カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私のキャッシュレス元年」  

 東京に行って ひょうんなことから
 キャッシュレス生活が始まった
 私にもできる
 しかしこの違和感は何なのだろう?

というお話。
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【交通キャッシュレス】

 東京に行くのに珍しく指定席を取りました。いつもと違って空いている時間を選ぶことができなかったからです。
 Web予約の「えきねっと」を使ったのですが、困ったことに、駅で改めて切符を買わなくてはいけないのです。困ったというのはそのときカード決済でなくてはなりません。
 昔、カードを差し込んだところで暗証番号が頭から飛んでしまい、それ以来トラウマで少々敬遠気味なのです。もっとも、人間、同じ間違いをそう何度も繰り返すものではありません。
 駅に行って券売機にカードを差し込み、素人臭さが出ない程度にてきぱきと処理し、みごと切符を手に入れることができました。

 東京都内はSuicaで、これは使い慣れているから大丈夫です。JRや私鉄を何回も乗り換えるときは必需品で、おかげでずいぶん楽をさせてもらっています。
 使い始めのころ、スマホのポケットに入れたSuicaを機械がうまく読み取ってくれず、後ろの人に何回か迷惑をかけました。しかし都会の人は慣れたもので、私が引っかかったと見るやぶつかることもなく、瞬間的に直角移動でとなりの改札に入っていきます。その神業を見たいばかりに、もう一度引っかかってやろうかと思うくらいです(しませんが)。
 Suicaについては改札のタッチの仕方にもだいぶ慣れてきました。
 
 

【オンライン・チケット】

  国立西洋美術館の「松方コレクション展」――連休明けなので空いているような、あるいは最終週なので混んでいるような、ちょっと予想がつかない状態で上野に行ったのですが、朝、割と早い時刻に入ったにもかかわらず正解は後者でチケットを買うだけで15分待ちでした。
 しかたないので列の後ろに並んでゆっくり進むと、壁に「オンライン・チケット」のチラシ。オンライン・チケットはコンピュータ購入してプリントアウトして紙で持って行ったことはありますが、スマホからの購入経験はありません。しかしどうせ15分間やることないのです。
 ままよと思いながらホイホイ進んでいくと、途中でカード会社に入るためのIDや暗証番号を入れるところがあって、うろ覚えなので多少戸惑ったものの何とか最後までたどり着けました。その間およそ5分。あわてて列を離れ、柵を越えて入場口に向かいました。
 
 

【駅そばもコーヒーも】

 上野駅で帰りの切符を買おうとしたら公園口の指定席券売機は1台だけ。ここで現金をもってもたもたするのは嫌だなと思ったので、一度練習済みのカード決済。うまくできました。
 さらに移動してなんとか目標の列車に間に合ったのですがまだ20分ほど間があります。昼食も食べてなかったので、まあ駅なかの立ち食いソバでいいやと思ったら、ここの券売機もSuicaが使える。
 ここまでくると意地でもキャッシュレスという気になります。そのあとこれも駅なかのコンビニによって少々おやつを買ってSuica、自販機でコーヒーを買ってSuica、考えてみたら東京に来て以来、一度も現金を使っていません。
 ああ、私でもこれはこれで何とかやっていけるものだなあと感心しました。そして 確かに便利は便利です。
 
 

【なんだ?この感じは?】

  ただ、この虚無感というか、頭や体のはっきりしない感じは何なのでしょう? 列車の運賃6800円と缶コーヒー140円がほぼ同じ感覚で手に入る、何か変じゃないですか? このままだとクレジットカードの限度額ギリギリの買い物にも抵抗がないのかもしれない。

 私はもともとキャッシュレスに懐疑的な人間ですが(2017/11/6「キャッシュレスの時代」~現金のない時代は来るのかな - カイト・カフェ他)、使えることと納得できることの間には多少の乖離があるみたいです。

 

 

「『芸術の価値の分からない人間』の芸術的価値について」

 国立西洋美術館に「松方コレクション展」を観に行ってきた
 そこで自分がいかに芸術の分からない人間か痛感してきた
 しかしそんな私でも
 役立っていることがあるに違いない

