「売るべき日本の価値」~モノから文化へ

 先日、あるテレビ番組で日本に来られた外国の方に「好きな日本語は?」とインタビューする場面がありました。その中で若いフランス人の女性が「用事」と答えたので、思わず顔を上げました。面白い言葉を選んだものです。

 

 インタビューアーが詳しく説明を求めると、「誘われて困るときに『ちょっと用事がある』と言えばそれで済んでしまう。フランス語にはそういう言葉はないので全部説明しなければならないから面倒」とのことでした。

それを聞いてインタビューアーが、

「ああそうだ。嫌な上司に食事に誘われたときなんかね、『ちょっと用事がある』・・・」

 すると彼女は、

「ええ、それから『また今度』。“今度”はいつでもいい、なくてもいい」

そう言って笑うのです。なるほどと思いました。

 

 言葉がないというのは概念がないということです。

 

 明治時代は日本にそうしたものが大量に入ってきましたから市場だの出版だの、あるいは理性だの愛だの百貨店だの、必死に日本語化しましたが、やがて諦めて外国語をそのまま使うようになりました(コンピュータだのテレビだの)。

 逆もあって日本からは真珠の重さを測る単位の“モンメ(匁)”をはじめ、ニンジャ、ジュウシュツ、ハラキリ、トーフ、シイタケ、スシ、サシミ、ワサビ、オリガミ、コーバン(交番)、カラオケなどが出て行きました。最近ではカローシ(過労死)、ダンゴ(談合)、カンバン(トヨタ自動車の始めた看板方式)、「アニメ」「マンガ」等が代表です。

 

 しかし「概念がない」という意味では、「ゼン(禅)」と「カワイイ」、「モッタイナイ(もったいない)」が嚆矢でしょう。

 

 フランス人が“ゼン”と言ったらそこには、「単色」「瞑想的」「静寂性」といった禅宗や禅のもつすべての雰囲気が含まれます。禅とまったく関係なくてもかまいません。

 「カワイイ」は“pretty”と同じものではなく、“オタク文化”の中で表現される一連の評価の視点です。赤ちゃんがカワイイとか猫がカワイイとかいった場合と同じではありません。

 

 そして言うまでもなく、「モッタイナイ」はノーベル賞受賞者マータイさんが世界に広めようとした環境保護の基礎概念です。「もったいない」という思い・感覚が日本にしかなかったというのは、私たち日本人にとっても新鮮でした。

 

 私はかつて、日本人だけが特殊で優れているという考え方に強く抵抗してきました。しかし3・11の経験を通して、優劣は別として、われわれは相当にユニークな民族であるらしいという気持ちにはなっています。そして今後日本が輸出すべきは、あまたの工業製品ではなく、私たちの持つ文化そのものではないかと思うようになったのです。

 

 マータイさんの「MOTTAINAI」に習って言えば、今後真っ先に輸出すべきものは「絆」「みっともない」そして(できればかけたくないという意味での)「ご迷惑」です。たぶんこれらが出ていきます。