カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「不健康な男は妻を求める」~少子化と非婚について考える1

 少子化問題
 その原因の9割は 日本人が蹴婚しなくなったからだという
 なぜ人は結婚しなくなったのか
 どうしたら結婚するようになるのか
 結婚は個人の自由かもしれないが
 息子のことを念頭に ふと考えてみた

という話。

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【超未婚社会をAIで解く】

 先週土曜日の、NHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン~超未婚社会」VTRに撮ってあったのを昨日観ました。面白かった。

www.nhk.or.jp

 番組内容をNHKのサイトから丸写しすると、
 マツコ・デラックス有働由美子の強力タッグと、NHKが独自に開発した人工知能 「AIひろし」がぶつかり合い、日本が直面する課題の解決策を探るシリーズ、「AIに聞いてみた」。第4回のテーマは「超未婚社会」。恋も結婚も個人の自由・・・ですが、日本の大きな課題「少子化」に直結する問題でもあります。

 いま日本の婚姻率は過去最低を記録。男性の4人に1人、女性の7人に1人は生涯独身という、“超未婚社会”ともいうべき状況。少子化の原因の9割が婚姻率の低下にあるという研究も発表されています。
 しかし、どうしてこれだけ未婚社会になったのかは、実は研究者も全貌がつかめていない大きな謎。これまでは男性の収入の不安定化や女性の社会進出、保育所問題などが原因とされることが多かったのですが、AIはいままでの常識とは異なる意外な要素を導き出してきました。それは「健康と結婚の関係」、「家電量販店と交際相手」・・・などなど、一見全く関係のないと思われるものたちの「つながり」。こうした意外なAIの解析結果をもとに、独身のマツコと有働が結婚について大激論。専門家たちと平成最大の難問の解決策を探ります。
ということです。

 ここで言うAI解析というのは、日本人・約20万人を8年間追った膨大なデータの中から交際相手のいる男女をピックアップして、この人たちに訊いた4000以上の質問を分析し、関係の深い項目をつなげてネットワーク図にするというものです。その上で一年後に結婚していたグループと破局したグループ、男女別に分け、それぞれどんな共通性があるかをみるものです。

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 例えば男性の場合、「出身地と違うところに居住している」と答えた人は結婚しやすく、その人は同時に「独立起業はしたくない」「毎年検診を受けている」「子どもと余暇を楽しみたい」といった回答をする傾向があります。逆に破局を迎えた人たちは「電子マネーは使わない」と答え「小物類に金を使いたい」と考え「エスニック料理に行く」「筋トレやヨガに無関心」といった回答をしています。
 コンピュータは傾向を示すだけで意味を語るわけではありません。そこで番組の出演者がなぜそうした傾向になるのかを話し合うわけです。

 

【不健康な人は結婚しやすい】

 男性のネットワーク図を見て、司会のマツコ・デラックス有働由美子がまず目をつけたのは、「動悸や息切れがする」「目が悪い」「耳が遠くなる」といった不健康にかかわる回答をするグループは結婚しやすいという点です。
 そこで番組は、婚姻率と出生率が全国一位の沖縄県に向かい、沖縄の人たちがほんとうに不健康なために結婚するのかどうかを調べるのですが、もちろんそんなことはありません

 婚姻率や出生率が高いのは「貧乏人同士が経費節減ということで結婚するからではないか(沖縄の一人当たりの県民所得は全国最下位)」「他にやることがないから。海しかないから(さずかり婚率全国一位)」といった、可能性を感じさせるいくつかの理由が挙げられたあと、健康に関する驚くべき事実が語られます

 それは平成2年を境に、全国1位だった男性の平均寿命が、5位(平成2年)、26位(同12年)、30位(同22年)、36位(同27年)とガタ落ちに順位を落としていくというものです。一方、婚姻率はそれに連れて鮮やかに上がっていきます。