というお話。

国立西洋美術館「松方コレクション展」に滑り込む】

 国立西洋美術館に「開館60周年記念松方コレクション展」を観に行ってきました。
 今週末が最終というギリギリのタイミングです。

 夏休みに息子のアキュラが行ってきて、「けっこうよかったよ」と報告があったのでその気はあったのですが、なかなか機会に恵まれず、今日まで引っ張ってきてしまいました。今回、たまたま娘のシーナからヘルプコールがあったので、そのついでに上野まで足を運ぶことにしたのです。

 ただ、この展覧会、行って少しがっかりするところがありました。展示内容が悪かったというのではありません。以前からうすうす感じていたのですが、私に芸術がわからないということが、今回、本当にあからさまになったような気がしたからです。

【松方コレクション】

 松方コレクションというのは、総理大臣も勤めた松方正義の息子で明治の資産家、神戸の川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)を率いた松方幸次郎(1866-1950)が、莫大な資産に任せて集めた、モネやゴーガン、ゴッホからロダン、近代イギリス絵画、中世の板絵、タペストリーにいたる大量の西洋美術品、さらには日本のために買い戻した浮世絵約8000点を含む全1万点以上の収集品のことをいいます。

 この1万点は単純に日本にもたらされたものではなく、多くはフランスで保管されたまま長く海を渡れず、現地で換金されたものもあればフランス政府に接収されたもの、あるいは火災によって消失するものも多数ありました。また運良く日本にたどり着いた作品の中にも、川崎造船の破綻によって売却、散逸したものもすくなくありません(その一部は倉敷の大原美術館にある)。

 しかし戦後、日本政府の熱心な働きかけによってフランスは一部の重要な作品を除く370点を、美術館を建てることを条件に返還します。そしてつくられたのが現在の国立西洋美術館なのです。

 したがって今回の展示作品の中には、西洋美術館の常設展でしょっちゅう観ている作品がかなり多く含まれていました。それもがっかりした点のひとつです。しかしもっと大きな問題は個人の所蔵展にはテーマがない、この人が収集したという以外の何の共通性もない、したがってどう観たらいいのか分からないということです。

【美術館展、収集家展の難しさ】

 これまで私は、最低でも年1回は東京に来て、大きな美術展を鑑賞するようにしてきました。たいていは「ゴッホ展」「ピカソ展」といった個人を扱った展覧会、あるいは5月に新美術館でやっていたような「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」のような強いテーマ性をもった美術展です。「エルミタージュ美術館展」みたいな美術館展や個人の所蔵展はまず行きません。

 個人展の場合は、その画家がどのように育ってきたか、どういう必然性でそうした作風になったのか、同時代の中でどういう位置を占めるのか、そして後代にどんな影響を与えたのか、そうしたことが観点になります。時代を追って観ていくととてもよく分かるのです。

 「ウィーン・モダン 世紀末への道」のような展覧会は、もうこれは主催者が明確な観点を示してグイグイ押してきますからそれに乗っていればいいだけです。

 ところが美術館展や個人の所蔵展だと、どう観たらいいのか分からない。
 今回の松方コレクション展にしても、ルネッサンス以前絵画がポンと1枚出て、その良さを感じ取れなくてはならいない。その横に藤田嗣治があってもルノワールがあっても、それぞれ何かを感じ取れなくてはならない――私の場合、そこがまったくダメなのです。「全体」とか「流れ」とかいった“枠”がないと、作品の良さが分からないのです。

