通報し、虐待が明らかになります)。

 発覚後長く意識不明の状態が続き、これはもうだめかもしれないと思っていたのですが、最近のニュースで意識を回復していることを知りました。ただし脳萎縮が進んでおり、著しい知能低下と体の障害が残ったそうです。

 私は虐待する保護者の気持ちの、100万分の1さえも理解することができません。犬の子だって猫の子だって、あるいはオタマジャクシのような小さなものでさえ、いたぶって弄ぶことには抵抗があります。ましてや人間の子、自分の子です。しかし、理解できないからといって、教師である以上、放り出すこともできません。

 これまでイジメやら不登校やら非行やら、あるいは授業を荒らす子どもたちの存在やらモンスターペアレントやら、学校はさまざまな問題を突きつけられ、苦労して対応策を生み出し、あるいはうまく対応してきました。そしてこの次に未知のこととして突きつけられるのは、間違いなく虐待の問題です。

 虐待が疑われる際には、私たちには通報の義務がありますが。学校としてばかりではなく、個人としても責任が問われます。しかし一方、保護者との関係を決定的に悪くしてしまうと子どもの教育の何ひとつできないという弱味も、私たちには存在します。疑わしいからといって右から左へ自動的に通報するなどということはできないのです。

 そうした学校の立場を確認した上で、さて、明日にも突きつけられるかもしれない「虐待」の事例に対して、どのような心構えとスキルを携えていればいいのか。

 夏休みから今年後半の私のテーマのひとつは、それです。