カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「命のこと」~3・11、津波のあとの第一稿

 金曜日(2011年3月11日)に学校を出るときは、あれほどの車や船が押し流されるのを見ながら、津波に対する意識も設備も特別に高い三陸のこと、物的被害は大きくても人的被害は大したことはないだろうと高をくくっていました。

 その日、私はいつもよりずっと早く退校しその足で病院に行きました。以前から深く関わっている子が入院しているのです。心臓に重篤な問題を抱えていて倒れたのはこれが2回目です。1回目は奇跡的な回復をしたものの、今回はダメージが大きく「限りなく脳死に近い状態」に移行しています。
 口からは深くチューブが差し込まれ、腕にも何本もの管が差し込まれています。脈拍は40前後を行き来し、血圧も低い状態で推移しています。この子は15年もその病気と闘ってきたのです。

 私はこう見えてもけっこう信心深いほうで神様の存在を信じていますが、時おりその意図が分からなくなるときがあります。この子が何のために生まれ、何のために病気との闘い、その結果なにが与えられるのかということです。

 父親はこの子がまもなく死ぬと決めて憤っています。祖母は穏やかにその日を迎えようとしています。私は(そんな場面ではいつもそうなのですが)死ぬとか死なないとかは考えないようにしています。実際、考えないようにすると考えずにいられます。どうしても考えずにはいられないということはありません。そしてそんな態度で接してきた人は皆、生き残っています。

 さて、物言わぬ彼と別れて家に戻り再びテレビを見ると、予想に反して人的被害も半端ではなく、さらに土曜日になると死者行方不明者1400人超、1万人の安否が分からないという話になっていました。映像でも悲惨な状況が次々と明らかにされ、私の予想がいかに甘かったかを痛感させられます。

 さらに午後になると、亡くなった方々の氏名も報道されるようになり、そうなると人の死は「死者〇〇名」といった抽象から一気に具体になります。また報道の端々から、死の間際の様子をある程度想像することのできる場合もあり苦しい思いにさせられます。例えば「東海村の煙突から振り落とされた作業員4名」といった表現から、その瞬間が思い浮かぶのです。
 ここに至ってようやく、被災地の人々と私が見舞った子は同じレベルに並びます。生きとし生ける者が苦しんでいるのです。
「〇〇町 死者〇〇人」と表現されるその一人ひとりに、小説にすれば2〜3冊も書けるようなドラマがあるということを、私たちは忘れないようにしなければなりません。
*気にしていたつもりなのにギリギリのところで忘れてしまいましたが、「デイ・バイ・デイ」の投稿数が今日で1002です。
 「子そもは一瞬で変わる」が1000で「セーラームーン」が1001というのもいかにも私らしく気にいっています。
 誉めてやってください。