【芸術の価値のわからない人間の価値】

 今回の「松方コレクション」にはフランスが返してくれなかったゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館)が出展されていました。
 この作品には逸話が残っていて、Wikipediaによると、
 矢代(美術評論家矢代幸雄)の伝えるところによれば、画商ポール・ローザンベールのところで見かけたゴッホの『ファンゴッホの寝室』とルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち』の2作は希代の傑作なので、ぜひ購入するよう、矢代は松方に熱心に勧めたという。矢代があまりしつこく勧めるので、松方は買わずに店を出てしまった。「あの傑作の価値がわからないのか」と憤っていた矢代が、しばらくしてから松方の所を訪れると、『ファンゴッホの寝室』『アルジェリア風のパリの女たち』の2作とも買ってあったという。これは、画商に手の内をみせて、絵の値段を吊り上げられないようにという、松方の計算もあったのではないかと言われている。
ということです。つまり八代幸雄は『ファンゴッホの寝室(アルルの寝室)』の価値を一発で見抜いたわけで、美術評論家だから当然とはいえ、そんな鑑識眼を持った人は世の中にゴマンといるわけです。
 しかし私には全く分からない。ゴッホという文脈の中ではかろうじて分かりますが、単独で出されると分からない。だからモナリザも分からない、ミロのビーナスも理解できない。もっと勉強すればいいだけのことでしょうが、もしかしたら本質的な感性の問題かもしれません。

 実は松方コレクションの松方幸次郎も「私には芸術が分からない」と言っていたようです。しかし西洋の一流品を集めて美術館をつくることには高い価値があると信じて買い続けたのです。
 同じように、もしかしたら本当は芸術なんか分からない私のような人間が足しげく通うことで、美術館は生き残り、レベルの高い美術展も繰り返しやってくるのかもしれません。
 それを頼りに、また足を運んでみることにしましょう。

 

「自分の子どもを東大か医学部に入れる(ほぼ)確実な方法」~佐藤ママとボーク重子さんの話

 優秀な子どもを育てた母親の持てはやされる昨今
 しかし私は疑問だ
 まったく違う育て方で
 同じように優秀な子が育つというところがわからない
 もっとも 答えは案外 簡単なのかもしれない
というお話。f:id:kite-cafe:20190916190604j:plain (オックスフォード クライストチャーチ 写真ACより)
 

 【秀才を育てた二人の母親】

 少し古い話ですが、先週のテレビバラエティ「さんま御殿」に佐藤ママこと佐藤亮子さんと、ボーク重子という女性が出ていました。

 佐藤亮子さんは4人のお子さん全員を東大医学部に進学させたことで有名な教育アドバイザーで、『3男1女東大理IIIの母 私は6歳までに子どもをこう育てました』など多くの著書があります。

 ボーク重子という方については今回初めて知ったのですが、2017年に一人娘のスカイさんが全米最優秀女子高生に選ばれたとかで、こちらも『世界最高の子育て――「全米最優秀女子高生」を育てた教育法』『「非認知能力」の育て方:心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育』といった著書をお持ちで、講演会などでも引っ張りだこだそうです。

 ただ両者の考え方はまったく異なっており、番組の中でも佐藤さんが、
「小学校に上がるまでにはひらがなとカタカナを書けるようにして、掛け算九九くらいは覚えさせておきたい」
というのに対し、ボークさんは、
「小さなころからの勉強なんて必要ない。大切なのは非認知能力、パッション! そのためにもたくさん遊ばせ、経験させなさい」
といった調子です。

 両者の意見を聞いていたタレントのくわばたりえさんは、
「おっしゃっていることが正反対でどちらを信じたらいいでしょう。お二人とも子育てに成功していらっしゃるんだから・・・」
と困惑顔です。

 しかし答えはまったく簡単――両方正しい。

【親たちの学歴】

 佐藤ママとボークさん、ふたりはまったく異なっているように見えて、実はそっくりなところがたくさんあります。

 お子さんがとても優秀だったこと、子育ての成功者として多くの著書を持ち、講演会でも持てはやされていること(悪く言えば子どもの名声で食っていること)、この二点はすぐに了解できます。しかしもうひとつ重要な点があります。
 それは二人とも“夫婦揃って頭がいい”ということです。

 佐藤ママのご主人は東大卒の弁護士。ママご自身は津田塾大学英文科卒、高校は大分上野丘高校です。上野丘は作家の赤瀬川準や評論家の林房雄を輩出した大分県屈指の進学校で、タレントの宮崎美子さんも1年生まで在学していました(2年生に進学する際、父親の転勤で熊本高校に転出)。

