カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「世の中は変わっていく」〜賢い教育消費者の話④

 かつての同僚に街の小さな本屋さんの娘さんがいて、とても親近感がわきました。というのはその書店は私が通った中学校のすぐ近くにあり、大昔、何度も訪れたことがあったからです。まだその同僚が生まれるずっと前のことです。本の選択が私の性に合っていて、大人になっても何度か覗きに行ったことがあります。しかし不思議なのはその小さなお店がいまも残っていることです。大型書店が次々と出店する中で、よくもまあ数十年も長らえてきたものです。そのことを不思議に思って聞くと、
「そりゃあたいへんみたいですよ。兄貴が大学に進学したり私が大学に行くとか言いだすと、そのたびに生命保険を解約したり貯金を取り崩したり・・・。でもそれなりに生きていけるんです。そんなふうにできているのです。
 大切なことは、これは儲かる、絶対に大きな商売になると思ってもうっかり手を出さないこと、今までやってきた地道なやり方を守って地域でしっかり仕事をしていくこと、それさえやっていれば周りが必ず守ってくれて、それで生きて行けるようになっているのです」
 具体的なことは分からないながら何となく雰囲気の分かる話です。目に見えない小さな地域共同体の枠に残る限り、構成員は絶対に互いを守り合う。しかし枠からはみ出そうとすれば、その人は自由を手に入れる代わりに補償を手放さなければならない、そんな話かと思います。今流に言えばセーフティネットです。

 建築関係に知り合いが何人かいます。かつて業界の談合体質が問題となったころ、彼らはカンカンでした。あんなもの談合でもなんでもないというのです。
 談合はどのようにやるかというと、まず構成員が集まって次の公共事業をどの会社に任せるか決めます。そのあと入札価格を割り振るのですが、その際、決まった会社が最低価格を投じ必ず落札できるようにしておくのです。これだとすべての会社に仕事を割り振ることができますし、一定の収益を保証できます。そんなふうに互いを守り合い、誰も損をしたり倒産したりしないように守り合ってきたのです。
 ただしこのやり方だと入札価格を無制限に吊り上げることができるため、明確な独占禁止法違反であり刑法の談合罪で裁かれることになります。
 この分かり切った話に「あんなもの談合でもなんでもない」と怒る友人たちにもそれなりの理由があります。彼らに言わせると「それは落札価格を釣り上げるための方便ではない」のです。

 それは互いを守り合うと同時に仕事の質を保証し、地域全体の利益を守るものです。まず落札者を決める段階で、その仕事にふさわしい業者が選ばれます。分不相応な仕事を落札して滞ることがないようにとの配慮です。落札者は“談合”によって決められますから、身内に迷惑をかけるようないい加減な仕事はできません。自然と誠実な仕事になります。
 もちろん不誠実な人間はどこにでもいますが、“談合”企業体は一種のギルドないしは株仲間ですからいい加減な仕事をした場合そこから外せばいいだけです。そうした仕組みも“誠実な仕事”を保証します。

“談合”が徹底的に叩かれ「公正な入札」が徹底した結果、業者選定の基本的基準は価格だけになってしまいました。社会規範で仕切られてきたものから市場規範に移されたのです。有名な「耐震強度偽装事件(通称、姉歯事件)」(2005)はそうした変化の中から生まれてきたと、友人の建設業者は信じています。「安ければいい」が最大のテーマなら、やってはならないことに手を出す業者も出てきます。

 私は“談合”が素晴らしいシステムだと言っているのではありません。仮にそう思ったところで“談合”が平然とまかり通るような時代が戻って来るわけでもありません。
 最初に挙げた街の小さな書店を巡る環境も、やがて変わって来るでしょう。
 市場原理はそれほど強いのです。

(この稿、続く)