保護者と話をするとき注意しなければならないことのひとつは、「親が悪いとこちらが思っている」、それを気取られないことです。
向こうだって「学校が(先生が)悪い」と思っているのですから、双方で責任のなすりあいになったら泥沼です。また実際に、親は悪くなんかないのかもしれないからです。
昔の親が立派な教育をしていたなんてでたらめです。それは昔の教師は立派だったというのと同じくらい愚かなことです。
もちろん立派な親もいましたが(今もいます)大半は普通の人でした。特に農家の嫁なんていうのは体のいい労働力で、朝から晩まで畑に出て働いていましたから、子育てをするなんていう暇はありません。男も外で働いていますので、そもそも子育てをしている親なんて、ほとんどいなかったのかもしれないのです。
では、誰がしていたかといえば、舅や姑何人もいた小姑、たくさんの兄弟や近所の悪ガキ連合、そしていつも外にいて、さりげなく子どもたちを見ていた近所の人々がその仕事をしていたのです。こうした人たちがよってたたかって指導をするのですから「親はなくても子は育つ」みたいになるのは当然です。
また大量の人の個性が混ざり合っていますから、教育はブレンドコーヒーのようにまろやかで、尖った個性の際立たない、常識的なものになりました。
核家族の現代、そして少子化で近所に子どもが少なく、さらにその近所づきあいですら極端に少なくなった今、子育てはたった二人の親でやっていかなければならない大事業です。だから大変なのです。二人の個性がそのまま子どもに転写されてしまいます。
ですから「親が悪い」と言ったら気の毒なのです。人類史上、ほとんど誰もやってこなかったことを二人だけでやらなくてはならないからです。言っても何の益もありませんし、いまさら変えようもありません。
ではも責任だけはありますから、誰かが助けてやるしかありません。
学校は家庭教育に口を出すな、といった言い方もありますが、他にやる人がない以上、私たちがやるしかないのです。