カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「先生方! 教師は教養がないって言われているよ!」~教員の教養の高め方①

世間は教師のことも学校のことも理解していない。
教育学の大学教授でさえ、現場を理解できないのだ。
彼らは給与さえ増やせば人材が集まると信じ、
大学院卒なら優秀だと思い込んでいる。その上で現職教員たちを腐す。
という話。(写真:フォトAC)

【なんか納得の行かない記事を見た】

 「『教師』は誰でもできる仕事!?―文科省通知に物申す」()という月刊教員セミナーの記事がYahooニュースに転載されていて、タイトルにひかれて読みました。
 
 内容は、教員不足に際して文科省は特別免許や臨時免許を乱発して人員を確保しようとしているが、これでは質を下げるばかりじゃないか。そもそも諸外国では大学院卒が教員の条件になりつつあるのに日本は大卒のままだ。とにかく給与の低さが問題で、待遇を考え直さなくては人材が集まらない。給与を上げれば人が集まるとは限らないが、とりあえず院卒なら2割上げるといったふうに教職の地位を高め、その上で厳しい選考を行う。そうでもしないと教師の質は上がって行かない、といった話です。
 
 筆者は東大名誉教授で教育学博士、その学歴は東大大学院修了だそうですが、ほんとうに大学院を終えているとは思えない発言です。なぜなら大学院は各自テーマを持って研究する場で、出たからと言って教育力・指導力が高まるとか――ましてや教養が深まるとかいったふうにはならないからです。
 
 さらに給与を増やせば人材が集まるというのも単純すぎる話で、大部分の教師は大幅な賃上げなど本気で望んではいないのです。増やしてもらったところで使う時間がない。
 定額働かせ放題の給特法を何とかしろというのも、働きに対価が支払われないとしたら自分たちの労働は無価値同然じゃないかという憤りのためであり、あるいは残業手当を出すことで時間外労働が抑制できるのではないかという話であり、本来が金目当てではないのです。
 
 もちろんアメリカの弁護士並に年収数千万円から億越え、40歳までに死ぬほど働いてあとはさっさとリタイアし、避暑地に別荘を買って遊んで暮らす――そういった生活設計ができれば人材も集まるし過剰労働も苦にしないでしょうが、たった2割~3割の増額で、今の教職に人が殺到することなど絶対にありえません。過労死の危険や精神疾患の可能性が掛かっているのですから。
 したがってこの記事も取るに足らないもの、敢えて語る必要のない話、そう考えてもいいのですが、一か所だけ気になる部分があって、そこで敢えて取り上げることにしました。

【先生方! 教師は教養がないって言われているよ!】

 それはミナとマナブという、架空の二人による掛け合いで表現された次の部分です。
ミナ 文科省の調査からは教師の研修時間が激減していることがわかります。教師の本離れも指摘されています。
マナブ 新聞も雑誌も読まないという教師も少なくないと思います。子どもだけでなく教師の読書調査をする必要があると思っています。
 これまで国内だけでも5000校くらいの学校を回り、何万人もの教師と知り合ってきましたが、確実に言えるのは、教養のある教師じゃないと子どもは信頼しないということです。
ミナ 教師の教養を子どもが見分けている!?
マナブ 子どもだって見分けられます。教養のある教師は子どもに信頼され、尊敬されます。逆に教養のない教師は軽蔑されるんです。
 
 コンプライアンス研修とかハラスメント研修だとか、強制された研修は爆発的に増えていますが、個人レベルでの研修時間が減少しているのは事実でしょう。本務が忙しくて勉強する時間などほとんど残っていないのですから。

 教師の本離れも指摘されていますという発言のあとで、子どもだけでなく教師の読書調査をする必要があると思っていますという話が出てくるのも胡散臭いですが(ナンダイ? 教師の本離れのデータはないんかい?)、新聞も雑誌も読まないという教師も少なくないは、実感として“そうかもしれない”と思わせるところもあります。
 私も現職の間中、新聞は取っていましたし雑誌は月刊「文芸春秋」を欠かさず購入していましたが、読む記事はあまりにも少なかったからです。時間がありません。学生のころはあれほど読んだ小説やエッセイの類もほとんど手にしなくなりました。教育学や教科にかかわる読書はしましたが、“教養”というのとはちょっと違うでしょう。

