カイト・カフェ

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「語のグローバル化」~言葉は文化の低い方へ流入する

 日本は中国の漢字によってたいへんな恩恵を受けています。漢字がなければひらがなもカタカナもなかったわけで、日本で何らかの文字が発明されるまでに、相当な量の文化が失われてしまったはずです。中国には感謝しなければならないところです。

 ところで、中国と日本とでは意味の異なる漢字、たとえば「愛人」(中国では配偶者)、「手紙」(中国ではトイレット・ペーパー)、「暗算」(中国ではだまし討ち)などは有名ですが、日本にしかない擬似漢語というものもかなりあります。

 その多くは明治期、英語やドイツ語を日本語に移し変える祭に発明されたもので、「石鹸」「毛布」「駅」「巡査」「契約」「自由」「権利」「義務」「恋愛」などはみなそのころに作られた言葉です。
 文化の移入を急ぐととりあえず名詞の移動が関門になるので置き換えられたものも名詞がほとんどなのですが、実に大量の擬似漢語が生み出されています。
(もちろん和語に置き換えても良かったのですが、和語の名詞は「歩き」とか「働き」とかいったふうにどこかに動詞のにおいを強く持っていて、使い勝手がよくないのです。ステーション=「とどまりどころ」では何となく変ですよね)

 さて、文化は常に高いほうから低い方へ流れます。古代において大量の漢語が日本に流れ込んだのは、中国の方が文化の上で圧倒的に高かったからに他なりません。明治維新から今日に至るまで、日本語に大量の英語が流れ込むのも同じ理由です。
 そうなると近代文明という意味で、一時的にしろ日本が中国を圧倒したここ100年余り、日本文化が圧倒的に中国に流れ込んだとしても不思議がありません。ことに漢字を共有する両国ですから、一度動き始めると流れは相当に強かったはずです。

 そんなことを考えていたら最近、インターネットのニュースでこんな記事を見つけました。
 中国新聞網の掲示板に「現代中国語では多くの日本語が使用されているが、漢字は日本語のコピーなのだろうか?」とする投稿があり、話題となっている。

 投稿では、中国語にとって外来語にあたる日本の漢字は、現代の中国文化にとって大きな影響を与えているとし、「すでに聞き慣れてしまい、広く使用されている言葉のなかには、日本語を導入したものが多い」と主張した。

 続けて、投稿では「解読」、「新鋭」、「職場」、「新人類」、「視点」、「親子」、「達人」、「放送」、「完敗」、「完勝」、「上位」など、数多くの「外来語」を紹介した。また、日本語の「超カワイイ」、「超すごい」など「超〜」という言い回しや、「真の〜」といった言い回しも、すでに中国語として普及していることを紹介した。

 「漢字は日本語のコピーなのだろうか?」はもちろん皮肉ですが、そうした皮肉を言いたくなるほどに苛立っています。日本でも「大量に流れ込む外国語のために、純粋な日本語が乱れている」という主張が繰り返しなされますが、どこの国でも事情は似たようなものです。

「チョー カワイイ」はフランスでもそのまま通用します。それはシュークリームがそのまま日本で通用するのと等価なのです。

 放っておいても言葉はどんどん低い方へ流れてしまいます。