 番組はそこで、婚姻率が上がったのは具体的な不健康のためではなく、健康に関する危機感のためではないかと考えます。
 平均寿命1位陥落後、行政もテレビコマーシャルで健康不安を掻き立て、企業は検診を制度化し、市町村レベルでは保健指導の家庭訪問まで始めるところも出てきます。
 そうなると否が応にも健康・生存問題は具体的な課題となって目の前に突きつけられます。


【生存が危ぶまれると子孫を残したがる】

 生存が危うくなると子孫を残したがるというのは植物や菌類に顕著です。

 例えばキノコ類など、一番楽なのは地中でのうのうと菌糸を延ばしているときです。ところが何らかの事情によって生存の危機が訪れると地上に菌糸の先を延ばし、そこから胞子を空中にばらまくというアクロバティックでギャンブル性の高い所業に出ます

 代表的な危機は寒くなること、つまり秋が深まるとキノコは一斉に地上に顔を出して傘を広げようとします。自分が寒さのために滅んでも、胞子が行った先でより良い土地を発見し、そこで繁殖することを願ってのことです。
 またシイタケなどは原木に菌を植え付けたあと、金づちで叩いたりコンクリートの壁に打ち付けたりし成長を促したりします。それも危機意識を煽るやり方に違いありません。

 ランの一部は根詰まりをして苦しくなると花を咲かせます。自身が危うい以上タネをつくって後につなげなければならないからです。ブドウやトマトは水枯れ状態でおいしい実をつけます。スイカも寒暖差の激しい(夜になるとちょっとヤバそうな)土地の方が甘い実をつけたりします。

 私は動物のことはあまり知らないのですが、おそらく同じでしょう。

 人間の場合は、貧しい国や地域、あるいは日本でも貧しい時代は出生率が高かったものです。そこにはもちろん「子が働いて親を食わせる社会システムがあったこと」や「ほかにやることがなかった」という事情もあったかもしれませんが、とにかく子どもが大勢死にますから、その分を多く残しておかなければならない、という危機意識もあってのことでしょう。弱い者が多産なのはイワシの大群を見ても分かります。

 そう言えば、実際に数字として表れたかどうかは分かりませんが、東日本大震災の際、「きずな婚」とか言って急遽結婚を決めたカップルがいたのも、危機意識が造り上げた婚姻だったのかもしれません。


【これでは結婚しないわけだ】

 最近、母のプチ介護(大したことのない介護)ということもあってスーパーマーケットに行くことが多いのですが、そこで感心するのは総菜の多さです。
20mはあろうかという総菜コーナーの、右端から順に買って食べる生活を始めても一か月は優にもつ、そんな感じです。さらに生鮮食品も冷凍食品もありますから一人で生活してもまったく困らない。
 外食で良ければもちろんそれでいいですし、飽きたらスーパーに通えばいいのです

 アパートはたいていがバストイレ付きだから衛生面でも危機感は持ちにくい。超人手不足だからほとんどの若者に職があって生活自体に危機感がない、とりあえず近未来に不安がない。
――これでは結婚しないわけです。

 番組ではその他にも、「危機意識が婚姻率を高める」というアメリカの研究論文を紹介したり、最近、婚姻率や出生率を高めた国々の多くが若年失業率が高い、といった事実を示して危機意識と婚姻の関係性を補強しようとしていました。よく理解できるところです。

 ただしこれは男性に限った話なのです。
 女性の場合はもっと複雑で、厄介な事情があります。

                             (この稿。続く) 

悪いのは禁止した学校ではなく 勝手にツーブロにした美容師の方だろう

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 マスメディアの校則批判には 一定のお約束がある

 批判が前提なので本質を見誤る
 事実に関する取材が甘いので
 結論がお門違いになる

 校則批判は定期的な行事なのだから
 もっと丁寧に調べてほしい

というお話。

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更新しました。

「キース・アウト」

2019.04.16
ツーブロックはダメ?校則に疑問の声
学校「高校生らしくない」

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「子どもには子どもの感じ方がある」~意味なく叱るよりは、意味なく誉めておく