【何かひとつ武器があればいい】

 教養のある教師じゃないと子どもは信頼しないというのも言い過ぎでしょう。
 確かに、訊けばどんなことにも答えてくれる教師は魅力的ですが、他に特技があればなんでもかまいません。サッカーボールのリフティングがものすごくうまいとか、数学の先生なのにジャズピアノを弾いて見せたとか、本格的な凧の研究者だとか、何かひとつ子どもたちを驚かせる技を持っていればかなり便利なことは確かです。
 いつも子どもに寄り添って話を聞いてくれるとか、なぜか知らないけれど頼りたいときにそばにいてくれる、そういう才能・技術をもった先生だっています。まるっきりのガキ大将で、子どもたちと一緒に駆けずり回るお友だち教師みたいな先生も、極めて稀ですが、いることはいます。
 ただ、何もない教師、これといってとりえのない教師は、技術を磨いて授業を面白くするくらいしか子どもたちを繋ぎとめる術はありません。私はその授業技術ですら平凡な教師でしたから、他に道を探さざるを得なかったのです。
 (この稿、続く)

news.yahoo.co.jp

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「間もなく極東で戦争が始まる(・・・かもしれない)」~子どもたちに中国を教える日が来る ③

政府の中枢から葛藤が消え、問題は市民レベルに下りてくる。
対立は深まりこそすれなくなることはない。
そこで国民を死なせることに何のためらいもない為政者たちは、
本気で戦争のことを考え始める・・・かも知れない。
という話。(写真:フォトAC)

【政権内部の闘争が外部に移行する】

 内政に困難を抱えた政府が、戦争によって国内をまとめようとする愚行は昔から繰り返されてきたことです。
 逆に言えばここ数年、世界第二位の経済力をもって飛ぶ鳥の勢いだった中国が、わざわざ国際秩序を乱し、南シナ海に進出したり台湾に圧力を加えたりするのは、内部が外から見るよりははるかに難しいことになっていたからかもしれません。特に中国の政権の内側はまったくうかがい知ることができませんから、そういう視点で気に止めておいた方がいいことなのかもしれないのです。
 
 おそらく今回の指導部刷新で政権内部の矛盾は解消されたでしょう。しかし反周近平の人たちが代表していた利害は今後まったく考慮されませんから、矛盾は政権内部から外へと移行される可能性があります。
 そう考えるとここのところ急に見られるようになった北京市内での、反政府の横断幕やらスローガンやらといったものも、別の姿で見えてきます。

【中国の外交はなぜこうも乱暴なのだろう?】

 中国もロシア同様、手下はいても友だちのいない国です。友だち作りがとてもへたなのです。
 「一帯一路」の経済圏構想といっても共存共栄ではなく、いつの間にか主従関係を基礎とした支配の構造を積み上げてしまいます。欧米諸国が見向きもしない発展途上国独裁政権を援助して、支持を取り付けるとともに、インフラを整備しながら債務の罠を張って一部海外の港湾を手に入れたりもしています。
 インフラ整備と言っても労働者のほとんどは中国から連れて来られますから、地元に金が落ちず、経済活動は停滞したままで借金ばかりが残るのです。これでは中国嫌いの国民をつくるだけです。
 
 南シナ海ではフィリピンとベトナム沖の島嶼を次々と軍事基地化し、台湾に対する野望も隠しません。香港を国際的な衆人環視の中で押しつぶし、ウイグル自治区の弾圧・同化政策に至っては一切情報が出ないようにしています。
 戦狼外交と呼ばれるこうしたやり口は何のテライもない明け透けなもので、私などはもう少しスマートにできないものかと思うのですが、まったく考慮する様子がありません。まさに傍若無人です。

 【戦争はほんとうに起こるのか】

 世界第三位(または二位)と言われる軍事力については、どこまで本物か分かりにくいところです。ほぼ同等と見積もられているロシア軍がウクライナであの体たらくですから、朝鮮戦争以来一度もまともな戦争を戦ったことのない「一人っ子小皇帝軍団」は、意外と張子の虎なのかもしれません。
 ただ、それでも物量は圧倒的で、指導者は伝統的に国民が何万人死のうが苦にしませんから危険といえば危険です。
 
