カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「綿密な計画、いい加減な当日」~修学旅行の思い出①

 私の教員生活の中で「自分で自分を誉めてやりたい」と思うほどしっかりやった仕事のひとつは、3期目の中学校での修学旅行です。
 当時とても尊敬できる校長と学年主任の下にいて、私がドジを踏んだらこの人たち辞めてくれるに違いないと信じたので、逆に緊張感が高かったのです。

 行動細案は見ただけで活動がありありと思い浮かぶものになったと思います。奈良公園の班別行動は、全18グループの動きをすべて図にするなど、かなり精緻な計画を立て下見も十分にしました。こういう仕事はやればやるほど面白くなって深入りするものです。
 しかし(今から20年以上前のことで、すでに時効だと思うので書きますが)私の尊敬する校長は一方でかなりいい加減な(よく言えば腹が据わった)人で、とにかく他人に飲ませるのが好きで困る人だったのです。

 修学旅行初日の晩、最後の打ち合わせ会の席に酒が出て(当時はそれが当然だった)、私は軽くビール一杯を飲んだだけで夜の見回りに行こうとしました。ところがそのとき校長が、私の腕を掴んで「いいから、いいから、子どもなんてこういうときは騒ぎたいものなんだ。そんなの抑えちゃイカン、まあここに来て飲めよ」とか言って酒を強要するのです。

 どんなことでも三度断れば角が立ちます。
 二度断って見回りに行き、戻ってきてまた二度断ったのですがそれ以上断り切れず、勧められるままに飲んでいたら翌日は二日酔いでした。

 緊張感があったので酔っている自覚はなかったのですが、バスの中で校長が近づいてきて言うには、
「なあ、SuperTさんマズイや。かなり臭うぞ」
(何が「かなり臭うぞ」だ。アンタのせいだロ)
と心では思いましたが口には出せず、
「ハア、やっぱマズイすよね」
と答えておきました。

 それで反省するか(校長も私も)と思ったら二日目も同じで、こんどは疲れもあって最初からグデングデンの酔っ払いです。しかも酔った状態で見回りに行ったら自分のクラスの女子部屋が大騒ぎで、怒った私はドアの前でデンと構え、オマエらが寝るまでオレはここを動かんとばかりに胡坐座に座り、座り続けたまま・・・やがて眠ってしまったのです。そのあとは記憶がありません。
 あとで聞けばクラスの女の子が、「担任が外で寝ています」と訴えて、他の先生方が寝込んだ私を部屋まで運んでくれたそうです。

 翌朝、なぜ自分が自室で目覚めたか理解できないまま、役目ですから各部屋を回って生徒たちを起こして歩きました。昨夜寝込んだクラスの女子部屋に入ろうとしたら一人の女の子が飛び出してきて言います。
「先生、今ダメ、着替え中。でも見てみる? 鼻血ブー(鼻血が出るほどすごいよ、という当時の流行語)だよ」
 そんなふうに担任をからかうのです。前夜のことは何とも思っていないようです。

 中学生と大人の会話ができました。生徒が教師の不甲斐なさやだらしなさを、人間的なものとして認めることができました。生徒指導上難しいチンピラ連中とも、どこかで通じ合えるものがあってヤクザの裏取引みたいなことがたくさんあったのです。

 教師に厳しい道徳性や行動規範が求められるようになり、親も子も教師のわずかな瑕疵でさえ許さなくなって指導はかなり難しくなりました。逆に言えば、昔の教師はかなりいい加減でも仕事ができたのです。

 教師の質が落ちたなどとは絶対に言わせません。