 親が語り掛ける言葉は 必ずしも意味あるものだけではない
 くだらないこともあれば 無意味な場合もある
 
どうでもいい話もある しない方がいい話もある
 
しかしどうせ大した意味もないなら
 とりあえず誉めておくのが一番いい
という話。f:id:kite-cafe:20190415201323j:plain

【人間の躾には、延びてくる手が多い】

 孫のハーヴがもうすぐ4歳になります。
 離れて暮らしているので会うたびに格段の成長があり、それを見るのが楽しみです。

 昨日は犬の躾の話をしましたが、人間は犬と比べて成長がずっと遅く、躾け項目も多いため、大人になるのに時間も手間も何倍もかかります。ただしたいていの犬が一人か二人の飼い主によって躾けられるのに対して、人間はたくさんの大人や友だちに育てられて成長しますから、その分、楽な面もあります。

 ハーヴの場合は2歳で保育園に入りましたから、保育士さんやお友だち園児に教えられている面も少なくありません。
 例えばトイレットトレーニングなどは、親だけの指導で達成するのは容易ではありません。
 しかしハーヴは保育園の先輩や同輩がトイレでうんちやおしっこをするのを見ていますから、自然とそれがそういうものだと覚えます。自分一人でトイレができる子は保育士さんたちに誉められてその様子を見ていますから、ひとりでできることの価値も、特に改まって教えられることなく覚えていきます。

 親たちは家でオマルを用意して、うんちやおしっこの出そうなころ合いを見計らって、パンツを脱がせて待っているだけでいいのです。、あとはうまく行ったら大いに誉めるだけ。
 楽なものです。 

【誇り高き3歳児】

 ハーヴもちょうど一年前くらいに、そうやってトイレットトレーニングを終了しました。それは誇り高いことで、当人にとっても大人への階段を大きく一歩上った事件でした。

 直後の梅雨の朝、母親のシーナが計算間違いをして履かせるパンツがなくなってしまい、保育園には予備のパンツがあるので、
「ハブくん、今日は“お兄ちゃんパンツ(普通の木綿のパンツ)”全部洗濯しちゃって履けるのがないのよ。悪いけど紙パンツで行って、保育園で履き替えよ?」
 そう言うと泣いて怒って、シーナの持っていた紙パンツを奪って床に投げつけたそうです。
《でかしたハーヴ! それでこそお兄ちゃんだ!》

  しかたないのでノーパンで保育園に行ったそうですが(それが誇り高い園児のすることか?)、そんなふうに子どもは育って行くわけです。“お兄ちゃん”が紙オムツで保育園に行くのは、沽券にかかわるらしいのです。

【成長は直線的に進まない】

 今、4歳になろうとするハーヴはトイレについてはほぼ完璧で、行きたいと思うと親に一声かけてトイレのドアを開け、ズボンとパンツを脱ぎ、幼児用便座を便器の上に乗せて踏み台を使って上にのぼり、用をたすと便座から降りて幼児用を片付け、水を流して戻ってきます。
 パンツやズボンの後ろ前が分からなくなることがあるのでそれについては母親に確認すると、床にパンツ、ズボンの順で並べて一人で履きます。
 履こうとします。
 その気はあります。
――ところが、なぜかそこからめっぽう時間がかかるのです。

 何かのルーティーンなのかもしれませんが、片足をパンツに突っ込んだまま、テレビがついていればテレビに気を取られ、ついていなければそのつど何かを見つけてそちらを凝視して、ピタッと手が止まってしまう。

 私はそれとなく眺めているのですが、孫と言えど他所様の子、安易に口や手を出すのは憚られるので放っておくのですが、そうなるとさらに進みません。
 やがてハーヴは何回か気を取り直して動きを進め、1~2分の後には服装を整えます。1~2分だから文句は言えないのですが、5秒でできることを120妙もかけるわけですから、まじめに見ていると相当イライラします。