 1957年11月に旧ソ連で開かれた社会主義陣営の各国首脳会議の席上、フルシチョフ第一書記が「西欧との平和共存論」を提唱すると、毛沢東は真っ向から食って掛かってこう言ったといわれています。
「われわれは西側諸国と話し合いすることは何もない。武力をもって彼らを打ち破ればよいのだ。核戦争になっても別に構わない。世界に27億人がいる。半分が死んでも後の半分が残る。中国の人口は6億だが半分が消えてもなお3億がいる。われわれは一体何を恐れるのだろうか」
 朝鮮戦争で40万人もの兵を、酷い人海戦術で死なせてしまったばかりの毛沢東が言うわけですから迫力があります。周囲の人々はそのとき凍りついたと言われています。
 毛沢東のできることは鄧小平もできます。そしておそらく周近平もできるはずです。

【何をするか分からない人が支配者になる国】

 私の中では「中国は何をするか分からない国」――いや正確に言えば「中国は何をするか分からない人を支配者に戴く国」です。
 内政は今後も悪くなる一方でしょう。米中対立も解消の見通しはなく、表向きの盟友ロシアの凋落は明らかです。
 10年かかってもできなかった台湾統一も、そろそろ具体的成果を見せなくてはなりません。3期15年もかかって「中国の夢」を実現できなければ、4期目・5期目もないと人々は考え始めるかもしれないからです。
 さてそこで、子どもたちにそれをどう伝えるのか――。
(この稿、終了)

「中国は今ふたたび危うい国になった」~子どもたちに中国を教える日が来る ②

中国はまたもや独裁者を戴く国になった。
しかしちょうどその今、内政は危機に向かおうとしている。
新型コロナはこれからもこの国で、侮れない内憂であり続ける。
自由と資本の甘い味に慣れた人々も、間もなく我慢できなくなるだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【李鋭は予言した】

 先日、ロシアについて、
「なぜロシアはこんな為政者しか生み出せないのか」
と書きましたが、実はこの言い方には元ネタがあって、次のようなものです。
 中国数千年の歴史で培われてきた封建制度や農民意識からは、秦の始皇帝毛沢東や鄧小平のような人物しか出てこない

 語ったのは李鋭という毛沢東の元秘書で、大躍進運動を批判して地位を追われ、文化大革命でも投獄され、その後改革派の論客として長く活躍した人です。数年前まで習近平指導部の政治も強く批判していましたが2019年に101歳で亡くなりました。彼が書き続けた日記は中国共産党を知る上で一級の資料と言われています。

 引用した文には鄧小平の名前もありますが、中国共産党の集団指導体制を指示し、改革開放を果たして今日の経済発展の礎を築いた鄧の名前が出て来るのは、ひとえに天安門事件で軍を動かした責任者だからです。
 二度と毛沢東のような人物を生み出さない、そのための政策を次々に打った鄧小平でしたが、目的のためには国民を犠牲にしてはばからない点で毛沢東と変わりありません。天安門事件の犠牲者は1万人を越えると言われています。
 李鋭の嘆きはしばらく前のものです。しかしいま語らせれば当然ここにもう一人加えられるでしょう。習近平、その人です。

【近くて遠い弱小国のできごとではなくなった】

 もっとも日本にとっては長征も大躍進も文化大革命も、そして天安門事件さえも直接的には影響のなかった事件です。いずれも近くて遠い弱小国のできごとでした。しかし今、同じ規模の大事件が勃発すれば、日本も無傷ではいられないでしょう。日本に限らず世界は中国に深入りしすぎていますし、中国も世界に深く入り込んでいます。

「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」(黒猫白猫論)と言い、「先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助ける」(先富論)と煽った鄧小平の改革開放政策は見事に実を結び、いまや中国は世界第二位の経済大国です。中国の有名企業、バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ、レノボ、ハイアール、美団、シャオミなどは、もはや知らない人の方が少ないくらいでしょう。
 しかし習近平政権になって、特にここ数年はだいぶその躍進もだいぶ様変わりしてきました。

 かつての経済成長には陰りが見え、GDPの伸び率が8%切ったら潰れる6%を下回ったら潰れると言われながら、いまや2%台です。看板のゼロコロナ政策は一時期国民の絶大な支持を集めましたが今や重い足かせとなっています。しかし習近平政権は簡単にやめることができない。周国家主席は漫然無欠、無謬でなくてはなりませんから。

