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「9歳・10歳の壁」~だから低・中・高学年での指導の仕方は違ってくる

「9歳・10歳の壁」という言葉を聞いたことがあるかと思います。9歳・10歳までにつけておくべき力があり、それを過ぎるとなかなかつけてあげられない壁があるという意味です。
 これについて最初に気がついたのはろう学校の先生方だといわれています()。長い経験の中から、9歳以前に耳の不自由になったお子さんは、たとえば「政治」とか「協力」「豊かな社会」といった抽象的な概念についての言語習得が、決定的に遅れることに気がついたのです。「政治」も「協力」も「豊かな社会」も絵や物で示して見せることはできず、大量の言語体験によって獲得するしかないからです。
*調べましたら、今から30年以上以前に出された「ろう教育」という雑誌の中で当時の東京教育大学附属聾学校長だった萩原浅五郎という人が使った言葉という説がありました。萩原氏は「9歳レベルの壁」が現場の実態としてあると述べているそうです

 9歳・10歳(小学校3・4年生)が特殊な年代だということは、私たちの日常からも確認できます。
 たとえば図工作品を見ても1・2年生の絵は自由闊達、何でもありの生き生きとした世界ですが、5・6年生の絵は、悪く言えば「へたくそな大人の絵」であって、この年代で画用紙にまず地平線を描き、左の上に太陽を描いて全員こちら向きで跳ね回る子どもを描くようだったら心配しなくてはなりません。
 その中間に位置する3・4年生の絵は混乱します。1・2年生のような「子どもの絵」は恥ずかしくて描けませんし、5・6年生の「へたくそな大人の絵」にも近づけません。おそらく図工作品にマンガが出るのもこの時期だけでしょう。自分の表現ができないので既成のマンガに頼るのです。

 道徳的にも9歳・10歳は特殊なエポックを形成します。1・2年生は「だって先生が言ったんだモン!」が道徳の基準です。5・6年生になれば自己の中に、親や教師から言われなくても働く道徳律が育っていなければなりません。したがってその中間に位置する3・4年生は自分の外にも内にも道徳のない、残酷で身勝手な時期です。だからギャングエイジなどといわれます。

 そう考えると、低学年・中学年・高学年では、それぞれ指導の方向や方法が決定に異なってくることを考えなくてはなりません。それはたとえば、5・6年生になったら頭の中で試行して「これをやったら、最悪の場合こうなるから止めておこう」ということができるはずだから、「ボールを投げたら窓ガラスに当たって割れました(だからボールが悪い)」といった言い訳を許してはいけないということです。そして同じことを1・2年生が言えば、それは主観的にはまたくその通りなのだから、体験として覚えさせるように仕向けなければならないのです。

 道徳のない3・4年生こそ道徳観の鍛え時、といった見通しも、そこから生まれます。