 そこへ食事の支度をする母親のシーナが現れて声をかけます。
「ひとりでできたのね。ずいぶん速くできるようになったね!」

 私はびっくりします。
《速くなんてネ~ダロ!》
 もちろん口にはしませんが、思わず目を剥いたりします。

 

【子どもには子どもの感じ方がある】

 しかし翻って、同じ状況で他にかける言葉があったとすれば、それは、
「相変わらず時間がかかるわね」とか、
「今ごろやっと終わったの」
といった陰性の言葉、あるいは、
「終わったの?」
といった無意味な確認だけです。
 それで何の利益があるのか?

 もちろん「パンツやズボンを履くことは、もっと速くできる仕事だ」という事実を知らせることには役立ちます。暗黙の裡に「次はもっと速くしなさい」という指示を伝えることになるのかもしれません(3歳児でもそういった含意を汲み取れると仮定して)。

 しかし確実に言えるのは、それが母子ともに気分の良くない出来事になるだろうということです。気分を悪くしても得られる価値が大きいなら、敢えてそうしなくてはならない場合もありますが、この事例は違うでしょう。

 どうせハーヴに正確な時間の感覚などないのです。「ずいぶん速くできるようになったね」と言われればそうだったような気もしてきます。「ひとりでできたのね」は母親が認めてくれたということですから、全体としては誉められたことになります。

「トイレに行って、一人で全部やって、誉められた」
 ハーヴが今日、経験したのはそういうことです。明日も大差ないかもしれませんが、明日の明日の明日くらいになれば、もう少しは速くなっているかもしれません。

 ハーヴも良い母親を持ちました。


自画自賛!)

 

「“美しい”ほどにきちんとした犬とバカな犬の話」~結局、人間と同じ

家の前を 本当に賢い犬が通っていく
美しいほどしっかりした犬だ
ところが一方 私が毎日出会うほとんどの犬は
まるで賢い感じがしない
しかしそれも人の飼い犬

という話。

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【“美しい”ほどきちんとした犬】

 上の写真とは関係ないのですが、最近わが家の前を通っていく犬はとてもお利口で、首をひょこひょこさせてあちこち眺めながらも、かなり速足の飼い主に遅れまいと一生懸命あとをついて行きます。リードもつけていないのに、道を逸れたり立ち止まったり、飼い主より前に出たりといったことはまったくありません。

 ときどきその時刻が我が家のウサギの庭遊びと重なることがあって、そうなると鼻の利く犬の本能なのでしょう、さっと気づいて目は釘付けで鼻先はこちらを向いたままなのに、それで止まったり近づいてきたりということもありません。
 近所にはさまざまな犬がいて、たいていはウサギに気づくとこちらにやってくるのですが、この子はまったく魅かれる気配がないのです。
 なんとお利口なのでしょう。

  その様子を見ているだけで、その子の生来の頭の良さ、素直さ、飼い主の辛抱強い躾の姿や愛情が理解されます。きっとものすごく手をかけられているのでしょうね。
「人間は躾け損なっても殺されることはないが、犬は躾け損なうと殺されます」
 これは私が再三引用している、ある「犬の育て方」という本の一節です。最低でも人間に危害を加えないようにしておかないと、犬は苦しい人生(犬生?)を過ごすことになります

 しかし我が家の前を通っていく犬はそのレベルをはるかに越えてはるかによく躾けられていて、その姿はほとんど“美しい”と言っていいくらいです。

【おバカな普通の犬たち】

 翻って、毎朝出会う他の犬たちは何とおバカなことか。

 車が近づいてくると100%確実に吠えて威嚇して暴れまわる犬。私の家の前でウサギに気づくと、飼い主の事情におかまいなしにじっと動かなくなってしまう犬。逆に散歩の間じゅう、好き勝手な方角に行きたがって飼い主を振り回す犬。