【しかしコロナは甘くない】

 韓国や日本の様子を見ても、コロナ禍はある程度の拡散を受け入れなければ落ち着かないようです。
 かつてのコロナ防疫優等生の韓国・台湾・シンガポール・オーストラリア・ニュージーランドも、いまや感染率で世界のトプレベルです。韓国では国民の49%が一度は感染し、イタリアやフランスを大きく越えてしまいました。ニュージーランドで37%、オーストラリア41%、シンガポールで35%、台湾ですら29%もあります(ただし死亡率は欧米に比べて極端に少ない)。
 
 日本は6月の末で7・3%。まさにトップ・オブ・トップでしたが、巨大な第7波であっという間に17・4%にまで増えてしまいました。しかしそれでもまだ不十分、万能ワクチンでも出て来ない限り、第8波は7波を越える感染拡大になっても不思議ではありません。
 ところが中国は現在のところ感染率わずか0・07%。ほとんど無垢みたいなものです。中国製ワクチンの効力を信じる人はほとんどいませんから、ゼロコロナ政策を続ける限り、これかも果てしなくロックダウンを繰り返さざるを得ません。国民の気持ちがもつかどうか。
 
 おそらくそろそろ限界で、今回の党大会の最中にも北京の歩道橋に政府批判の垂れ幕が張られ、映画館のトイレにもスローガンが落書きされた上、ビラもまかれたといいます。昨日は小規模なデモの様子がSNSに挙げられました。
 政府当局は検索を不能にすることで対応し、「垂れ幕」や「スローガン」はもちろん、「勇気」や「反対」、ついには「北京」でさえ検索できなくなったと言いますが、この先ずっと「北京」も検索できないようでは商売にも差し支えるでしょう。いつまでも続けられるものではありません。

【中国のグローバル企業が鳥籠に押し込まれる】

 私がさらに注目するのはバイドゥ、アリババ、テンセントといったGAFAを凌ぐ世界企業です。
 米中対立で煽りを食ったこれらの企業は、世界進出の鼻先を抑えられていますし、国内的には不当に利益を吸い上げられています。ファーウェイの副社長は2年9カ月に渡ってカナダに軟禁状態にされ、アリババの創業者のジャック・マーも三カ月間も行方不明だったかと思ったら巨額の財産を没収されています。行方不明と言えば女優のファン・ビンビンも長期間いなくなったと思ったら脱税で訴えられ、100億円を越える追徴課税や罰金を払う羽目になりました。
 「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ」と言われて鼠を捕りまくっていた人たちが、上前をはねられるようになったのです。しかもさらに儲けようと思っても世界への出口が抑えられつつあります。
 資本主義の甘い蜜をたっぷり味わってきたこの人たちが、いつまでこの状況に耐えられるでしょう。だいぶ気になるところです。
 (この稿、続く)

「息子・習近平は勝つことしか学ばなかった」~子どもたちに中国を教える日が来る ①

第20回中国共産党大会は、習近平国家主席の続投を決めて閉会した。
周近平の特別な地位を認め、周近平の思想によって国を動かすのだという。
どこかで見た風景、いつか嗅いだことのある匂い。私はそんな中国が恐ろしい。
まもなく子どもたちに中国を教える日が来る。
という話。(写真:フォトAC)

【ものの見方が変わってきた】

 43歳の時に大病をして、あとは余生と思って生きて来たのでもう未練はない、いつ死んでもいい、しかしもし願いがかなうなら、中国と北朝鮮の行く末を見て死にたい――。もうずいぶん昔から言い続けてきたことですが、ここにきて急に気持ちが揺らいでいます。
 ウクライナ戦争以降のロシアがどうなるのか気になってきましたし、中央アジアがどう動くかも分かりません。地域の力の均衡にひびが入り始めたわけですから、中国や北朝鮮の今後にも影響します。そしてそれらのことが日本の今後にも大きく影響しそうで、急にビビってしまったのです。私の子どもや孫たちの生きる未来は、もしかしたら思っていたよりはるかに危ういのかもしれません。

【中国が怖い】

  中国で第20回共産党大会が終わり、習近平国家主席が異例の3期目に入りました。4期目、さらにその先も視野に入れているのではないかと言われています。周氏としばしば対立し、時には袖を引く役だった李克強首相をはじめとする共産党青年団共青団)系の人々は指導部をはずれ、国家の中枢は周近平派一色に染まったとみられています。
 党大会は既に「二つの確立(習近平氏の“党の核心”としての地位と、習氏の思想を指導的思想とする地位の確立)」を確認したとされます。つまり習近平を頂点として、彼の思想でこの先やって行くのだと宣言したわけです。

