疑問を抱き、資料を探し、考えをまとめて書く。
その知的な過程そのものが楽しみだった。
ところがAIは、過程を省略して一気に答えを提示する。
私たちの学びや創作のあり方が、大きく変わってしまう。
(写真:フォトAC)
【昭和中期の女性は、お姫様言葉でしゃべっていたのか】
昨日用意した二番目の主題、
「古い映画の中に出てくる『~しましたわ』とか『こちらへいらっしゃって』とかいった言い方、当時の女性は本当にしてたの?」
に対する生成AI(ChatGPT)の回答は以下の通りでした。
結論
昭和40年代ごろまでの映画やドラマの女性の話し言葉には、現在では日常会話であまり使われない「女性語」や「上流・中流家庭の標準語」が多く見られます。実際の女性全員がそう話していたわけではなく、映画やテレビが理想的な女性像として広めた面もありました。
代表的な例を挙げると次のようになります。
《当時によく聞かれた表現》 《現在の一般的な表現》
「そうですわ」 「そうです」「そうだよ」
「知りませんこと?」 「知りませんか?」
「いやですわ」 「いやだな」「困るわ」
「ごきげんよう」 「こんにちは」
「お待ちになって」 「待ってください」
「いらっしゃいませ」 (接客以外ではほぼ使わない)
「おっしゃるとおりですわ」 「そのとおりです」
「お帰りなさいませ」 「おかえりなさい」
「お召し上がりになって」 「食べてください」
「~してくださらない?」 「~してくれない?」
《特徴的な語尾》
昭和の映画で特に目立つのは次の語尾です。
・ 「~ですわ」
・ 「~ですの」
・ 「~ですこと」
・ 「~ですのよ」
・ 「~だわ」
・ 「~かしら」
例
・ 「存じませんわ」
・ 「そうですの?」
・ 「まあ、いやですこと」
・ 「どちらへお出かけになるのかしら」
現代でも「かしら」は使われますが、若い世代ではかなり減りました。
《敬語が今より重層的》
当時の映画を見ると、特に家庭内でさえ敬語が多用されています。
例
・ 「お父様がお帰りになりました」
・ 「お母様に申し上げておきます」
・ 「お兄様はご在宅ですか」
現在なら
・ 「父が帰ってきた」
・ 「母に言っておく」
・ 「お兄さんはいる?」
となることが多いでしょう。
《感動詞にも特徴がある》
昭和の女性役では、
・ 「まあ」
・ 「あら」
・ 「おや」
・ 「まあいやだ」
・ 「あらまあ」
が頻繁に使われます。
例えば、
「まあ、すてきですこと」
「あら、いらしてくださったの」
などです。
《なぜ消えたのか》
理由は主に3つあります。
1. 女性だけに求められる話し方が弱まった。
2. 家庭や職場で上下関係を強調する言葉遣いが減った。
3. テレビの普及で、実際の話し言葉に近い自然な演技が主流になった。
そのため、昭和30~40年代の映画を見ると、今の感覚では「お嬢様言葉」「上品な奥様言葉」に聞こえる表現が、当時は比較的広く使われていたのです。
参考までに、映画女優では 司葉子、岡田茉莉子、若尾文子 などの作品を見ると、こうした昭和中期特有の女性語を数多く聞くことができます。特に若尾文子の作品は、当時の洗練された女性語の雰囲気を知るうえで興味深い例です。
【AIが返してきたものに、私は何ができる?】
生成AIの回答をそのまま全文載せたことには理由があります。AIがいかに完璧に近い答えを返してくるか、きちんと見せたかったのです。これはこれで面白いですよね。ためにもなります。
そこで私はこれを自分のブログの記事にしようと考えます。
ChatGPTの回答を、そのままブログに貼りつけることに法律的な問題はありません。OpenAI社は利用規約で著作権を主張しないと明記していますから。しかし倫理的には問題となる場合もあるかも知れません。
「生成AIに訊いてみたら」とか「生成AIによると」と但し書きをした上で張り付けるなら大丈夫でしょうが、あたかも自分が考えたように見せかけたり、極端な話、「私の長年の研究によればとか」「〇〇大学の研究によると」といった虚偽を被せればやはり正しい行いではありません。
私の場合は(匿名にしても)ずっと私自身の考えたこととしてこのブログを書き続けてきましたから、投稿する以上は私流に加工しなくてはならない。ところが、いままであちこちから検索結果を集め加工して文章を仕上げていた時と違って、AIの返してきたものはほとんど手の入れようのない完成品なのです。私流にといっても、せいぜい言葉の使い方を自分に寄せる程度です。
【独創的な文章は書けなくなる】
もちろん「生成AIに訊いてみたら」と前書きした上で張り付けるという方法も残っていますが、前提となった 「古い映画の中に出てくる『~しましたわ』とか『こちらへいらっしゃって』とかいった言い方、当時の女性は本当にしてたの?」という疑問自体は、とりあえず私の独創です。他にも同じ疑問を持つ人はいるでしょうが、その人たちから示唆を受けたという事実がない以上、とりあえず私だけのもの、自分としても「なかなかいい着眼点だ」と思い「面白い題材だな」と考えているものです。
その答えが他者(AI)の丸写しではやはり面白くありません。時に面白ネタだとか雑学ネタだということでAIを使うのはいいにしても、この先ずっと「疑問を持つ」→「調査・検討する」→「文章に仕上げる」という一連の作業がいちいちAIに邪魔されることになるかもしれないのです。
――と、ここまで書いて突然、この問題が私個人のものでないことに気づきます。かつて課題解決学習と呼ばれる学びが不能になってしまうのではないか、ということです。
(この稿、続く)