 先ほどの
その子の生来の頭の良さ、素直さ、飼い主の辛抱強い躾の姿や愛情が理解されます
を逆手に取ると、
この子の生来の頭の悪さと性格のゆがみ、飼い主のこらえ性のなさやいい加減さが思い遣られます
ということになるのですが、はて、それでいいのか――。

 人間の子どもに生来の性格があって、最初から育てやすい子と難しい子がいるように、犬にだってそういうことがあるのかもしれません。

 

【不合格犬】

 そう言えば警察犬の試験でも合格できない犬がいます。あれは単純なトレーナーの能力差ではないでしょう。鼻が十分に効かない犬もいれば、命令に従うのを厭う気ままな犬もいるのかもしれません。刃物を見ると怖気づいて逃げ出す犬だっているのかもしれない。

 ブルドッグはもともと闘犬としてつくられた犬で、足や尾は短く、鼻も凹んで噛みつきにくい、ほぼ完璧な体型をもって生まれました。それにも関わらず普通のペットとして飼われているのは、要するに気が優しくて闘争本能に全く欠けていたからだと聞いたことがあります。

 あるいは盲導犬になるべく手厚い養育とプロの訓練を受けても、結局、目の不自由な人の下で働けるのは3~4割に過ぎないと言われます。盲導犬なれなかった犬は、キャリアチェンジ犬飼育ボランティアと呼ばれる人の家で(盲導犬としては)残りの余生を過ごすことになります。

 

【結局人間と同じだが】

 警察犬になれなかったから、盲導犬に慣れなかったから、といってダメな犬という訳ではありません。その点で一流企業に入れなかったから、プロになれなかったから、といって人間としてダメなわけではないのと同じです。その方面に向いていなかっただけです。

 しかしだからと言って、やたらと吠えて騒ぐ犬、暴れまくる犬、人に噛みつく犬も、“それは個性だから”といって放置していいわけではありません。
 育てにくい犬、躾けにくい犬だったとしても、それはそれなりに育て、躾けてやらないといけません。でないと悲惨なことになるからです。

 結局、程度の差はあれ、それも人の子を育てるのと同じです。

 

 

 

モンペと思われることなく、学校に苦情を持ち込む方法

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  教員の側からすると
 
モンスターペアレンツも困るが
 親がモンペと思われるのを怖れて
 必要な苦情や不信の表明をしないのも困る
 要は事実の確認と持って行き方なのだ

というお話。

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 更新しました。

「キース・アウト」

2019.04.13
「モンペ」と思われたくないけれど…担任の言動に不信感!

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「わが青春の『ナチチャコパック』」~2019年春の蓋棺録3

 今から50年前
 当時の若者には ラジオの深夜放送が文化の発信基地だった。
 ラジオの深夜放送が 心の支えだった
 「ナチチャコパック」は私の青春そのものだった

 という話。

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 【深夜放送全盛時代】

 1970年前後というのはラジオの深夜放送の黄金時代で、当時の若者はここから集中的に情報を得ていました。男の子の場合、あとは「平凡パンチ」だとか「プレーボーイ」といった雑誌が頼りでしたが、高校生がそのたびに気軽に買える値段ではなく、また書店でそれをレジに持って行くことはかなり勇気のいることでしたから、結局、ラジオを通して入る情報が主流といって良かったと思います。

 ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、文化放送の「セイ!ヤング」、そしてTBSの「パック・イン・ミュージック」の三つの番組が、互いをけん制し合って覇を争っていた時代です。

 なかでも特に有名なのは「オールナイト・ニッポン」で、私が深夜放送に一番ハマっていた69年~72年ころのパーソナリティを調べると、(月曜日)糸居五郎、(火曜日)斉藤安弘、(水曜日)高岡尞一郎、(木曜日)天井邦夫、(金曜日)今仁哲夫、(土曜日)高崎一郎亀渕昭信といった錚々たる面々です。
 とは言っても糸居五郎高崎一郎以外は筋金入りのファンでないと知る人は少ないのかもしれません。「斎藤アンコウ」や「今仁(いまに)のテッちゃん」は一世を風靡したタレント・アナウンサーでしたし、亀渕昭信と天井邦夫は2005年にホリエモンライブドアニッポン放送株の大量買い付けをした際、必死に抵抗した社長と副社長です。