 ボーク重子さんの学歴については不詳ですが、中学校時代福島県で5位以内の成績を取っていたと言いますからかなりのものです。最終学歴はロンドンの大学院で現代美術の修士号を獲得と紹介されています。
 ご主人のティムさんは、重子さんの話によれば、
「弁護士をやっていたのがイヤになって、外交官になって・・・」
ということで、現在は会社社長です。
 弁護士、外交官、企業経営、どれひとつとっても普通の人間には達成しがたい職業です。それを「飽きたから」で取り換えられるのですからただものではありません。

 つまり佐藤夫妻もボーク夫妻もメチャクチャ頭が良くて、その二人から生まれた子どもたちは当然頭がいい。
 頭がいいから就学前に九九を教えてもどんどん覚えて楽しいし、楽しいからさらに勉強してどんどん成績が上がっていく。
 一方、頭のいい子は勉強しなくたって平気。好きなだけ自由に、好きなだけ遊んで、時が来たらそこから頑張って十分に間に合う、それが頭のいい子の世界です。
 ですから佐藤ママの教育法もボーク重子さんの教育法も両方間違っていない、ただし頭のいい子が前提です。

くわばたりえさんたちがこれからできること】

 より良い高校からより有名な大学に進学させたいという気持ちが分からないわけではありません。ただし少なくとも東京大学や医学部と名のつく学部は、努力だけで入れるところではありません。とんでもなく優れた地頭(じあたま)が必要なのです。

 常識的な親は生まれてきた子どもを見て、この子をオリンピックのマラソン選手にしようとか、NBAのバスケットボール選手にしようとか、Jリーグのサッカー選手にしようとか考えません。考えるのはある程度運動に長けた親だけです。プロスポーツだのオリンピックだのといった話になると、本質的な運動能力が必要だとみんな知っているからです。

 しかし勉強に関してはなぜか“本質的な能力”のことは忘れられ、「がんばればなんとかなる」と思ってしまいます。
 そうではありません。カエルの子はカエル。身も蓋もない話ですが、ガマガエルに生まれるかアマガエルなのか、そのあと優秀なカエルに育つかダメなカエルのまま終わるかの違いはあっても、しょせん龍になることはないのです。

 しかしそれでも子どもを東大か医学部に進学させたいとなったらできることは何か。

 それにはまず今の夫を追い出して頭のいい夫に乗り換えることです。そして生まれた子が自分に似ないよう、ひたすら祈るだけ。
 ただしすべてがうまくいっても、それで子どもが幸せになるとは限りません。

 耳鼻科の医者になって一生他人の鼻の穴を見て暮らすより、私はさんま御殿の出演者になりたいと思いますね。もっとそちらの方がはるかに難しいかもしれませんが。

「祭りの準備に船頭が多すぎた話」~敬老の日に重ねて

 地区の祭りの準備に行ってきた
 参加者は老人がほとんど しかし口は多い
 船頭多くして何とやら
 なかなか面倒くさいが 年寄にはそれが必要なのだ

というお話。f:id:kite-cafe:20190916190521j:plain (写真ACより)

 

【祭りの準備に行ってきた】

 地区の神社が秋の大祭で、その準備に行ってきました。4年に一回、私の町内班は幟(のぼり)立てが仕事です。
 高さ十数mの大幟で、前回までは旗をつけた後で木の柱を立てるという危険かつ重労働だったのですが、今年行ってみると金属のポールが立っていて、天辺の滑車から下げられたロープに横棒を括りつけ、そこから幟を吊るして引き上げればいいだけのものに替わっていました。
 とは言ってもただ吊るせばいいというのではなく、旗の一辺はポールに針金の輪で括り付けなくてはいけません。つまり多少の工夫は必要みたいなのですが、初めてのことで、そのあたりのあんばいがよく分かりません。

 そこでみんなで思案しながら始めたのですが、午前6時から始まった田舎の作業は御多分に洩れず年寄ばかり。ごくわずかの若者(と言っても40~50代)に作業は任せて、口ばっかりの旗奉行が何人も出てきます。

