息子が小学生の時、空き缶と棒でフレットのない1弦ギターのような楽器をつくりました。私も子どものころ楽器づくりにはま(りかか)った経験があるので、息子の趣味は大いに気にいるところでした。
そののち似たような弦楽器を数本つくり、段ボール箱に竿をつけて麻ひもを張った「段ボール・ベース」などをつくって喜んで遊んでいましたが、高校に入ってからはエレキ・ギターの音を変える「マルチ・エフェクター」づくりにはまり、気がつくと勉強部屋(正確には“勉強するはずだった部屋”)には無数のエフェクター転がり、エレキ・ギターが5本、エレキベース1本、ガット・ギターにスチールギター、練習用ドラムにテナーサック(いずれもエフェクターを売ってオークションで買った)、姉の部屋から運び込んだ電子ピアノにエレクトリック・キーボードと、楽器だらけになってしまったのです。
おまけに高3になると「大学には行かない、ギター製作の専門学校に行ってギター修理の腕を磨く」とか言って親を困らせます。
これがバイオリン工房だとか家具職人だとかいった話なら心動いたかもしれないのですが、エレキ・ギターの修理で飯を食えるなどという話は聞いたことがなく、よしあったとしても、いまさら新参者が入れるほど需要があるとはとても思えません。
一応子どもの顔を立てて一緒に調べたところ、結局は専門学校を出てもほとんどが楽器店の店員としてギター修理をしている程度ということが分かってようやく諦めてくれました(しかし今でもローランドかヤマハに就職したいとか言っています)。
かつての教え子に中尾君というとても優秀な子がいました。私は小学校3年からの担任でしたが初めての家庭訪問の時、お母さんがこんな話をされました。
「父親が海外勤務の多かったこともあって、この子は将来外国で働かせたいという希望を持っています。ですから高校卒業後はアメリカの大学に行かせるつもりです」
小学校3年生の家庭訪問で外国の大学に行かせる話が出てくるなんて、この子、大変だなあと思った記憶があります。見れば顔はまるっきりの日本人顔で、とても外国で暮らすような雰囲気はありません。小さなころから剣道も習っていて腕もなかなかのものでした。
のちに中尾君はK高校(地域で一番の進学校)へ進み、それからどうなったのかと思っていたらつい最近、結局大学へは進まず刀鍛冶のところに弟子入りしたという話を聞きました。 “コスモポリタンが刀鍛冶かァ”とたまげたものです。
子どもは思ったように育ちません。それは当り前です。しかし「私たちは意図しないところで無意識に教育していることがたくさんある」という点について、もう少し頓着しておくべきだったのかもしれません。
私は息子が「楽器をつくった」ことを喜んだのではなく、その創造性や自主性、子どもながらの技術性を好んだのです。しかし息子には「お前は楽器づくりが向いている」との暗示を与えた結果になったのかもしれません。
中尾君のお父さんが剣道をやらせたのは、外国で暮らさせるためには日本の文化にも精通させなければならないと思ったのかしれません。あるいは何も考えず、手近なスポーツをさせただけなのかもしれません。しかしそのことが、おそらく日本的なものへ彼を大きく押し出す結果になったのです。
だからどうということではありません。しかしこの二つの出来事は意図的教育の陰で意図しない無数の教育を行っている可能性について、私にもう一度考えさせる契機を与えてくれました。
ふたりともよき人生を送ってくれればいいのですが。