 それがどうした? と、子どもに話せば返ってくるのかもしれません。確かに、「それがどうした?」に対する私の答えも見つかっていません。しかし私は怖いのです。

毛沢東は9000万人を殺した】

 文化大革命の始まった1966年。私はわずか13歳でしたが、それでも何か尋常でないことが彼の国で起こっていることに恐怖しました。映像も少なく解説も不十分で何が起こっているのかさっぱり分からなかったのですが、中国全土から北京に向けて、紅衛兵と呼ばれる若者たちがアリの大群のごとく集まってきて政府の要人や名士をつるし上げ、「反省しろ」「自己批判城」と叫ぶ姿はまさに異様でした。さすがにその場で処刑するようなことはありませんでしたが、それはさながらフランス革命で断頭台を取り囲んだ際の群衆のように見えたのです。
 後で知ることになるのですが、この運動で殺された人は2000万人にも上ると言われています。
 
 歴史を振り返れば、文化大革命を率いた毛沢東ほど、多くの人間を殺した人物はいないのかもしれません。長征で10万人近い兵士を失い、大躍進政策の失敗で1600万人から7600万人とも言われる国民を死なせてしまった彼は、懲りることなく文化大革命で2000万人もの人々を己の復権のために殺すことができたのです。

【息子は勝つことしか学ばなかった】

 実は、習近平自身がこの時の犠牲者のひとりなのです。
 父親の周仲勲は文化大革命に先立つ4年前まで、周恩来首相の片腕として副総理の地位にありました。しかし讒言によって失脚。16年に渡って投獄される羽目に陥っていました。その周仲勲の子である近平は、文化大革命の中では当然、“反動分子の子”として批判される側に回されることになります。彼の述懐によれば、4回の投獄と十数回の吊るし上げを経験し、餓えて物乞いするまでに追いつめられたといいます。恨みは骨髄にまで達していたはずです。

 後に父親の周仲勲は復権して全国人民代表会議の常任副委員長にまで出世し、良識派として人々の尊敬を集めました。習近平はその人格者の七光りとコネで出世していくのですが、結局は父親と反対の道を歩むことになります。

 父は文化大革命を振り返って、
「問題は今後再び、毛主席のような強人が出現したらどうするのかということだ」
と語ったそうですが、息子は自分の不遇時代から「結局、勝たなくてはだめだ」ということしか学ばなかったのです。
 彼はまさに父が排そうとした人物そのものになろうとしています。

(この稿、続く)

 

「知りたいことはほとんど伝わってこない」~ウクライナ戦争を巡る断想④

田舎の隠居親父がボヤいたところで何の意味もないが、
ロシアの核攻撃ってほんとうにできるの?
ロシアの南方あるいは極東はどうなっているの?
拉致された人はどこに行ったの?
と、ほんとうに知りたいことは何も伝わってこない。
という話。(写真:フォトAC)

【核攻撃、するとしたらどこへ、どの程度でやるの?】

 プーチン大統領は核攻撃をチラつかせてウクライナおよび西欧諸国を恫喝しているとたびたび報道されていますが、私はそのたびに不思議に思うことがあります。
 「核を使うかもしれんぞ」というときのプーチン大統領の頭には、どんな状況でどんな使い方をするのか、はっきりしたイメージがあるのだろうかということです。同じことはウクライナや西欧諸国も言えて、ロシアのどんな核攻撃を想定しているのでしょう?
 
 ロシアのラブロフ外相は11日「国家存亡の危機が高まった時にのみ使われる」と発言したそうですが、そんな危機はなかなか思い浮かびませんし信用もできません。けれどだからといって、切羽詰まったロシアがウクライナのどこかを核で攻撃するというのも想像できないのです。
 
 例えばゼレンスキー政権を打倒すためにキーウの大統領府を直接核攻撃するとします。この場合、広島型の50分の1といった超ミニサイズではよほど正確に当てない限り目的は達成できませんから10分の1規模のものを撃ち込んだとします。それでも半径600mほどの範囲が爆風で吹き飛ばされ焼け野原になってしまいます。被害は数万人におよび、キーウはヒロシマナガサキに続く3番目の都市として名が刻まれます。しかもこれまでと違って最終命令者プーチンの名が永久に記憶されるのです。誇り高いウラジーミルにそんな決断ができるでしょうか?
 