 

【船頭ばかりの幟立て】

「そこのロープはそんなに長く取ってもいいもんかい?」
「ほら、ほら、ほら、まず最初にそっちのネジを外すってもんじゃあねえかい?」
「誰か、そこに乗っかって、上から見てみろや」
 そうしたアドバイスのいちいちが間違っていたりトンチンカンだったりで、そのうち、
「いや、やっぱその紐は長すぎる」
とか言ってせっかく縛った旗の先の紐をほどこうとしたり、針金の輪のために垂直にしか引けないロープを苦労して引き下ろしていると、「そんなモンは斜めに引っ張るのが楽なんじゃ」とか言って、手を出して人の邪魔をしたり、次から次へと変なアドバイスや余計な手が出てくるのです。
 私はもう呆れるとか怒るとかを通り越して、ほとんど可笑しくてしょうがなくなりました。
 みなさん、分かってなくてもこんなに堂々と意見が言えるんだ――。

 考えてみるとそこに集う老人たちは皆、“昔はひとかどの人物”ばかりです。
 企業の経営者もいれば部長さんもいる、工場長もいれば支所長もいる。個人経営者も町会長も――。これといった社会的な肩書はなくても、大部分は“お父さん”として家庭で幅を利かせていた人たちです。
 しかし今は誰からも顧みられない。

 意見も求められないし、さして尊重もされない。もちろん尊敬などされるはずもない。邪険に扱われるわけではないが頼りにもされない――年寄りとはそういうものです。

 だから何か言えそうなときには言いたくてしょうがない。少しでも考えがあれば我慢できずについ口を挟んでしまう。それでもすごくいいことが言えればいいのですが、自分の土俵でないからしばしばトンチンカン。それでなおさら煙たがられる。悪循環。

 鬱陶しいと言えば鬱陶しい。受け入れてあげたいけれども間違っている。誰も聞いていないのにしゃべる姿が痛々しい。
 しかしこんな機会でもなければ人間的な会話すら乏しい人たちかもしれません。微笑んでみてあげましょう――そんな気持ちで小一時間の作業を終えました。

 

 

【家に帰って】

 家に帰って、妻にその話をすると、「分かる、分かる、その感じ」と同調したあとで、
「で、あなたはその“多すぎる船頭さん”の外で、静かにしていられたわけ?」

 私はちょっと考えます。しかし――、
 そんなことあるわけねぇだろ。こちとらは元教員だ、黙っていられるはずがない。
 少し離れたところでちょっとした講習会が始まるのを目ざとく見つけると、走って行って説明を聞き、取って返して「ここはこう」「あそこはこう」といちいち指図し、ほとんどは正しかったがいくつかの点で間違いを犯して迷惑をかけ、小さく尖った視線を何回か浴びたのは実はこの私だ!

 次はもっとうまくやる、きっとうまくできるはず。ただし次も4年後だから、それまで覚えていられるかどうかが問題だ――と、私ももう立派な、口うるさい、見捨てられた老人です。

 

 

「学校の働き方改革は、学校と教員と地域とPTAを潰すことにしかならない」という件について 

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 更新しました。

「キース・アウト」
         
2019.09.14
教員志望者を増やしたいなら、やりがいを伝えようとするだけではダメだ
Yahoo! Japanニュース 9月13日
              
               
 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1909b.htm#i2

 スマホ版→https://kieth-out.hatenablog.jp/entry/2019/09/14/163101


 

「子どもたちに改めて伝えたいこと」~働く日本人の話③

 畑は一日たりとも疎かにできない だから農耕民族は勤勉にならざるを得ない
 古来、日本人は家族とともに働き 家族の中で生きてきた
 家族の持つ職業の中で自己実現を図るのが当然だった
 その遺風はいまも残っていて だから職場は居心地がよく
 だから働くことは楽しい
 そのことを子どもたちに改めて伝えたい

というお話。

f:id:kite-cafe:20190913080353j:plain(写真ACより)