 その「オールナイト・ニッポン」に対抗したのがTBSの「パック・イン・ミュージック」で(月曜日)小島一慶、(火曜日)愛川欽也、(水曜日)北山修、(木曜日)野沢那智白石冬美、(金曜日)山本コータロー、(土曜日)永六輔と言った布陣になります。

 さらに「オールナイト~」「パック~」の2強に割って入ったのが文化放送セイ!ヤング」で、(月曜日)土井まさる料理研究家土井勝とは別人)、(火曜日)はしだのりひこ、(水曜日)みのもんた、(木曜日)野末陳平、(金曜日)落合恵子、(土曜日)加藤泰三といった面々です。

 後に文化人と呼ばれるようになる人も大勢いますし、歌手やタレントとして名を残した人も少なくありません。そういったメンバーが、深夜の1時から3時までを仕切って若者と対峙していたのですから(*)面白くない訳がありません。
*2部構成で3時~5時までは別のパーソナリティが担当していたはずですが、そこまではつき合っていなかったのであまり記憶にない。

 
ただし3放送局とも全く同じ時間帯の放送ですし、毎晩つき合っていたら身が持ちませんから、自然と1~2の番組に限られていきます。私の場合それが金曜日の「パック・イン・ミュージック」、野沢那智白石冬美の通称「ナチ・チャコ・パック」あるいは「金パ」だったのです。
 野沢那智アラン・ドロンの声で有名な声優さんで劇団薔薇座の主催者、白石冬美さんは昨日お話した星明子です。

 

【若者文化は深夜ラジオから学んだ】

 「ナチチャコ」についてお話する前に、深夜放送の影響力ということについて少しふれておきます。
 それについてまとまったものを読んだことがないので個人的な感想しか言えないのですが、深夜のラジオ番組ということで「なんでもあり」の雰囲気があり、いろいろな実験的試みが平気で行われた感じがあります。
 アナウンサーがタレント並みの活動をして視聴率を稼ぐというやり方も、深夜放送から始まりました。

 亀渕昭信斉藤安弘の「カメ&アンコー」はソニーレコードから「水虫の唄」を出して20万枚を売り上げるヒットとなり、50歳を迎えた糸居五郎は「50時間マラソンDJ」などというものを敢行して、後の24時間テレビに先鞭をつけました。
 今仁哲夫と天井邦夫は日本全国を縦断してリスナーと交流するという画期的な企画を立ててすぐに実行してしまいます。とにかく深夜のラジオということで、いくらでも実験的なことができたのです。

 グループサウンズ全盛の時代に「フォークソング」というものを掘り出して流行らせたのも深夜放送でした。
 特に「オールナイト・ニッポン」が見つけて強く推した「フォーク・クルセーダーズ」は、生ギターにウッドベース、タンバリン、ハーモニカ。曲は自作であること、音楽の合間あいまに笑いのあるトークを入れること等々、日本におけるフォークソングの基本的様式を決定づけ他グループでした。

 「ナチチャコパック」の後番組でときどき聞くことがあった「パック・イン・ミュージック」、金曜日第二部のパーソナリティ林美雄(なぜかミドリブタを自称していた)はTBSのアナウンサーでしたが新人発掘に才能と情熱を持っていて、デビュー前のタモリやおすぎとピーコを出演させ、日活ロマンポルノの芸術性に注目して「八月の濡れた砂」を推奨していたりもしました。その「八月の濡れた砂」の主題曲を歌った石川セリは、林に招かれて「パック~」に出演し、そのときたまたま同席した井上陽水と後に結婚します。 しかし何といっても林の一番の仕事はユーミンの発見です。

