カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「“人見知り”=人間関係の“食わず嫌い”」~食と人格の話①

 子どものころは食べ物の好き嫌いがとても多かった。
 そのことを従兄との会話に差し挟んだら、
 「お前、人間の好き嫌いも激しくない?」
 と訊かれた。そこで考えた。
という話。(写真:フォトAC)

【食の好き嫌いの話】

 9月に100歳で亡くなった母の長姉の四十九日の法要、私は参加しなかったので先週の末、お線香を上げに行ってきました。今年中に一度はお参りをしておく必要を感じたのです。
 四十九日に参加しなかったのは、さすが100歳まで生きると子だくさん孫だくさんで、3人の子どもと8人の孫、そのすべてに配偶者がいて、ひ孫も10数人ですから、自宅で行う法要に人が入りきれない可能性があったからです。ですから最初から日を改めて行くつもりだったのですが、おかげで喪主を勤めた従兄夫婦ともゆっくり話をすることができました。

 伯母を懐かしみ従兄の近況を聞き、そのうちに私の母の話になって、毎朝毎晩、薬と食事のために母の家に行き、夜も泊りに行っていると言うとなかなか関心してくれます。誉められるのはこの齢でも照れくさいので、
「しかし好き嫌いがあまりにも多くて、ほんとうに困るんだよ」
とぼやくと従兄は、
「あれ?おばちゃんそういう人だったっけ?」
「和裁とか洋裁とか、そういったモノ作りは堪能なんだけどね、調理は苦手で――というより、多分もともと好き嫌いが多かったんだろうね。あれこれ試してみる気にならなかったらしい」
「そう言えばお前も、昔は好き嫌い多かったよな」

 よく覚えていたものです。それはまったくその通りで、子ども時代はもちろん、30歳で教員になってからも食べられないものがあまりに多くて、宴会などでは3000円会費で参加しているのに、飲めない酒代も含め、せいぜい口に入れられるのは500円分くらい、あとは全部会場に置いて帰るような状態だったのです。
 もっともそれでいて給食で苦労した記憶があまりないのは、なま物や酢の物、シシャモだのレバーだのといった大人の食べ物が出てこなかったからなのかもしれません。

「母が料理が苦手で、だから考えるのを面倒くさがって、いちいち“お前、今夜は何が食べたい?”と訊く、聞かれれば答えるしかないから『かつ丼』とか『カレーライス』とか言うんだけど、それって結局好きなものしか食べていないことになるよね。そもそも子どもが知っている料理なんて、それほどないだろう。そこで食べられないものだらけになってしまった――」
 私がそう言うと従兄はちょっと首をかしげて、
「それ、食わず嫌いじゃない? お前、人間の好き嫌いも多くない?」

【従兄は見透かす】

 言い忘れていましたが、従兄も私と同じ元教員で、しかし私とは違って中学校一筋に生きてきた人です。豪放磊落と言えばその通りなのですが、アクが強く、身勝手で、高圧的で、つまり昭和のオヤジをそのまま職場でもやっているような人でした。もっともあまりにも単純で、それだけに罪のない感じもあります。
 教員仲間ではあまり公表しませんでしたが、いとこ同士だと知られると、それだけで私にまで箔のつくようなありさまでした。
 その従兄が言うのですから、ちょっと考えてみる必要があります。
「それ、食わず嫌いじゃない? お前、人間の好き嫌いも多くない?」
 しかしどう考えても好き嫌いはありません。

 よく“教師と言えど人間。児童生徒に対しても好き嫌いはあるものだ」と言ったりしますが、私はそう思いません。子どもの嫌な行為や好ましい行為はありますし、面倒くさい子がいたり、この子には困ったなあと思うこともありました。しかしだからといって嫌いとかはありません。仕事上で働きかける対象者ですから、好き嫌いを感じている暇がないのです――と、従兄と話しながら、そんな方向の返事もできたのですが、ふと考えなおしました。
 もしかしたら職務だから好き嫌いがないというより、もともと人間がそれほど好きではない、人間に深入りしない、子どもと言えど感情を移していかない――だから好き嫌いも生まれない、そういうことかもしれないと思ったからです。それは食事に対しても言えることです。

【“人見知り”――人間関係における“食わず嫌い”】

 “今日、何を食べたい”と訊かれることが苦痛な上に、それが好き嫌いも高じさせていると思ったので、結婚するとき妻に、
「とにかく出されたものは何でも食べる。だから“今日、何を食べたい”は絶対に訊かないでくれ」
 そう頼んで35年、実際に “何を食べたい”と訊かれたことは一度もありません。私も約束を守って何一つ残さなかった――と言いたいのですが、結局内臓系の料理がダメで、これだけは勘弁してもらうことにしました。
 しかし実際にやってみると、従兄が言った通り、大部分は“食わず嫌い”で、妻や自分との約束を盾に頑張れば、大抵のものは食べられました。

 歳を取るにしたがって気持ちよく食べられる食品が増えていくのは楽しいことですし、そんな健康的な食事ができる自分を誇らしくも思いました。だからといって食に対する興味や関心が増したということもないのですが、宴会などで困惑することもなくなり、飲めない分むしろ意地汚いほど”食べて帰る派”となって元をとれるようになりました。食に興味がないので、独身時代は無理して食べてみようという気になれなかった、それが真相だったようです。

 “食わず嫌い”は人間関係においても、似たようなものでした。“人見知り”――人間関係における“食わず嫌い”のことを、おそらくそう言っていいのでしょう。まだ中身も味も歯ごたえもわからないのに、敬して遠ざかって近づかないのですから同じようなものです。
 私の場合、自分自身を人見知りだと思ったこともありませんし、だれからも指摘されずに来ました。しかし考えてみると小さなころから、他人に気を許すまでにはとても時間のかかる子でした。みんなを公平に、同じように遠ざけているから好き嫌いがないように感じていましたが、実のところ食と同じで、興味がなかっただけなのかもしれません。
 正反対にも見えますが、考えてみればトンカツもカレーライスも好きだから食べていたわけではなく、食べなければ生きていけないから食べていただけなのです。
(この稿、続く)