 
 

【勤勉にならざるを得ない農耕民族】

 しばらくバタバタして家庭菜園を見に行かなかったら、ブロッコリーの葉がモンシロチョウの幼虫に食い荒らされて網目のようになってしまいました。しばらくといってもたった三日間のことで、消毒も終えたばかりでした。畑作はこんなふうに一時も目が離せません。

 最盛期のキュウリも、「明日の朝は収穫しよう」と思って果たせず、夕方採りに行くともうお化けみたいな巨大さで食卓には上げられません。オクラなどは朝晩繰り返して収穫しないとすぐに剣先みたいに固く膨れ上がってしまいます。
 なるほど、これでは農家は勤勉にならざるを得ません。

 日本人の勤勉さを説明するとき、必ず出てくるのがこの「農耕民族だったから」という答えです。

 ヨーロッパだって畑作はあるし、牧畜は畑同様、手間がかかるだろうといった反論も考えられますが、ヨーロッパにしてもアメリカにしても、日本の農業に比べたらすべてが粗放栽培みたいなものでまったく手がかかっていません。
 土地が多少傾いていても、水が不足気味でも、ジャガイモや麦類、大豆などをつくっている分には困らないのです。
 牛や羊も、逃げない程度に柵をつくって、あとは放っておいても育ちます。

 しかし日本は違います。
 日本の農業は米作りから始まりましたが、原産地のインドや中国と違って巨大なデルタ地帯があるわけでもなく、平地自体が少ないので最初から大規模な土木工事が必要だったのです。そのために集落の老若男女が総出で協力して、用水を引き、田を築き、田植えをして虫を駆除し、稲刈りをする、そうした生活を繰り返してきました。
 狭い土地ですからどうしても集約的になりますし、作業が複雑になると子どもの手も借りなくてはなりません。701年の大宝律令で、国家から田が分け与えられる最少年齢は6歳です。子どもは最初から社会の一員だったわけです。
 
 
 

【家族が職業という世界】

 農業が日本人の働き方を規定したという考え方に私は賛同します。
 稲作は弥生時代に始まって今日まで続く重要な仕事です。しかも江戸時代の末でも全人口の85%は農民ですから、日本人はずっと農耕をする民族だったと言えます。ですから農業は日本社会全体に影響を与えています。

 勤勉でなければならないこと、家族経営的・協働的であること、集約的で手間のかかること、子どもも社会の一員としてあてにされてきたこと、そうしたことはすべて今日の日本人の働き方を根本で規定してるのです。

 今はだいぶ崩れたと言われる終身雇用制も、元々は家族経営の延長にあります。家族だから社員を簡単に捨てるわけにはいかなかったのです。
 年功序列もいかにも農耕民族にふさわしい制度です。機械化が始まるまで、一時期農業は最も成熟した(発展性の少ない)産業でしたから、年長者が一番知識も経験も深く、尊敬されました。したがって収入が一番多いのも年長者でなくてはならなかったのです。
 もちろん実際の働き手は若者ですから、年長者も若者を大切にし、丁寧に育てることを考えました。身分差別の時代、将来は確実に跡取りとなってくれる人ですから手を抜けなかったのです。

 一方、同じことは子どもの側から見ると、自己実現の場が親の仕事の中にしかなかったことになります。
 日本の歴史上、職業に流動性のあった時代はむしろ短く、徳川270年間に限って見ても日本人は親から継いだ仕事をするしかありませんでした。だからその範囲の中で、自己を極めようとしたのです。
 農業には適切な言葉が見つかりませんが、「職人気質(かたぎ)」だとか「職人芸」といった言葉の中には、自己を実現し極めた誇りと矜持があるのです。

 職業は自己実現の道具で、職場は自己表現の場だ――それが昔の農村のあり方で、昭和時代の企業のあり方だったのです。
 
 
 

【子どもたちに改めて伝えたいこと】

 問題はその雰囲気がいまも残っていることです。
 家族だから自分ひとりで職場をあとにして帰るわけにはいかない、家族だから納期が間に合わないということはあってはいけない、家族だから世間に恥ずかしい商品は出せない、家族だからお互いに助け合わなければいけない――。