 私はミドリブタの紹介で、当時まだ高校生だった荒井由実の「ベルベット・イースター」を聞き、バックバンド「キャラメルママ」(細野晴臣松任谷正隆鈴木茂林立夫)の凄さとユーミンの天才ぶりに心底驚いたのを覚えています。
 貧乏学生のくせに半年の間にアルバム「ひこうき雲」を3枚も買って次々と聞いてもらいたい人にプレゼントして回ったのもそのころです。レコード店に買いに行くと「荒木ミミ(のちにプロレスラーになったアイドル歌手)ですか?」と訊かれた時代でした。

 私は田舎の人間でしたので、そういったものを通して都会の若者文化に触れて行ったのです。

 

 【わが青春の『ナチチャコパック』】

 「ナチチャコパック」は、しかしそうした文化の発信というのではなく、孤独な若者を言葉で結びつける集合の場という役割を負っていたように記憶しています。

 最後の30分間は内外の古典(「好色一代男」や「金瓶梅」)のラジオドラマでしたが、番組の大半は聴取者の手紙を読んで感想を言い合う形で終始し、私たちはそこで自由に――というか好き勝手に発言できたのです。いわば聴取者がつくる番組のハシリでした。

 一通り短い手紙が読まれ、合間あいまに音楽を聴いた後で、「お題のコーナー」(確かそう言ったと思う)が始まります。
 毎週、歌謡曲の題名から採った課題が出されていて、聴取者はそれに応える形で手紙を送ってくるのです。短い手紙が採用されやすい番組の中で、そこだけは一本一本がかなり長い文で、面白おかしく、時にはじっくりと考えさせられるものだったりして「ナチチャコパック」の一番のウリでした。

 当時は今ほど多様性のある時代ではなく、中高生あるいは大学生たちはかなり似通った生活をしていましたから他の人の話もよく分かります。平凡な日常の中でときに突飛な事件があり、間抜けな行いがあり、呆れた失敗がある、そうした、今で言う「あるある話」を聞きながら、自分の境遇だってまだまだ捨てたものじゃない、そんなふうに思ったりしたものです。

 高校3年生の秋、私は一度だけ「お題」に投稿し、読んでもらったことがあります。読まれた瞬間は布団の中で快哉を叫び、あとは心臓をパクパクさせて聞いていました。

 それなのに翌日、学校に行って自慢するようなこともありませんでした。受験が目の前だというのに勉強もしないでそんな長い文章を書いていた、それがバレるのが恥ずかしかった、そんなふうに考えられる初心な高校生だったのです。その時の「お題」は美川憲一の「お金をください」でした。

 Youtubeに「ナチチャコパック」終了に関するニュース映像がありましたので埋め込んでおきます。
 私の青春を支えてくれた、チャコちゃんの冥福を心よりお祈りします。

                         (この稿、終了)

 

 

「昔の高校生は何をして遊んだのか」~2019年春の蓋棺録2

ショーケンの亡くなった同じ3月26日
声優でタレントの白石冬美さんが亡くなった
ショーケンと違って 発見が二日遅れたという
顔の見えないタレントさんだったから
それもまたこの人にふさわしい 
私には特別の思い出がある
という話。f:id:kite-cafe:20190410191306j:plain(写真:フォトAC)

【昔の高校生は何をして遊んだか】

 歴史の勉強をしていて案外むずかしいのが庶民史です。

 政治史とか経済史というのは研究が進んでいて、書籍も入門書から高度な専門書まで一通りそろっています。しかし例えば“文化文政期の庶民の生活”――町人は何時ころ起きていつごろから働いたの? とか、朝食は食べたの? 食べなかったの? 食べたとしたらメニューは? たとえば大工さんは朝から仕事場に向かったとして、その奥さんは一日どうやって過ごしたの? とかいったこまごまとしたことを本気で調べようとすると、なかなか厄介です。