 攻撃対象として他に考えられるのはウクライナ国内の軍事基地・兵站ですが、この場合は数がハンパではなくなります。核を300発も400発も打ち込んでタダで済むはずもありません。
 ロシア軍が撤退する際、追撃するウクライナ軍を停止させるために使う核というのも考えられますが、これだって一度使えば同じ状況で何十発も打たなくてはならなくなります。結局、核を打ちまくった男(国)としてプーチンもロシアも何百年も語り継がれることになります。
 ロシアの為政者は国民が死ぬことに抵抗はなくても名は重んじます(少なくともかつてはそうでした)。そんなことができるのか。
 
 ロシアの核攻撃は大統領が国防大臣に指示を出し、国防大臣が参謀長に伝え、さらにその下に2段階あってようやくボタンが押されるのだそうです。その系列のたとえ一人でも躊躇えば、核ミサイルは発射されず躊躇った一人は逃走するか闘争(つまり反逆)するしかなくなります。
 結局いかなる場合であって核ミサイルは撃てないのではないかとド素人の私は首を傾げているのですが、メディアは「核攻撃の恐れ」を口にするだけでこの問題に的確に答えてくれる人は今のところいません。気になります。

【ロシアの裏庭は大丈夫なのか】

 中国もそうですが、ロシアには手下はいても友だちはいない、力で抑えているだけでいつ反旗を翻しても不思議のない国と国際的には何の役にも立たない国ばかり、という印象を持っています。「何の役にも立たない」は言い過ぎで失礼かもしれませんが、アフリカの諸国やアジアの一部が積極的に兵や武器を供与してくれるとは思えません。
 
 かつて子分だった中国やインドはもう立派に独り立ちして傍観を決め込んでいますし、かろうじて頼りにできるイランも無限に力を貸してくれるわけではありません。
 中途半端にかかわってロシアとともに制裁を受けているベラルーシはオタオタと腰が定まりませんし、北朝鮮も自国のことで精いっぱいです。
 
 問題はカザフスタンだとかウズベキスタンアゼルバイジャンとかいった旧ソ連の諸国です。それぞれが親ロシアだったり反ロシアだったり、政府は親ロシアであっても国内に大量の反ロシアを囲い込んでいたり、あるいは旧ソ連諸国同士での紛争があったりと内容はさまざまです。それを強国ロシアがなだめ、すかし、脅しながら押さえてきました。
 ウクライナ戦争の結果そのロシアのタガが緩んだ時、これらの国々はどう動くか――すでにその兆候は出ているはずですが報道されるに至っていません。これも気になります。
 
 もしかしたら極東のサハリンや国後・択捉でも経済困難が進み、「もうこうなったら住民投票で“日本に帰属”でいいじゃないか」といった話になるかもしれない(ソ連崩壊直後にはそういう話もあった)、そう考えるとこちらも気になります。

 【知りたいことはほとんど伝わってこない】

 今年3月から6月にかけて、ウクライナ=ロシアの休戦協議によっていくつかの人道回廊が設置されました。その際にロシア領内に誘導され、それきりになっているウクライナ人がかなりいます。一部はロシア経由でヨーロッパやトルコに逃れましたが、シベリアに送られたウクライナ人もかなりいたと噂されました。その後どうなったのか――一切報道がないので気にかけています。もちろんすべてが偽情報ということもありますが、訂正記事があったという記憶もありません。

 その他、アゾフ大隊の裁判はどうなったのかとか、ウクライナ穀物輸出は順調なのかとか、実際のところ戦況はどうなのかとか――これだけ情報が発達しているのに、知りたいと思うことはほとんど知ることができません。
 なんとももどかしいことです。
(この稿、終了)

「ウラジーミル・プーチンを子どもたちにどう教えるか」~ウクライナ戦争を巡る断想③

現在進行形の政治状況を子どもたちに教えることは難しい。
評価も定まらず変化も大きいからだ。
しかし目の前の具体的な事象を教えずして何の教育か。
そこで私はこんなふうに話した。
という話。(写真:フォトAC)