 長時間労働や無理な仕事の押し付け、サービスや商品に対する異常なこだわり、これら今日問題となっている働き方の課題はすべて、日本人が2000年近くもかかって築き上げてきてしまったものなのです。

 しかしだからやめるべき、一日でも早く働き方改革は勧めるべき――とならないのがこの問題の一筋縄ではいかないところです。

 なぜなら、多くの場合、私たちは家族と過ごすのが好きなのです。家族と一緒に何かを成し遂げることは素晴らしいことだと心底感じている人が少なくありません。家族に迷惑をかけることは極力避け、家族を喜ばせるために何かを成し遂げたいといつも考えています。
 誰よりも素晴らしい商品やサービスを提供しているということに誇りと喜びを感じ、仲間とともに喜び合う――。

 台風15号の翌日の、津田沼駅前に並んだ人々の多くが、そういう感性を持ち、そういう職場で働く人たちだった――そう考えるのもあながち無理な話ではないでしょう。問題もたくさんありますが、基本的に、私はそんなふうに子どもたちに伝えたい。

 子ども時代も悪くない。しかし大人になると、例えば交通障害で駅前に3時間並ぼうとも、それでも行きたくなるような職場がたくさんあるんだよ。
 働くというのはそのくらい素晴らしいことなんだよ、ということです。

                     (この稿、終了)
 
 (追補)
 今朝になってDIAMOBD on lineに、
 この現象を見ると、「台風の後に出勤を強要する企業はブラックだ」というより、「台風の後に可能な限り早く出勤をしなければならないと考えている個人がとても多い」という方が、この現象を正しく言い表しているように思います。つまりこれは、日本人特有の考え方なのではないかと思うのです。
という記事が載りました。

diamond.jp 趣旨は違いますが

それでも、台風通過直後に全力で職場を目指すのが日本人の平均像なのだ――。
という見方は一緒です。
 独裁主義国家の動員のような”恐怖に後押しされた行動”ではないとしたら、職場には過酷な通勤ラッシュを上回る“快”があるとしか考えられません。
 
 
 
 

「世の中は大したものではないと、子どもたちに教えたい」~働く日本人の話②

 社会は甘くない 怠けるやつはすぐに蹴落とされる
 だから今のうちから実力をつけておけ
 ――私たちはついついそんな言い方をしてしまうが
 考えてみると世の中 中途半端な大人は山ほどいるじゃないか
 世の中は案外、大したことではなく楽しいものだと教えたい

というお話。

f:id:kite-cafe:20190912074751j:plain(画像はイメージ。写真ACより)

 
 

【世の中は大したものではないと、子どもたちに教えたい】

 世の中は案外たいしたことはなく楽しいものだと、子どもたちに教えておいた方がいいと思うのです。
 私たちはともすれば人生を、徳川家康みたいに「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」といったふうに教えたがりますが、そうしないと子どもたちが怠けそうだと恐れているだけで、実際に毎日そんな思いで生きている人はそう多くはありません。

 少なくとも私自身の半生を振り返ってみると、悪評高いブラック業界(教職)にいたのにそれでも定年まで全うできたのですから、それなりによかったのでしょう。

 もちろん人生を楽しむのは、「エクセルなんて難しくないよ。いろいろ遊べて楽しいよ」とか「ボルダリングって案外きつくないし、けっこう面白いよ」というのと同じで、多少の修練と経験を経ないと「簡単」だの「楽しい」だのと言えません。これはどんな世界も同じで、より高い楽しみを得ようとしたら少しぐらいは頑張らなくてはならないのです。楽しみはその先にあります。

 私の場合は同じ学年の担任を三回経たとき、教員として10年働いたとき、――中でも自分自身の年齢が保護者のそれを抜いたときは、俄然、仕事がやり易くなりました。

「社会人として少し頑張れば、すんごく面白れェ世界が待っているよ」
と、そのくらいは言ってもかまわないかもしれません。なにしろ世界は私たち大人が自分たちのためにつくったものです。子ども仕様にできているわけではありませんから大人になってからの方が楽しいのです。
 特に日本の場合はそうです。