 今はインターネットがありますから、情報の量や質の問題は残るにしてもまったく手掛かりがないということは少なくなっています。しかし私の若いころなどはどうでもいいことのために図書館で一日すごして、しかも何も見つからないといったこともけっこうあったのです。

 そこで問題ですが、50年前の一般の高校生高校生――つまり若いころの私たちは、何をして遊んだのでしょう? 想像してみてください。

 吉幾三ではありませんが、

 スマホはない、ゲームもない
 ネットもなければ 電話もない
 テレビはあっても局がない

 デジカメない Youtubeない
 MP3もCDもない
 ステレオあるけど 持っていけない

 お金がない 彼女がない
 マンガはあるけど 週刊誌
 ファッション誌を読んでも 生かせない(田舎だから)

・・・と言った状況です。そんな状態で高校生たちは何をしていたか――。

 

【答え=ひたすらつるんでおしゃべりしていた】

 クラスの中には孤独に勉強に打ち込む者もいれば、ひたすら部活に情熱を傾ける者もいましたが、私と私の周辺の仲間はそうではありませんでした。基本的に暇を持て余してやることがありませんから、とにかくおしゃべりをしていました。

 夏は学校近くの児童公園やチャリで頑張って城山の展望公園に行ったり、冬は仕方がないのでお金があれば喫茶店、なければ友だちの勉強部屋にしけ込んでそこでひたすらしゃべっていました。
 中身は女の子のこと、先生や友だちの悪口、進路の話、テレビのこと、映画のこと・・・。私も含めて女の子にモテたいばかりにギターをやってる仲間も結構いましたから、歌もよく歌いました。

 そして夕飯の時間が近づくと、泣く泣く解散します。その場から携帯で「ちょっと遅くなる」と家に連絡することもできないので、定時には家に着くよう帰るわけです。
 そして以降は、翌日、学校で顔を合わせるまで友だちとは連絡普通です。もちろん大半の家に固定電話はありましたが、大部分は親の耳の届くところに置かれていますから、よほどのことがない限り電話でコミュニケーションを図ろうとはしませんでした。

 では家に帰った後、なにをしていたか?
 夕食、入浴、就寝といったことを別にすると勉強ぐらいしか残っていません。テレビを見るという仕事もありますが、家族で1台を共有しているだけですから、たいていは一日1番組くらいの割り当てになっていてダラダラと楽しむわけにはいきません。

 それに当時は夜9時を過ぎるといきなり危険な場面の出てくる番組が結構あって、おちおち親といっしょに楽しむというわけにはいかなかったのです。ドリフを見て家族全員で笑っていたら、突然女性が裸にされてしまい、親の前でどういう表情をしたらいいのか分からず、兄弟で凍りついたなんてことは再三でした。

 ですから9時を過ぎると勉強でもして、あとは寝るだけです。――いや、おっと、もうひとつ大事なことがありました。
 「早く寝ろ」と言われて布団に入ったふりをして、何とか眠らないように頑張ってラジオの深夜放送を聞くという仕事です。

 

白石冬美=チャコちゃん】

 春休み中の3月26日、声優でタレントの白石冬美さんが亡くなりました。82歳だったそうです。

 白石冬美と言えば「機動戦士ガンダム」のミライ・ヤシマや「どろろんぱっ!」の小野小町の声優としてアニメオタクで知らない人はいないと思いますが、一般的には「巨人の星」の星明子の声として有名です。
 つい数年前、「星明子状態(隠れて物陰から必死に見守る)」という言葉とともにプチリバイバルしたあのキャラクターです。しかしだからと言ってそれで白石さんを思い出す人は少ないでしょう。

 白石冬美、愛称チャコちゃんは、私たちの世代にとっては深夜放送のパーソナリティ(今だとMCとでもいうのかな?)としてものすごく愛された、記憶に残る女性なのです。

                            (この稿、続く)