「知の伝承:どうでもいいことまで伝わっていく」~元教え子が昔の私を呼び覚ます

 フェイスブックに昔の教え子が投稿した「どうでもいい話」、
 実は私が数十年前に教えた話だった。
 こうして「どうでもいいこと」は伝承していく。
 しかし「どうでもよくないこと」だって密かに伝わっていくものだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【元教え子が昔の私を呼び覚ます】 

 フェイスブックにアカウントを持っていて、あまり熱心にやっているわけではありませんが
ときどき更新しています。その始めたばかりの時期、私を探し当てた元教え子からいくつか友達申請があり、これも頻繁にやり取りしているわけではありませんが、お互いに「いいね」を押し合ったりしています。
 元教え子たちの「いいね」には「見守っていますよ」といた励ましの雰囲気があり、私の「いね」には半分以上「生きています」という生存確認の意味が含まれています。
 
 若い人たちの投稿に対して、何らかのコメントを書くということは、遠慮もあってしないようにしていますが、先日、三十代後半になった男の子(では、もはやないな)の投稿に心動かされて、ついつい書き込んでしまいました。彼の文が次のようなものだったからです。

茨城県
今日はやたらと地震でその名前が囁かれているからここで皆で一つ賢くなろう。
ただしくは いばら "き" けん
覚え方は"イバラ危険"
小学校の頃先生に教わりました。
あと、「◯◯さん?」で赤くなる。酸(さん)で赤くなるリトマス試験紙ってのもあった??
数十年たっても記憶にあるわ。

 文中の「先生」に心当たりがあります。私です。相手は当時小学校5~6年生で、とても小柄でヤンチャな子でした。

【子どもは大人から何を学んでいるか分からない】

 子どもは大人から何を学んでいるか分からない――それが教育の基本です。
 よく言われるのは性教育やいじめ指導の場で、「こうしてはいけない」という教育が一部の子にとっては「そうすることが面白いかもしれない」という形で頭に入って行く危険性です。「こうすると相手はとても苦しむ(だからやってはいけない)」が「そうすれば効果的に相手を苦しめられる」といった知識にしかならない場合です。

 家庭でも「子どもは親の背中を見て育つ」と言いますが、親がどんなに真面目に誠実に生きる姿を見せても、「ああはなりたくない、あんな堅苦しい人生は送りたくない」と、そんな学びをする子も少なくないのです。
 いまもときどき話題になる綾瀬の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1989)の主犯は子どものころ、悪い先輩から「オレは殺人以外の悪いことは、すべてやった」という自慢話を聞かされて「いつか自分は殺人だけはやってやろう」と決心したと言いますから厄介なものです。

 話は大げさになりましたが、元教え子と話をするとやたらと出てくる思い出話が「イバラ危険」のようなショーモナイ話です。子どもたちはこうした余技のような部分だけは教師の名前付きで憶えています。そこで私は「お前たち、肝心の勉強の方は覚えておらんのか!」という言い方になり、元生徒の方はお約束で「そっちの方は全然アタマに入りませんでした」となるのです。

 そこで今回も、先ほどの彼の投稿に対して、
「つまらんことばかり教える先生がいたものだなあ」
と返信すると、ほどなく応えが返ってきます。
もう遥か昔のことでご芳名を失念してしまったのですが、確かその先生はよくフロル星人のマネをし「T先生」と呼ばれていたような記憶がうっすらと。
つまらないことを教える授業は「つまらない授業」ではないんだな。と感じます。
 ありがたいことです。


【知の伝承:どうでもいいことまで伝わっていく】

 ここからは私の推測と願望の話ですが、子どもたちがその「つまらんこと」を覚えているとしたら、本筋の「つまらなくないこと」も、頭や心の隅に入っているのではないのでしょうか? 少なくともその「つまらんこと」を覚えていたのは、私の話を聞いていたからです。
 
 「◯◯先生に教えられた」と名前付きで覚えられていることは、たいていは特異なこと、飛び抜けて感動的なこと、面白おかしいこと、そんなところかと思います。しかしそれ以外のことだって頭や心に入っています。繰り上がりの計算は◯◯先生に教えてもらった、国語のこの漢字を教えてくれたのは△△先生だといったことはまずありません。しかし入っているからです。

 長く人生の指針となる座右の銘のような言葉が、それを常に繰り返した先生の名前とともに憶えられていることもあれば、「誰から教わったか覚えていないが、オレはこの言葉、大切にしているんだよな」とか、そもそも教わった記憶がないのに考え方の基礎になっているとか、そういうこともたくさんある、あるはずだ、なくては困る、と私は思うのです。

 「イバラ危険」は誰でも思いつきそうなことなので日本中に「オレのオリジナルだ」と考えている人がいると思いますが私もその一人です。「リトマス試験紙は『さん(酸)で赤くなる』」は半世紀も前に私自身が中学校の理科の先生から教えられたものです。その先生も誰かから教えられたものの可能性があります。
 こうして善きものも、正しいものも、どうでもいいものも、師から弟子へと伝承していきます。そこが教職のなかなかいいところです。