ウラジーミル・プーチンを子どもたちにどう教えるか】

 真実も歴史的評価も定まっていない現在進行形の社会的事件を学校でどう扱うか。これはけっこう厄介な問題です。正しいと思っていたことが間違っていたり、偽情報が飛び交ったり、うまく行ったと思ったことが過ちの第一歩だったりといったことは政治に限らず多くありがちなことです。
 しかし逆に、教師がいま起きている生々しいできごとを扱わないで何の教育か、という考え方もあって、それもまた正しい見方と言えるでしょう。
 
 そこで私は時事問題を朝の会の話題として、子どもたちの目をニュースに向けるだけで深入りをしないようにしました。社会科などの時間に扱うとどうしても時間が長くなり、授業計画も狂ってしまいますが、朝の会だったら長く話せても10分が限度、余計なことを言わなくて済みます。
 内容も「テレビではこう言っていた」と、事実を分かりやすく説明するだけで終わりです。
「あとは自分で考えてください」
 
 毎日10分、五日連続で話せば50分の授業を1時間やったのと同じです。わずか10分ですから集中できる授業5セットと考えると、むしろ普通より有意義な指導ができた場合もあったのかもしれません。もちろん興味のない子もいますから五日連続ということはなく、続けてやっても三日が限度で他の日は別の話をしていました。しかしそれでも、生徒が大人になってから招かれた同窓会では、朝の時事ネタに記憶のある子は少なくありませんでした。

【世界は不正に満ちている。しかし正そうとする人々も少なくない】

 しかし時事ネタを語るにしても、それが国内問題だったらまだしも、国際政治となるとさらに扱いが難しくなります。そこでは必ずしも正義が貫かれるとは限らないからです。不正も横暴も人権無視も平気でまかり通っています。それにもかかわらず国際社会はしばしば不正を放置しているかのように見える、そうした点を子どもたちに納得させることが難しいのです。私も具体的に何もしていない一人です。
 仕方ないので、私はこんなふうに言っておきました。
 
 国内にいる限り、キミたちは自由で平和で平等でいられる。
 多少の問題はあってもこの国の人間である限り、キミたちが不当に自由を制限されたり平和を脅かされたり、あるいは不平等な扱いを受けたとしてもと、必ずどこかに解決の糸口はある。
 社会科をしっかり勉強して、どこに解決策があるか、困ったらどこに行けばいいのか、市役所か裁判所か警察か福祉事務所かその他か、せめてそれだけでも覚えておいて大人になったら自分自身や友だちを助けるために知識を使うといい。諦めたり自暴自棄になったりする必要は絶対にない。それがこの国に生きていることの意味だ。
 
 しかし国際社会は違う。世界の国と国との間には乗り越えようのない壁があったり、信じられないほどならず者が個人としても国家として存在したりする。
 世界ではたくさんの人が貧困に苦しみ圧政に支配され、信じられないくらいの子どもたちが餓え、そしてとんでもない数の人たちが毎日殺されている。しかも問題を完全に解決してくれる警察も裁判所もない。
 しかも私たちはしばしば、不正義や不当がまかり通っている世界を、ただ指をくわえて見ているように見える。私たち大人がそんなふうにしている姿を、これからもキミたちはたびたび目にすることだろう。
 けれど一方で、世界中のあちこちに不正を正そうとする試みがあることも事実だ。まだまだ非力で目立たなかったとしても、多くの人々が正義のために地道な努力を続けている。やがてキミたちの一部も、確実にその正義の戦列に加わって具体的な活動をすることになるだろう。私たちはそういう人たちを応援していかなければならない。

 私たちが勉強しなくてはならない理由のひとつがそれだ。私たちの中から平和の戦士を生み出し、その活動を支えていく、それがキミたちのこれからの仕事なのだ。だからキミたちには頑張ってもらいたい。世界を、せめて今の日本程度には安全で心休まるものにしてほしい、それが今の私の願いだ。

 【未来の平和の戦士を育てる】

  ウラジーミル・プーチンは今も困っているはずです。振り上げたこぶしの落としどころがない。
 ほんとうはこうなる前に手を打たなくてはならなかったのですが国際社会はロシアを見誤ってしまいました。
 今の子どもたちには現状を変える力からはありません。しかし将来も現れるだろう幾百幾千のプーチンを抑えるためにも、子どもたちに現在を知らせ、今を学ばせ、準備させなくてはならないのです。