 
 

【欧米人のブラック業務】

 日本人の労働について考える前に、欧米人の労働観について考えておきます。
 
 ジョン・グリシャムの小説で「評決のとき」とか「法律事務所」「ペリカン文書」などを読んでつくづく感心するのは、登場する弁護士たちの異常な働き方です。日本のブラック企業なんてものではありません。
 アメリカの弁護士はタイムチャージと呼ばれる時間契約で、日本円で1時間につき2万円程度から優秀な弁護士だと1時間20万円も稼ぎますから、1日に20時間も働くと最大で日給400万円にもなります。グリシャムの主人公たちはその勢いで1年365日、土日も夏休みも働くのです。

 なぜ彼らはそんなに凄まじく働くのかというと、それは一日でも早く巨万の富を築き、引退してあとは遊んで暮らすためです。
 言われてみれば映画やテレビ番組でもよく、リゾート地で何することもなくのんびり暮らす中年夫婦とか、豪華客船で半年も旅行をしておるお金持ちとかを見かけます。日本人にはあまりない姿で、彼らはみなそうした類なのです。
 この人たちにとって「働かない」ことこそ、追求すべき価値なのです。
 
 

 【欧米の労働=アダムとイブの呪縛】

 これに関するよく知られた説明は次のようなものです。
「欧米人の思想の土台となっているのは『キリスト教』である。聖書によればアダムとイブはエデンの園で楽しく遊び暮らしていたが、神から食べてはいけないと言われていた知恵の実を食べたので、エデンの園を追い出され『罰として』働かなくてはならなくなった。つまり欧米人にとって労働は『罰』なので、それをできるだけ意識したくない、だから働かない、だからできるだけ長く休みを取りたがる」

 しかしこれには批判があって、
「アダムとイブはエデンの園で遊び暮らしていたのではなく畑を耕し管理する仕事を与えられていた(創世記2:15)。それが木の実を食べたことによってエデンの園を追われ、手を伸ばせば食べ物のあって自由に食べられた生活から、『食べるために働き』『その仕事には苦痛が伴う』ようになった」
というのです(創世記3:17)。
*「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。」

 キリスト者としてはこだわりポイントなのかもしれませんが、私たちからすれば大した差ではありません。要するに「労働は神から与えられた苦痛である」という意識が欧米人の労働観の根底にはあるらしいのです。

 実際に「職業」を表す英語単語“ vocation”は辞書を引くと「職業」よりも前に、「神の召命; 使命,天職」が出てきます(Sanseido Web Dictionary)。自分で選び取ったものではなく、与え、命じられたものだということです。

 ちなみにサービス(service)はサーバント(召使:servant)と語源を同じくし、だから欧米――ことにフランスあたりの店員はいつも不機嫌だ――愛想を良くしていかにも召使っぽくなるのは耐えがたい、精神のバランスが取れない、という話もあって、なるほどと思いました。
 
 

【日本の労働】

 しかし日本とはずいぶん雰囲気が違います。日本の場合、成功者はむしろ引退しない。
 普通の人たちが60歳の定年でおとなしく退職していくのに、それぞれの世界の勝ち組はいつまでも業界に留まる傾向があります。

 松下幸之助盛田昭夫本田宗一郎もさっぱりやめる気配がない。いよいよ引退してからも、ホンダジェットの開発チームなどは、会社がジェット機をつくっているとバレたら宗一郎は必ず復帰してしまうと、存命中は極秘扱いにしていたほどです。

 サービスについても、日本の場合は「お・も・て・な・し」などといって看板芸にしてしまい、召使の卑屈さのカケラもありません。
 また、「メイド(maid)」も女性の召使を表す英単語ですが、メイド・カフェのお嬢さんたちは喜々として悪びれるところなど全くなかったように思います。

 欧米と日本、彼我で何が異なっているのでしょう

                          (この稿、続く)